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第38話 低速……モード……です……

 ラグムとミニラグムを籐の籠に入れた二人が、馬車を降りる。


「ミッシルさんでしたか」

「あっ、ギルツさん、こんにちわ」


 護衛に知った顔がいたことで、ミッシルは安心した。メルビスが近くの町村を巡る際には、冒険者ギルド『天馬の翼』が護衛を担うことが多いのだ。


「ドアを開けて差し上げて」

「はい、畏まりました」


 箱馬車のドアをギルツがそっと開ける。客室の中には、メルビス女史と娘のクラーラの二人だけが座っていた。


「ビアンキ、久しぶりね」

「はい。お変わりなく」


 ビアンキが丁寧に頭を下げる。

 メルビスは彼女の研究が野菜の育成に関するものであることを知っているし、ラグムが以前カーペットのインクと格闘していた最中にミッシルが引き取ったことも聞き及んでいた。


「ミッシルはこのあいだぶり、ね」

「所長にアポを取ってもらおうと思ったら、王都に出張だったんです。会えて良かったです」


 ミッシルは軽く頭を下げて、運が良かったと微笑んだ。二人がメルビスの向かいのシートに腰を下ろすと、タイミングを見計らったように馬車が走り出す。


「更年期かしらね」


 メルビスが四角い棒状の何かを取り出し、優雅に広げて扇ぐ。僅かに冷えた風が、狭い馬車の中を泳いだ。


「あっ!  その板、ひょっとして……パンティー素材です?  魔力を流すと冷えるって本当なんです?」

「……こんなマイナーな物を知っているのね……ミッシル……下着じゃなくて、パルティエ素材よ」

「はい、パルティエ……それ、前に餌の保存に使えないか検討したことがあったんです」

「あぁ……あれね。

 言わなくていいわよ、そこまでの効果はないから」


 さすが……ミッシルさん……お偉いさん……あっさり……黙らせた……


 この子の相手は疲れると思ったのか、メルビス女史の視線がふと下がる。


「その籠は? 中は危険な物ではないわね?」

「見ます?」


 ミッシルが籠の蓋に手をかける。

 断られるという選択肢も、断るという選択肢も、二人の間には最初から存在しない。

 カポッ、と軽い音を立てて蓋が開いた。


 三人の会話は……聞こえていた……

 俺を見下ろしてるのは……あの時の美人……凄い偶然……

 ってことは……隣のちっこいの……スライム嫌いの……

 マダムにも……ガキにも……めっちゃ見られて……

 今の俺……ただの不審な……円盤ディスクだし


「まぁ……これは……」


 マダムが呟く。籠の幅いっぱいに広がった、緑色の円盤状の物体。

 用途不明、正体不明。特に動くわけでもない。


「予想を斜め上から背中を超えて戻ってきたわね……」


 メルビスは、蓋を開けたミッシルを問い詰めることもしなかった。

 ただ、目の前の「不可解な現状」をそのまま受け止め、言葉を探している。


「その子――」


 クラーラが、ぽつりと言った。

 続きが出てこない。

 メルビス女史は一瞬だけ、娘の様子を横目で確認してから、ミッシルに視線を戻した。


「……動かないのね」

「今は、ほぼ省エネ状態です。ディスクモード、って呼んでます」

「ディスク……?」


 ミッシルの言葉に、メルビスは眉をわずかに上げたが、それ以上は突っ込まない。

 籠の中の円盤――ラグムは、確かに微動だにしていなかった。


 ……いや……正確には……動きたくない……

 動くと……回復……遅れる……

 昼飯に……間に合わない……たぶん……

 メニューは……ホイール回してて……聞いてない!


「生きてはいるのよね?」

「はい。ちゃんとさっきまで反応はありましたし」

「“さっきまで”ね」


 ……今は……反応しないのが……正解……

 ……生存率……優先……


「……でも、これ……」


 沈黙を破ったのは、クラーラだった。


「……可愛い」


 ぽつり


 ……は?


 (5秒のロード)


 ガキ……今……なんて言った?


 思考のバッファが真っ白に染まる。


 スライム嫌いの……ガキが……可愛いと?

 ただの緑の……円盤フェチか……?


 クラーラが、そっと籠の縁に手をかけた。指先が、未知の物体への好奇心でわずかに震えている。


「触っても……いい?」

「ええ、いいわよ。クラーラ、様」


 ミッシルの軽い許可。

 籠の中のラグムは、もはや思考を止めていた。動けば「スライム」だとバレて、クラーラの悲鳴と共に馬車の外へ放り出されるかもしれない。

 今はただ、無機質な緑の円盤になりきり、元の身体に戻ることだけに全リソースを割いている。


 ――ぷに。


 小さな指先が、ラグムの端っこを突いた。

 吸い付くような、独特の弾力。


「わあ……!

  お母様、これ、とってもぷるぷるしてるわ!」

「……そう。クラーラが気に入ったのなら、それでいいわ」


 メルビスは、その緑の円盤が発する微かな既視感ラグムを無視することに決めた。

 形を変え、意志を消し、ただの無機質な物体としてそこに在るというのなら、それはもはやあの「スライム」として扱う必要すら、彼女にはなかった。


 そして娘の楽しげな様子を見て、わずかに表情を緩めた。

 ミッシルによれば、これは「ディスクモード」という状態らしい。

 一切の意志を感じさせず、ただそこに在るだけの、美しく透き通った緑の物体。


「ねぇミッシル。この『ディスク』、ずっとこのままなの?」

「いえ、お腹が空けば動きますけど、今は寝てるみたいなものですね。

 カマドウマロースターのホイールを回しすぎて、疲れちゃったのかも」


 ミッシルの適当な解説を、メルビスは「なるほど、動力源の問題か」と勝手に究極の謎理論で解釈し直した。

 常人ならそれは何か?と問うだろう。


「カマドウマロースター……何それ?」

「クラーラ、ミッシルさんの研究室には怖い蜥蜴や蛇も居るのよ。貴女が気になっても、見に行くことは出来ないわ」


 ミッシルはクラーラがスライムを嫌っていることは知らないが、この『ディスク』をスライムだと言わなかったことは正解だった、と思われる。


 その時、クラーラの指先が隣で縮こまっていた「ミニラグム」の方へ動いた。

 本体であるラグムが懸命に沈黙を守る中、スペックの低い分身(5%)は、クラーラの体温か何かにわずかに反応し、その表面を波打たせてしまう。


「あ、こっちの小さい方は、甘えてるみたい!」


 クラーラの歓声が馬車に響く。

 ラグムは心の中で(もうどうにでもしてくれ)と、さらに思考の解像度を下げた。


「ねえ! この小さな方、貰っても良い?」


 ……この……ガキ……くそ……

 顔だけは……超一流しやがって……違う……

 それ……俺の……分身!

 断って!


「んーと……」


 ミッシルがメルビスの方に視線をやった。

 こんなもの、持って帰ってもどうせ直ぐに死ぬか、飽きると考えたメルビスの瞳が氷のように冷え切り、無言のまま『余計な真似はするな』とミッシルを射抜いた。


「良いわよ。でも、どんな形になっても大切にしてね!」


 どうやらミッシルにアイコンタクトと言う概念は存在しないらしい。


「分かった! ミッシル、ありがとう!

 じゃあ、今日からこの子はプラナリ……ペラン……ぺリアよ!」

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