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第37話 緑色のパンケーキ

 門番とのチューを避ける為に、俺はペラッペラな原生生物みたいにトランスフォーム。


 しかし、その後に……


 ポコン……


 この気の抜ける……? おかしい……

 いや……おかしくない……?


 なんだよ、コレ……? 俺の分身?


「ラグム! 凄いわっ!

 新しい技を二つも覚えたのね!」

「……ペット飼うと自分の子が一番って飼い主が言うけど。

 それ……直径約22センチ、厚み4センチ緑色の……食べれないパンケーキを二枚重ねたものよ」

「それは食欲なくしますな」


 どっちだ? 失礼なこと……言った男は?

 それより……俺の分身て?


「ミニラグムは……直径約9センチ……体積比率で元の約5%ぐらいかしら?

 分裂した分、ラグムが小さくなったんじゃない?」

「えっ!? うーん、この形は初めてだから分かんない。でもこれも可愛いよ!」


 手で体全体を……撫でまわされて……なかなか

 てか……可愛い?


「お尻に敷いたらクッションになりそうね。貸して」


 お尻に? ちょっと……嬉しい……かも

 何を考えて……


「ダメよ! 核が当たって痛いわよ」

「……それもそうね」


 ……忘れてた……衝撃受けて……フリーズ

 いや……ミッシルさんなら……むしろ……変態か?


「ミニラグムは動かないのかしら?」

「どうなんだろ?

 あ、そう言えば……どうやったらスライムが増えるのか。今まで見た人いない。チューしようとしたら増えるって、世紀の大発見!」


 ……ちがーーーうっ!


「違うわよ。拒絶して溶けたように見えたわ。

 センパイの胸に乗った時も溶けたでしょ。その子、嬉しい時に溶けるのよ」


 それもちがーーーうっ!


「溶けた状態で何かの条件で分裂するんじゃない?」

「そうかなぁ? ねぇ、ラグム。もう一回分裂出来る?」


 頼まれても……やらない!

 これ以上は……ヤバい


「小さい方、生きてますかね?」


 同席している男性の一人が、小さなラグムを指で突く。

 ミニラグムは嫌がって避ける素振りを見せるが、ゆっくりとしか動けないようでされるがままだ。


「そう言えば……色は違うが、その形の魔物が居ると聞いたことがあったな」


 もう一人の男が顎に手をやりながらそう独り言を言った。


「じゃあ、それが野生のスライムが溶けた姿なんですよ!」


 ミッシルさんがフンスと鼻息を荒くした。

 でもさ……野生のスライム……嫌なことがないと……溶けない……


 あっ! 俺、ジャンケン……倒した相手……溶けてた……

 強いストレス……スライム……溶ける?


「溶けてから二時間半でラグムは元に戻ってた。

 今日のお昼御飯、ラグムは抜きね」


 えっ!? 冗談じゃ……ないよ!

 食うしか……楽しみない!


 お昼御飯……までに……復活する!

 あ……今日のメニュー……聞いてない……ホイール回して……た


 ガタゴトと揺れながら進む馬車の中。

 ミッシルの膝の上には本体、ビアンキの手の中には分身。

 揉まれても溶けないよう、ラグムはただ表面張力の維持に全リソースを割いている。


 その意識は、もはや「思考」というより「維持」だ。

 揺れ、重力、指の圧。

 次々に流れてくる物理的な刺激を、ラグムはただ事務的に処理し続ける。


 『 警告:演算能力不足、感情ログを一時停止 』


 そんな彼を、ミッシルたちは「今日はおとなしくて可愛い」と愛でている。

 真実は、返事をする余裕すら惜しんで、昼飯の再起動に向けて「待機中」なだけなのだが。



 門を出てから三十分も経たないうちに、馬車は柵で仕切られた農地に到着した。

 そこには『特務機関 第三試験農場』と、ポップな文字で書かれた看板が立っている。

 男性二人が先に降り、少し遅れて農夫がやって来た。

 短いやり取りのあと、ビアンキとミッシルも馬車を降りる。


 畑の畝には『ほうれん草』と書かれた小さな札。

 近寄ると、ツンと鼻を刺す甘酸っぱい匂いがした。

 蒸発したワインビネガーが、まだ空気の中に居座っている。


「これは……派手にやったわね」

「中途半端だと効果が分からないでしょ。まぁ、やりすぎた自覚はあるけど」


 二人の前を、小さな虫が羽音も立てずに横切る。

 問題になっている猩々蝿だ。


「捕獲用のトラップは出来たから、そこは良かったけど」


 ビアンキが畝を指さす。


「そのほうれん草は、ほぼ全滅ね。こっちは濃度を落とした分、枯れてはいないけど……効果は微妙」

「枯れた所は諦めてやり直しね。炭の粉と石灰、それから農薬」


 コンパニオンプランツの配置。苗の数。

 そこまで決めれば、彼女の仕事は終わりになる。

 失敗しても、失敗というデータが残る。「何もしなかった」という報告書よりは、よほど予算が通りやすい。

 ミッシルは、もう次の段階――いや、今日のランチは何から食べるべきか考え始めていた。


 一方ビアンキは、野菜の収量を上げる研究を続けていた。

 条件は二つ。

 安心して食べられること。

 そして、安いこと。

 この土地で大量に作られているワインビネガーに目を付けたのは、その流れだった。


 試験農場の周囲は雑草だらけだが、開墾すれば畑になる。

 今回はそこを使う、という話で話がついている。

 開墾作業は、定職に就いていない若者――冒険者を集めればいい。

 冒険者ギルド――などと立派な名前は付いているが、実態は日雇い仕事と、そう変わらない。

 「伝説の勇者」なんてのは、求人票には一行も書かれていない。


 ……俺も、似たようなもんか。福利厚生……なし。



 本日の作業指示はすべて出し終えた。

 農夫たちはそれぞれの畝に散り、炭の粉袋や石灰を抱えて動き始める。

 ミッシルは一度だけ畑を見回し、満足したように小さく頷いた。


「うん、これで今日できることは全部。あとは結果待ちね」

「結果が出る頃には、また別の問題が出てると思うけど」


 ビアンキの言葉に、ミッシルは気にした様子もなく肩をすくめる。


「問題が出るから、研究員の仕事が無くならないの」


 ……そりゃ……そうだ

 さすがミッシルさん……分かってる


 馬車は帰路に着く。

 行きと同じく、ラグムはミッシルの膝の上、分身はビアンキの手の中。

 さっきより揺れが優しい。

 道が下りに入ったらしい。


 『 感情ログ:低優先度で再開 』


 ……昼飯……

 まだ希望……ある……はず……


「本道に差し掛かりますよ」


 御者が客室に向かって声を掛けた。農場は丁字路を曲がった先にあった。見通しの良い交差点だ。

 ミッシルが窓の開けて外を見ると、本道を行く一台の箱馬車が目に入った。所属を表す紋章も何も書いていないが、見知った顔が護衛を務めている。

 天馬の翼の者達だ。


 角を曲がり、本道に入ったところで御者が馬車を停めた。すぐに後ろから来た馬車が隣に停車し、御者同士が話す声が車内に届いた。


 向こうの馬車の窓が開いた。美しい婦人の顔がミッシルの目に映った。


「メルビス様!」

「あら、ミッシルと……ビアンキ……ね」


 ミッシルはラグムの事を聞くのに丁度良いと思ったが、ビアンキは最悪のタイミングだと顔を青くした。


「ちょうどいいわ。特務機関に戻る途中でしょう?」

「はい。試験農場の確認が終わったところです」

「それならこちらに来なさい。話を聞かせてもらうわ」


 有無を言わせない。町でも有数の商社の会頭補佐であり、特務機関の出資者スポンサーでもあるメルビス様の言葉は、この界隈では絶対だ。

 ミッシルはビアンキを見る。ビアンキは「逃げられない」と諦めたように肩をすくめた。


「……行くわよ」

「断れるわけないじゃない」


 同乗する男性は何も言わず、メルビス女史に黙礼する。それから、ミッシルたちのほうへ視線を流し、軽く手を動かす。

 ――早くしろ。客室を空けろ。

 言葉はない。

 だが、十分すぎるほど伝わる。

 ついでに、と言わんばかりに指先が籐の籠を示した。

 その籠も持っていけ、と。

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