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第32話 坂を超えて

「食っちまったもんは仕方ねえし」


 肥料にするものを食べたのだとミッシルさんに教えられたセンパイは、割りとあっけらかんとしていた。

 確かにミッシルさんは俺用のデザートとは言ったが、人の食べる物とは言っていない。

 材料を聞かれて人が食べられる物だと答えたけど、材料が大丈夫でも成果物が大丈夫とは限らないもんね。


「腹を下したら、それはそれで成果だろ」

と、センパイがエイドリーを慰める。研究者って清々しいほど前向きだわ。

 失敗は成功の母、を一番体現している職種かも知れないから、自然とそうなるのかも。


 エイドリー、お前はまだ研究者として甘いんだよ。


 ちょっと格好つけて、『出来るキャラ』を演じてみる。

 こんな毒を吐こうが、それは心の中の独り言で終わる。喋れないから、うっかり余計なことをクチにして、無用なトラブルを起こす心配が無い。これがスライム転生の良いところだな。

 前世がコミュ障の人には、うってつけの種族かも。


「猫は好奇心で死ぬけど、好奇心の無い研究者は死んだも同然だわ。by 私」


 ビアンキがハーブティーのカップを手に、優雅な空気を纏わせる。この四人の中で一番お貴族様っぽいが、実際の身分は知らない。まあ、子供の頃から学力を積めるのは金のある家だけだろうし、必然的にそうなるんだろうな。


 ビアンキは細かな作業を繰り返し行う事が苦にならない緻密なタイプ。ミッシルさんはわりと思い付きで走るタイプだから、ネタが打ち止めにならない限りは進むだろう。


 ただ、汎用性のあるデータを取るには、普通のスライムを実験に使うべきなんだよね。俺のスペックを基準にされたら、他のスライムはたまったもんじゃないな。

 ミッシルさんなら、『これぐらいラグムなら出来たわよ!』とスライム達に無知で鞭を打つかも知れない。そこに愛はあるの? と聞いたらダメなやつ。


 エイドリーが澄まし顔のビアンキのカップにポチャンと一粒豚ちゃんを投下。


「ビアンキ、生きるためには糧が必要なの。有機を出して!」


 何を上手いこと言ってんだか。それ、出すんじゃなくて吸収する方だから。

 溢れた飲み物、誰が掃除すると思ってるんだ?


 この後めちゃくちゃ掃除した、ABコンビと俺だけが。



 午後からの就業時間は一時から。地球と同じで、壁掛け時計は十二時間で一回り。文字は読めなくても、針の位置だけで時間が分かるし、数字だけなら覚えられる。一から三まではギリシャ文字と同じ、四からは直線と曲線で構成されている。

 アラビア数字なら七セグメントで表せるが、同様の手法で置き換えると十二セグメントが必要だ。アラビア数字って、実は未来からタイムリープした人がもたらしたんじゃないか? そんな妄想をしつつ、俺は46度の坂に挑んでいる。


「何度ダロー、何度ダロー♪」


 ミッシルさんが機嫌よく歌っている。俺の記録更新がそんなに嬉しいのか。


「やったわ! 遂にバンク・ノギーを登りきったわ!

 次はフォール・バッパーラを越えるわよ!」


 46度の坂って、勾配百%を越えてるよ。まだやるの? と思っていたら、また急斜面を転がされる。

 今度は心の準備が出来ていなかったので、すぐにコースアウトしてボトンッ、という鈍い音と共に落差50センチをダイブ。……うぐ、地味に核へ響く。


「ラグム! 大丈夫?」


 ミッシルさんがしゃがんで両手を前に出す。動けない俺を心配してくれたんだね!


「落下結果もメモしとくべきだったわ……不覚」


 俺の心配と、データ採取ミスが同居出来る、これが研究者の精神構造……。

 そして両手に包まれるまでの短い時間、俺の視線が何処に向いていたか……ポーカーフェイスの出来る体で助かった。知られたら怒られそう。

 

「意識がハッキリしたら、50度までチャレンジしてから落下試験よ!

 どうしてナンドダロー♪君、50度までしか動かせないのよ?」


 多分、重心の問題だと思うよ。それに35度を越える坂道なんて馬車は走れないと思う。

 登ったら最後、下る時に馬が馬車に牽かれるだろうし。


 こうして世界初、傾斜50度を制覇した後に何度も床に落とされた。研究者って時々常識を無くすから怖いわ。

 早いとこ、普通のスライムを捕まえてきてもらわないと、俺の身が持たないかも。


 だけど、ナンドダロー♪君の角度を俺も調整出来たら、暇な時に遊べるのに。滑り台を逆に登って遊ぶ子供と同じだよ。

 要望が出せるなら、スキーのジャンプ台みたいな形にしてもらおうかな。こう言う下らない遊びが出来るうちは、ここも平和ってことだし。


 本日の俺の体力測定と言う名のトレーニングは、落下試験で終了となった。

 ミッシルさんが俺一人じゃなく、蜥蜴先輩達の研究も続けているからだ。

 でも、どうして蜥蜴なんて研究しているんだろう? 

 すぐに思い付く理由は尻尾だよね。

 カメレオンは光学迷彩の研究をしたんだろうし、爬虫類は低コストで大きく育てられそうだ。

 ちゃんと考えれば合理的な理由が出せる。


 そのうちエリマキ付きとか、滑空機能の付いた蜥蜴に研究がシフトしないか心配だ。

 目から血を飛ばす蜥蜴も居たっけ。こうして見ると、蜥蜴って結構癖の強いやつが居るんだな。


 それが俺はどうか。癖の強さは個性だからポイしておこう。

 一番の問題は、事あるごとにこの体をバージョンアップをさせてることだ。そのせいで、普通のスライムとどんどんかけ離れた存在になっている気がしてならない。

 だから俺を研究したところで、ミッシルさんに何のメリットも出てこないと思うのだけど。


 彼女は時々発想が怖いと思うけど、俺を保護してくれているのは事実。一切れだけど、オークカツの恩もある。

 研究対象ではなく、違う立場に置いてくれたら良いと思う。でも、ペットは飼えないって言ってたし。


 あの馬車襲撃イベントに参加した時点で、誰からもただのスライムとは思われていない。

 平穏無事にスライムとして生きていくのなら、ただの傍観者に徹すべき事案だったと、蜥蜴先輩とにらめっこしながら、たまにはこうやって反省してる。

 先輩が、目を細めてチロリと舌を出す。その仕草が「てへっ」と笑っているように見えてきたのは、俺も相当末期だろうか。……いや、案外可愛いもんだな。


「うーん、メルビス女史が何を考えてるのか、直接聞くべきかしら」


 そこで席から立ち上がると、黒電話の受話器を取る。壁に貼ってあるのは、よく掛ける連絡先なのだろう。


「あー、もしもし、ミッシルです。室長は居ますか?

 ……居ない? サボりですか?

 ……あ、王都に出張ですか。お土産、何だろう?

 ……要件は、メルビス女史に一度お会いしたいと思いまして。

 ……ラグムの件で相談したいと伝えてください。

 ……ええ、承知しました、ありがとうございます」


 ガチャっと受話器を置いて額の汗を拭う振りをすると、

「アポ取るなら一週間前にって、七光りで秘書になれたくせして腹立つわ! それに自分が偉い訳でもないのに勘違いして!」

と、珍しく怒りを表した。

 どこの世界でも似たようなことは起きるし、ファンタジー世界なら親の七光りで無礼討ちする馬鹿な子息も居るんだろうな。

 やっぱりスライムで良かったわ。

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