第2話 不思議な出来事
その後も俺は、強い敵に見つからないようズルズルと移動を続けて、大人しそうなスライムを見付けてはボディランゲージで戦う日々を重ねていた。
一度、俺より少し大きな相手と遭遇し、図らずもジャンケン勝負みたいな流れになったことがある。
俺がチョキ、相手はグーを出した。なので後出しジャンケンでパーに変えた。
体をパー状に全展開するのは簡単だからな。
何が言いたいかというと、その辺に転がっている野生のスライムって基本的に頭が弱い。
俺のチョキの二本指、その先っぽだけを見て『勝てる』と判断したらしい。
だから、先っぽを餌にして釣った訳だ。
ちなみにスライム同士の戦いは、相手を自分と同化……と言うのか、取り込むことで勝負が決まる。
人間みたいな口が無いから、噛んで食べることが出来ない。
理屈はよく分からないけど、接触すれば溶かし合いが始まるのだ。
そして、より多くの相手の体を溶かした方が勝ち。
まるで囲碁のような頭脳戦だ。
敵が自分と同じサイズなら、元人間の俺が勝つのが当たり前って訳だね。
◇
そんなズルをしながら過ごしていたある日のこと。
このスライムボディに向けて吹いた風が、強烈な何かを運んできた。
その直後、これは良い糧になる――と、まだ制御が仕切れていない魔物の本能が俺に囁き、俺の精神力を上回った本能がスライム核の制御権を奪った。
スライムに転生して喜んでいる場合ではなかった……と言うことか。
止められない歩みにもどかしさを覚えつつも、何がスライムの本能をそこまで刺激したのか気になってきた。
それから数分、ズルズルと進んだ先で見付けたのは、虫の息といった感じの銀色の毛皮の動物だった。
背中から脇腹に掛けて三本の大きな引っ掻き傷がある。そこからドクドクと溢れ出ている血の匂いが、核に届いて呼び寄せたのだろう。
もし俺が人間なら、きっと躊躇しただろう。
だが今の俺の体は完全なるスライムだ。全身血にまみれようがお構い無ッシング!
フェンリルだったら良いな! と思わせるような銀色の動物の作った血溜まり目掛けてダイビング! ……のつもりでズルズル。体が意思と関係無しに動く様子に気味悪さもあったが、この様子を見れば本能の下した判断は誤りとは言えないか。
いやね、毛皮の色が銀色だからって、本気でフェンリルだとは思ってないよ。
そんなのが倒せる魔物がこの辺りに居たらさ、この場に居ることが危険すぎる。
それに、何かがおかしい。
争ったような物音も聞こえなかったし、形跡も無い。もし戦いに負けて逃げて来たのなら、ポタポタと血の跡が残っているはずなのに。
それが無いのだ。
じゃあ、誰かがここにポンと置き配、しかも誤配した……のか?
確かにここ、ジャングルっぽいけど……勝手に置き配指定にすんなよ。
いや、待てよ。受取人が俺なら置き配になるが、別の魔物が受取人だったら……背筋がぞっとし、慌てて全方位に視界を向ける。制限していた視覚情報が緑色のカーテンを開けたことで一気にスライム核に流れこむ。処理すべき情報が増えたことで混乱を起こした核は低速モードに切り替わる……くっそ、不便過ぎる。
視覚のカーテンを閉めて高速モードに戻すと、二つのお目目をゆっくり360度回転させて様子を窺う。幸い魔物の接近はなさそうだ。よし、この不審物への対応を考えよう。
死の間際に転移してきた可能性も考えたが、それでも――俺をここに誘引する、その意図で容易された感が拭えない。
神様がスライムになった俺への詫びのつもりで置いたか、それとも送り付け詐欺か。
いやいや、無一文の俺から何を搾取するつもりだよ?
それでも、神様説のどちらかだと考えるのが自然だろう……が、選択肢があまりに不自然過ぎる。
神様なんて信じていない俺だったのに、大袈裟に天を仰ぎ見てしまったじゃないか。
普通ならこう言う強そうな相手を食うのは、修行を重ねてレベルアップした後だ。
途中を全てすっ飛ばして、『ほれ、これ食ってさっさとレベル上げろ』ってのは、粋な計らいなんかじゃない。
それを世の中じゃ、『お節介』って言うんだよ。
グラウンドの白線を引く時に使うのは許すけど、俺の生き方を決めのに使うなって。
血溜まりプールに浸かり、この肉を食えば強くなれる――その誘惑に負けることこそ合理的だ、と俺の核《本能》が答えを出す。
理屈では分かる。
だけど、だからと言って神様の手のひらの上で転がされてたまるかよ!
そう決めるとクルリと踵を返す……つもりで来た道を戻る。
スライムの体に前後は無い。スライム皮に開けた視界の位置を動かせば方向転換になる。慣れないうちは意識の切り替えに戸惑ったが、バック駐車の必要が無いって最強だろ?
勿体ないと思いつつここから離れていると、前方から何匹かのスライムがやってきた。
リーダー格なのか、大きめの一体が俺に軽く挨拶するような仕草を見せて俺の横を通り過ぎた。
違う……今のは友好的な挨拶じゃない。メンチを切られたのだと、少し遅れて魔物の本能が震えながら教えてくれた。
体格差は歴然。俺が頭脳を使って戦っても勝つのは難しい相手だ。平和そうに見えて、スライムの世界も実に分かりやすい格差社会と言うわけだ。
ソイツが銀色の毛皮に到達すると、腹の上にズルリと跨がった。
続けとばかりに、他のスライム達も覆い被さり、ほとんど銀色が見えなくなった。
まだ完全に死んでいなかったらしく、少ししてから悲鳴みたいな声が一度だけ虚しく森へと響いた。
俺はその様子を見ながら、取り返しの付かない判断をしたかも知れない、と体を震わせた。
その考えは正しかった。
遺体を食べたスライム達の体が光ったかと思うと、理由は分からないが、突然一体が俺に向かって何かを吐きかけてきた。
汚ねぇっ!
と思った時には、俺の可愛いライムグリーンのスラ皮に焦茶色の液体が付着していた。
別に痛くはないが、なんだコレ?
そう考えているうちに、他のスライム達も俺を的にするように、次々と怪しい液体を飛ばしてくる。
地面に着弾したそれを見て理解した。
これは酸だ。
次々とスライム達が飛ばしてくる酸の玉……まるで酸弾銃だ。
それでも俺のツラの皮は対酸性に優れるらしく、唾を吐かれたぐらいの不快感しかない。俺一人によってたかって……イジメに見えなくもない。
まさか、今まで俺がやって来た後出しジャンケン戦法に対する抗議のつもりか?
リーダー格の体がここで光った。体が大きかった分、大量の食事が必要だったのだろう。
僅かに遅れて光が収束したかと思うと、ヒュッ!と音がして俺の皮を何かが貫通した。
正面側だけでなく、背面側までだ。ただの酸弾ではなく、物理的な攻撃、もしくは魔法?
穴からはスライム液がとどまることなく流れだし、俺の体は一気に萎む。
透明な皮と――精神であり演算装置でもある核が、漏れたスライム液の上に浮かぶように残された。
……ダメだ。
スライム液を失って回転を止めた核では、演算処理が追いつかない。
エラー、エラー、エラー……頭の中にそんな警告が響くようだ。
一体どう言うことだ? どうすれば良い?
あまりにも急激な変化に俺はパニックを起こし、身動きも取れずにオロオロするしかない。
銀色の獣の血肉を食って進化したのか、一回り大きくなったスライム達が動き始めた。
中身を失い、ただの薄い膜となった俺の身体は、もはや地面にしがみつくことさえできない。
大木の梢さえ揺さぶる無慈悲な突風にパタパタとはためくスライム皮が、ヤツらの興味を引いたのだろうか?
わざわざ進行ルート上の経由地に設定したかのように、俺の体の上を通って帰っていく。まるで落ち葉の上でも歩くように。
何度も核に衝撃を受け、俺は――気が付くと、銀色の毛皮に凭れかかっていた。
「……あれ?」
さっきまで何をしていたんだっけ?
まるで旨いものを食べていたようなぼんやりとした既視感、体は無意識にクチを突っ込むように夢中で銀色の屍肉を貪っている。
ああ、あまりの旨さに翼が生えて昇天する、グルメ漫画のシーンの実体験ってことか。さすが異世界、リアリティがVRの追随を許さない。
だけど……何かに押さえ付けられたような痛みが、ドクンと核に走る気がした――。
いたずらっ子のように木の葉を散らす強い風が俺の体にぶつかり、思わず目を閉じた。
そしてふと気が付けば、先ほどまではあった銀色の何かが消えさっていた。




