第3話 再会
碧がコニーヨを辞めてから、もう一ヶ月近く経っていた。
俺は仕事帰りの夜道を歩きながら、ふと足を日本橋へ向けることがなくなっていた。行っても碧はもういない。それが分かっているからだ。
週に一度の習慣が途切れ、胸の奥に空洞みたいなものが残っていた。飲みに行けば笑えるけれど、帰り道にふっと思い出すのは、低い声で冗談を言う碧の姿だった。
そんなある土曜日。後輩に誘われて、別のコンカフェへ顔を出すことになった。日本橋のビル街、見慣れない店の扉を開ける。
中は新しくて明るい雰囲気。奥のカウンターでキャストが笑顔で客を迎えている。その中に――見覚えのある横顔があった。
短いボブ、そして顔に似合わない低めの声。
碧だった。
「……え?」思わず声が漏れる。
けれど彼女は、俺に気づく様子もなく他の客と談笑していた。
少し時間が経って、碧がこちらにやってきた。
「はじめまして〜! ドリンクどうする?」
明るい声。だが俺の心臓は跳ね上がっていた。
「……碧、やんな?」
「え? ……あ、ごめん、誰やったっけ?」
その言葉に一瞬、胸が冷たくなった。俺の中では鮮明に残っている笑顔や会話が、彼女の中では霞んでいる。
「前、コニーヨで会うてたやん。毎週ハイボール頼んでたやつ」
「あ……! あー! 思い出したかも! あの、真面目そうなお兄さんやんな?」
碧はぽんと手を叩いた。けれど「完全に思い出した」というより、半分は社交辞令のようだった。
俺は苦笑しながらグラスを受け取った。
「忘れられてたんかと思ったわ」
「ごめんごめん! 私、ほんま人の名前とか顔とかすぐ飛んでまうんよ。学校の友達にもよく怒られる」
碧は舌を出して笑う。その仕草は、変わらず俺の胸をくすぐった。
飲み物を持って戻ろうとする彼女に、俺はつい声をかけた。
「ここで働いてるんやな」
「うん。前の店は店長と合わんかったから、すぐ辞めてもうて……。でもやっぱ楽しいから、別のとこ入ったんよ」
「そうか。……また会えてよかったわ」
ぽろりと本音が漏れた。
碧は一瞬、目を丸くして、それからふっと笑った。
「……なんか、そう言われるん久しぶりかも」
しばらく話していると、碧が唐突に聞いてきた。
「そういえば、お兄さん……彼女とかおるん?」
「え、なんでいきなり?」
「いや、なんか真面目そうやから、ちゃんと恋愛してそうやなって思って」
「おらんよ。そんな器用ちゃうし」
「ふーん……。意外やな」
碧は低い声でそう呟き、ストローをくるくる回した。その何気ない仕草が、不思議と俺の心を掴んで離さなかった。
その夜、店を出たあと。
スマホの通知が鳴った。
――「今日はありがと。また会えるん楽しみにしとるわ♡」
一瞬、文字の「♡」に心臓が跳ねた。
「……もしかして、俺のこと……好きってこと?」
でもすぐに思い直す。
『いや、文章でハートなんてよくあるやつやん……勘違いせんとこ』
俺は思わず笑ってしまった。




