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A-3 「明けの明星」


記録はない。

記憶はある。

そう言い切ってしまえるほどには、自信はなかった。時間もなかった。

コンソール操作はかつてないほど高速だ。でも急ぎ過ぎて正確ではなくなるたびに、苛立ちは焦燥へと変わっていく。


落ち着け。落ち着け落ち着け。


コンフィグをいじって今から生成させる夢の構成パーツを組み上げていく。足りないものは何だ? 足りないものばかりだ。


思い出せ。思い出せ思い出せ。


何か記憶が鮮明になるきっかけがないかと、プリセットからシチュエーション候補を次々と見ていく。


急げ。急げ急げ。


「夕暮れの公園のベンチ」

「観覧車の頂上」

「夜景の見える展望台」

「帰り道の駅前」

「図書館の静かな一角」

「海辺の防波堤」

「神社やお寺の境内」

「桜並木の下」

「夏祭りの帰り道」

「冬のイルミネーションの下」

「2人でよく行くカフェの席」

「雨上がりの橋の上」

「放課後の教室」

「旅先の思い出の場所」

「星空の見える丘」


どれも告白にふさわしそうだが、僕の記憶の断片が刺激されるシチュエーションはなかった。

ぼんやりとした輪郭しかない。あの夢の場所はどこだった? 時間は? 先輩はどんな服を着ていた?どうしても思い出せない。

それでも、僕は諦めなかった。


心の中の靄を晴らすように、僕は1番最初に表示された「夕暮れの公園のベンチ」を選択した。新しい夢が生まれる。


     *


『夕暮れの公園のベンチ』


「今日は楽しかったよ本当」

隣に腰掛けたミサキ──先輩?

驚きよりも強く、気が急いたせいにしても、うかつすぎる自分を呪った。

僕がこれまでに見た無数の夢の欠片と、初期設定でインストールした1週間分の実際の夢の記録。それらがあったからかろうじて体裁はなしているものの──


ミサキ先輩はいた。隣に座っていた。

ショートボブの茶色い髪がふわりと揺れる。シンプルな白のTシャツと、ダメージ加工のデニム。

いつもと変わらない、過去の夢でも登場した格好だ。

けれどその顔には表情がなく、目は虚空を見つめている。口角は微笑んでいるはずなのに、その瞳は人形のように無機質で、何の光も宿していなかった。

「……今日は楽しかったよ本当」

機械が音声を再生しているかのように、感情のこもらない声が、ただそれだけを繰り返した。


     *


くそっ。驚愕と恐怖で記憶がますます飛んだ気がする。夢を切り上げ、残り時間をチラリと見やり、僕は設定を更にいじる。


     *


『観覧車の頂上』


……景色を楽しむどころじゃない。

ミサキ先輩は向かい合わせに座っていた。

だが、その姿は不安定だった。


茶色いショートボブはところどころノイズのようにぼやけ、顔の輪郭が歪んでいる。

白のTシャツの胸元には、モスグリーンのヘルメットのロゴが貼りついたように浮き上がり、ダメージ加工のデニムは、時折僕のズボンと同じものに切り替わる。

「……今日は楽しかったよ本当」

その声は、ノイズ混じりで、途切れ途切れだ。まるで、古びたレコードが再生されているかのようだった。


     *


まだ見落としがあったか。まっさらから作り上げる夢はこんなにも難しいものなのか。まぶたの上に溜まった不愉快な汗の玉を拭い、僕はダイブする。


     *


『夜景の見える展望台』


ミサキ先輩はいた。手すりにもたれかかるような姿勢で隣に立っていた。


だが、僕の知るミサキ先輩ではなかった。顔をそっと伺い見れば、それはミサキ先輩の顔を切り貼りしたかのような、別の誰か。なぜか、髪は赤く、瞳は緑色。身体もミサキ先輩よりひと回り大きくて、筋肉質だ。

「……今日は楽しかったよ本当」

その言葉はミサキ先輩の声なのに、なぜか知らない男の声に聞こえる。誰かと重なっているのか。多重音声チックだ。

その姿と声のギャップに、僕は背筋が凍りついた。


     *


なにが違うんだ? 何を見落としている。焦りは禁物だと重々承知しているのだけれど、脳のリソースをこれ以上、設定に費やすのは正直嫌だった。


     *


『帰り道の駅前』


街頭の下、隣を歩くミサキ先輩──じゃない。


バグとか処理落ちとかいう次元じゃない。

文字通り次元が違った。

ミサキ先輩の姿は完全に平面だった。そしてやけに色鮮やかだった。見た事ある。セル画だ。

というかミサキ先輩でもない。昔大好きでよく見ていたアニメのキャラクターだ。

首元で毛先がはねた髪型や喋り方、服の好みまでよく似ている、と僕は常々思っていたが、その思考が反映されたのか。

「……今日は楽しかったよ本当」

声優まで一緒だった。


     *


さすがに疲れた。頭の奥が重苦しい。けれど、こっちに戻ってくる刹那、閃いたことがあった。もう少しだという手応えがあった。


     *


『図書館の静かな一角』


2人並んで書架の間に立っていた。

本を選んでいるそぶりのミサキ先輩を恐る恐る見ると、突然。

「……今日は楽しかったよ本当」

そう言って、着ていたジャケットを脱ぎ始めた。季節外れのファー付きライダースジャケットは、想像したよりも重そうな音を立てて落ちた。

「周囲には誰もいないし、せっかくだから、もっと楽しもっか?」

今度はカチャカチャとベルトを外し始めた。そのままズボンを下ろ──


     *


これまでと違った意味で焦った。安堵か分からないため息をひとつ。僕は念の為、夢をログ格納庫のお気に入りに放り込んだ。念の為だ、他意はない。


     *


『海辺の防波堤』

海風になびく長い黒髪が。

『神社やお寺の境内』

舞台が戦時中で、すぐさま爆撃を受けた。

『桜並木の下』

ずっと横歩きだった。カニか。


     *


先ほど感じた手応えはどこ行った?

繰り返される設定更新のたびに脳のリソースは足りなくなっていき、海馬は次々と新しく増える情報処理で摩耗していく。

僕は諦めたくない執念と、もう「奇跡の夢」は消えてしまったんじゃないかという疑念を抱えたまま、ダイブを続ける。


     *


『夏祭りの帰り道』

違う。

『冬のイルミネーションの下』

違う違う。

『2人でよく行くカフェの席』

違う違う違う。


     *


本当は僕は気づいていた。

なぜミサキ先輩がミサキ先輩でないのか。


あの素敵な人を構成する情報を組み立てる際、これまで作っては却下した夢の欠片、その雑多な情報を再び拾ってしまうからだと。

本当は不適切なログは削除してしまいたいのだが、DDAのAIがクリップを作る材料なのだから、消すわけにはいかない。


僕の夢はすべて──成功も失敗も──成功した試しはないけど──クリップ化して支援者さんに配布する。それが僕が決めたクラウドファンディングのリターンだ。

奇跡を待つしかない。

僕は時間が許す限りダイブを続ける。


     *


『雨上がりの橋の上』


「あー。すごい雨だったな。せっかくお気に入りのシャツだったのにさ、ビショビショだよ」

ミサキ先輩は濡れたTシャツ姿だったが、気にした様子もなかった。

いつもよりクリンクリンなった癖毛をかき分け、暗い雲の隙間から差す光をまぶしそうに見ている。そういうところはある種、男らしい。でも目のやり場に困る。

僕の顔を見て、ニヤリと、僕の考えを読んだようにミサキ先輩は笑う。

「こういう時、男ってだいたいそういう顔するよなあ」

僕は間違いなく顔を真っ赤にしてしまっただろう。耳まで熱い。

「でもそういう所が、男のかわいい部分なんじゃないかと思うこともあるのさ」

お! と思った。

思っただけだった。

「そういえばこないだ、うちの彼氏がさあ」


     *


……今のは効いた。

僕の心は脳以上に、もたないところまで追い詰められた気分だった。

残り時間もわずかだった。もう駄目かもしれない。諦めた方がいいかもしれない。

そんな僕の泣き言めいた思考とは裏腹に、視線だけで操作するコンソールパネル。そこで何度も繰り返した動作は、もはや条件反射のように終了した。

つまり、

次の設定を放り込んでスタート。

次の設定を放り込んでスタート。

次のシチュエーション「放課後の教室」を放り込んで、夢がスタートした。


     *


「あ」

と言ったのは現実の僕だったか。

やはり夢の僕だったのだろうか。

見渡す必要もなかった。

ここは教室じゃない。


夕焼けの空が見える窓にはヒビを隠すためかガムテープが貼られていて──カーテンは黒──白墨の粉が残った黒板──子供受けしないイラストの跡──パイプ椅子と長机──その上には誰かがレポートにでも使ったのか、本が塔みたいに積まれていた。その全部が絵本──


児童文学研究会の部室だ。

天井付近の壁には保育科の部員が作った、画用紙で出来たゾウとキリンが飾ってあって。

その下には、壁一面の本棚。

焼けた背表紙の絵本が詰められている。

その1冊を手に取って──


「......で?」

ミサキ先輩が立っていた。

「まさか先輩を呼び出すなんて、お前も偉くなったもんだな。びっくりしたよ」

そう言って浮かべた表情は、見た事もないアルカイックスマイルだった。


これは僕が過去に見た夢だ。それが間違って再生されたか、影響を受け過ぎたか。あまりにも一緒だった。セリフさえ同じだ。


けれど、ところどころが違っていた。

ミサキ先輩の柔和な笑顔なんて知らないし、まずあの人がスカートなんか履くはずがない。

バイクに乗るし、格闘技を使う疑惑がある人間が、白ブラウスに花柄スカートとか──


なんだこの、清楚にして可憐。

髪も癖っ毛は鳴りをひそめ、丁寧にウェーブさせたように顎のラインを隠している。

体つきも普段と違い、脂肪が増えたせいか──筋肉が減ったせいか──骨格が違うせいか──女性でしかありえない丸みを帯びた、やわらかなラインをしている。

特に──胸のボリュームもやけに主張が激しい。そんなまじまじと見た覚えはないから、もしかするとこれほどだったかもしれない。

スニーカーかブーツばかりだった靴は、なぜかフリルサンダルだった。


「で? 要件はなんだい?」

チャームポイントの八重歯は同じだった。

もしかして口紅も引いてる? もしくは色付きのリップか。

見惚れて音声への反応が遅れた僕の態度に不満に思ったか、少しだけ声に怒った響きを含ませてミサキ先輩が言った。


「また、ぼーっとしてるのか? そんなんじゃ、いつまで経っても告白できないだろ?」

何度も聞いたセリフだ。やはり同じ夢か。

そう思った時だ。


「──私が」


……え?


同じ夢じゃなかった。

理解ができない。呆然とするしかできない。そんな僕の態度に、ミサキ先輩はますます怒ったそぶりだ。

「聞こえてなかったのか。キミがいつまでもそんなぼーっとした態度でいるから、私もいつまでも告白できないじゃないかって言ったんだ!」

彼女の耳は──僕より赤い。


「み、み、み、みさ、」

うるさいなあ、もう。そう言って彼女は僕を捕まえた。抱きついてきた。

「キミは黙って、うなずいてればいいんだ」


触れた部分で彼女を感じる。衣服越しなのに、とろけそうな体温を、沈むような柔らかさを、南国の甘い花みたいな香りを、感じる。

全身がミサキ先輩の熱と包容力と芳香に、包まれる多幸感。


僕は何も考えられなくなった。考えたくなかった。

ただただ──この奇跡のような時間が永遠に続けばいいと願った。


「キミの顔も真っ赤だよ」

彼女がくすりと笑う声が、耳元で聞こえる。吐息がくすぐったい。僕は恥ずかしくて、何も言えなかった。ただ、うなずくことしかできない。さっきそうしろと言ったのは彼女なんだから、僕は悪くない。

「いいよ、今はそれで」

彼女は抱きついた体勢のまま、僕に囁くように言った。

「大丈夫。私はここにいる。そばにいてあげるよ。キミが望む限り、いつでもね」


──いつまでもね。僕の心を全部見透かしたようなその言葉に、胸の奥が熱くなる。

ああ、僕は間違っていなかった。

探し求めていた奇跡は、ここにあったんだ。


この幸せな夢の中で──僕は二度と目を覚まさなくてもいい。

次は「B-1」。

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