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M-5 「萌々香の未来予想図」


 扉が開いて、変なジジイが夢の世界に降りてきたのは──もう、1週間前の出来事だった。凄かったな、あの時のモモとレイは。アタシは感慨深い気持ちに浸っていた。


「何やってんの、遠藤ちゃん」


 ストローを口にくわえて何をするでもなく、食堂のテラスでぼーっとしていたアタシに声をかけてきたのは、学生課の佐倉だった。顔に対して大きすぎる眼鏡が、太陽光でキラリと光った。


「待ち合わせです」

「伊達ちゃんと?」


 テーブルの上をチラリと見る佐倉。


「こないだはお疲れ様。大変だったね。あれから──事情聴取は何回あったの?」

「2回かな」


 別所博の死因は、急な心停止による事故として処理されたのだ。聴取と言っても、事実の確認作業だけだった。


「日本語学は新しい先生が来るそうよ」

「みたいですね。なのでアタシはこれから、別所研究室の片付けのお手伝いです」

「……そっか。寂しいね」

「色々変わっていっちゃいますね」

「私達学生課は毎年、違う顔ぶれと会うけどね」

「そりゃそうだ」


 佐倉とのつながりも、いずれ変わるかもしれない。少なくとも数年以内には、学生と、それを補助する職員という関係ではなくなってしまう。せめて友人関係だけでも、とアタシは声をかけた。


「また今度、絶対、飲みに行きましょう」

「そうね。今度は伊達ちゃんも誘って」

「あの子、ザルですよ?」


 見えないー、と言って、大袈裟に目をむいて見せる佐倉。アタシの目の前に置いてあった、ぬいぐるみの頭をするりと撫でた。


「遠藤ちゃん、ぬいとお茶する趣味があったんだ。それともギャル界隈で今、流行ってんの?」

「それは、預かり物です」


 また絶対ね、と言い残して佐倉は去った。

 アタシはまた、待つ作業に戻った。


     *

     *


 おや。

 食堂エリアの横を男が歩いていく。今日はスーツを着ていないが、靴は例によって支給品の革靴だ。短髪のイケメン風でいかにも爽やかそうだが、あの職業の人達はえてして目つきが悪い。


「上杉さんじゃないですか!」


 手を振ったアタシを見つけて、上杉秋良は一瞬だけ「ゲッ」という表情を浮かべた。刑事が感情を出すなんて、修行が足りないぞ。


「どうも」


 そうボソリと言って、上杉は駆け寄ったアタシにぺこりと頭を下げた。聞けば、学校に捜査終了の報告に来たのだと言う。おや、と思った。これはもしかして……。上杉の微妙な反応に、アタシの「正体」が知られてしまったのだ、と気が付いた。


「あのオッサンは?」

「……小野寺さんは別の仕事で」

「ペアが一緒にいないはずないじゃん。どうせ面倒くさがって車で寝てるんでしょ」


 それか、アタシのテリトリーには近付かないようにしているのかもしれない。最初の事情聴取の時、連絡をくれた佐倉が添付した写真は小野寺の名刺。なのに、立ち会ったのは上杉だった。アタシの姿を見かけて、アタシが関わってると勘付いて、逃げたのだ。小野寺昭はそういう男だ。まあ関係者がいるなら、まともな捜査はできないし、しない方がいいしね。


「……小野寺さんの娘さん、なんですね」

「そ。全然似てないでしょ」


 そっくりですよ。上杉は内心で呟いたつもりらしいが、声に出ていた。あれ、おかしいな。アタシの外見は、近所でも評判の美人だったお母さんにそっくりなんだけどな。生き写しで見るのがつらい、と父親が逃げ出すほどなのに──。


「うかつにナンパしなくて良かったーって、思ってるでしょ?」

「……私には妻がいるので」

「職務規定違反なので、くらい言いなさいよ」


 奥さんがいなかったらどうなのかしらん? 上杉の言外の感情を勝手に決めつけ、自尊心を満たしたアタシは彼と別れ、再び待機状態に戻った。


     *

     *


 約束の時間を少し過ぎていた。


「モモちゃあーん」


 そう大きな声で叫びながら、夏芽が全力で抱きついてきた。朝から拉致されていたのだが、ようやく帰ってきたのだ。よしよしと撫でてやり、その頭を手でしっかりとガードしてからアタシは、遅れてやってきたもう一人を睨みつける。


「夏芽に何したんですか! 人体実験?」

「……あらあら」


 別所玲が立っていた。

 今日はもう、黒ずくめの格好ではなかった。青いブラウスと、白いスカート姿だった。


「人聞き悪い事を言わないでください。ちょっとしたテストを、いくつかしただけですよ」

「……頭に電気流された」

「玲さんッ!」

「ちゃんと同意書には書いてあったはずよ。それに、それなりのモルモット代を払いましたよ」

「言い方ッ!」

「……私、実験体扱いされちゃった。慰めてよ、──ジュジュ」


 そう言って夏芽は、アタシが預かっていた、少しアニメ調の人形を抱きしめた。黒猫は何も言葉を発す事はなく、ただもみくちゃにされている。

 現実で再構成されたジュジュは、ただの人形だった。スワンプマンならぬ──沼猫として実在するかと期待したが、駄目だったのだ。

 それでも、夏芽は嬉しそうだった。モモのように黒猫を肩に乗っけて、人目を気にする様子もなく生活を送っている。


     *

     *


 あの日──。

 最初に目を覚ましたのは玲だった。

 夢の中で黒猫に姿を変え、モモの肩に乗って夏芽の夢まで渡ると、そこからログアウトしたのだ。


「夏芽ちゃんは?」


 第一声が謝罪でも感謝でもなく、安否を口にした玲に、アタシはかぶりを振った。モニターはすでにブラックアウトしている。与えられた神の視点は、玲のDDAと連動していた。別の夢に渡ったモモの姿を追う事はできない。

 アタシ達はモモを信じて待つしかなかった。

 待っている間に、玲といろんな話をした。


 犯人のこと──。

 隣県との堺に住む、中年男性だったらしい。性癖なのか仕事のストレスのせいか、DDAを使って、他人をいたぶり、殺害する夢を繰り返し見ていた狂人──いや。現実で実行する事なく、夢の中でしか自分を表現できなかった彼は、哀れなくらい普通の人だろう。玲によって夢と現実への干渉を禁じられた男は、今後自らがバグと化し、永遠に夢の中を眺め続ける。

 別所博のこと──。

 出会いは大学の頃だったそうだ。玲が発表した論文を聞いた後、「あなたの言葉には心情との齟齬が見られる」と言ってきたらしい。言語学を専攻している別所は、玲が言葉の裏に隠した感情に気が付いたのだ。「すごいナンパの仕方ですね」と言うと、「あの人らしいでしょ」と玲が答えた。

 伊達夏芽のこと──。

 夏芽の男性恐怖症は、ささいなきっかけで克服できる、と玲は言った。「彼女のスペックならリファクタリングは自分でできそうだけど、findコマンドが無いのかしら」「アタシに何ができますかね」「あの子のデバッガーになりなさい。そばにいて、向き合って、エラーコードさえ見つければ、あの子は自分自身を書き換えられる」

 DDAのこと──。

 玲は開発チームの一員らしい。責任者ではないが、限りなく上位だそうだ。「なんか開発しか知らない、隠しコマンドとかないんですか?」と何気なく聞いたら、「技術者はイタズラ好きなの」と言って玲が次々と披露していく。怖くなってアタシは遮った。


 ……夏芽が夢から覚めたのは、窓の外から明るい光が差し込む頃だった。DDAを脱いだ夏芽の前髪が、額にペタリと張り付いていた。アタシはそれを直してやりながら、「おかえり」


「ただいま」


 そう言って夏芽は泣き出した。大粒の涙がぽろりぽろりと、次から次へとこぼれていく。頑張ったね。つらい役目をさせたね。つられてアタシも泣いた。ありがとう。ごめんね。玲も泣いていた。


 文字にすれば「うわあああぁん」という、子供みたいな泣き方で、アタシと夏芽と玲は泣いた。

 泣いた。泣き続けた。

 そうして声が枯れて、水分が無くなり、肩でぜーぜーと息をするようになった頃──


 誰からともなくアタシ達は笑った。

 笑った。笑い続けた。



     *

     *


「絶対に、次はついていきますからね!」

「サンプルは多い方が助かるわぁ」

「モモちゃんまで実験体にしないで!」


 夏芽は少し性格が変わったような気がする。人前でも大きな声を出すし、肩にぬいぐるみを乗っけているし、他人に自分の感情をぶつけるようになった。──本音を担当させていたジュジュを失ったせいか──夢を渡る際にレイと同化したせいか──自分の意思で他人を罰す事を選んだせいか──何がきっかけかは不明だが、夏芽の変化は喜ばしい限りだった。

 ……デバッガーの出番は無さそうだ。

 そんな事を考えた時、突然振り返った別所玲と目が合った。優しい眼差し。


 ──あなたの仕事はこれから──


 そう言われた気がした。


 眠くなるような、おだやかな日差しの中、別所玲が歩いていく。その背中を追って夏芽が。それを見守りながらアタシが。

 一歩の幅はそれぞれ違うけれど。

 アタシ達は同じ方向を見据えて。

 歩いていく。

 歩いてく。


     *


 アタシの前を歩く、

 夏芽と玲の姿が。

 突然──溶けた。じゅるじゅると音を立てて、崩れていく。アタシは思わず駆け寄りそうになり、

 気付いた。これは夢だ。

 明晰夢だと認識していたが、なす術がなかった。呆然としている内に、溶けて溜まった肉が再び人の形になっていく。その顔には見覚えがあった。

 あの老人だ!

 バグが口を歪めて、笑みを浮かべた。

 アタシは一歩、後ずさった。


 その時だ。

 アタシの目の前に、2つの影が舞い降りた。

 桃色の服を着た少女と、黒い少女。


「愛と平和の夢狩人、プリティモモ」

「知性と友愛の使者、ラブリィレイ」


 2人は声を揃えた。


「──参上ッ!」


 モモは右手を上げ、足を開き。

 レイは屈んで、左腕を突き出した。


「土に還っておねむりなさい!」


 決めポーズがバッチリだった。

 ……アタシの知らないところで、2人で練習してやがったな……。

 

 ──こうしてアタシ、遠藤萌々香の、

 夢のようだった物語は、終わりを告げた。


次は「X-3」。

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