D-1 「どこだここは 誰だ相手は -全年齢版-」
いったい何なんだこれは。夢か。
いやちょっと待って。落ち着けおれ。ドッキリか、ドッキリだな。おれがアタフタしてるのをどっかで見てて、パニクってるのを笑おうって寸法なんだな。カメラはどこだ。
おれは部屋を見渡し、あちこち漁り、どこかでレンズがキランとするのを期待したが、5分後にため息をつく結果に終わった。
6畳ほどの部屋。どこもかしこも真っ白で、病院かと思ったけれど違った。病院ならこんなマットレスじゃなくってしっかりとしたベッドだし、窓くらいあるだろう。ドアはあるんだけど金属製で押しても引いても、もしかしてスライドか……いや開かない。体当たりはおれの肩が痛くなるだけだった。
マットはスプリングがしっかりと効いていて、腰かけると少しホッとした。社員寮はいまどき和室で5年くらいずっと布団生活だったから、この高さは実家を思い出す。母ちゃん、何してるかな。息子は今、気づけばなぁーんにもない部屋に監禁されています。タスケテ。
あ。そうか携帯。ふと自分が仕事着だったのを思い出し、スーツのポケットを探る。何も無い。名刺入れもボールペンもメモ帳も飴ちゃんも、いつも持ち歩いている物がすべて無くなっていた。営業カバンも見当たらない。
どうなっているんだ。いつまでもしててもしょうがないネクタイを緩めながら、おれは最後の記憶をさかのぼってみる。
確か……営業会議だったんだよな。会社と、同僚の顔が思い浮かんだ。
で、今回もおれは怒られて……成績トップだった同期が褒められる分だけ、おれが怒られるシステムはどうにかならないもんかな。……で、反省会と言う名の地獄の飲み会に参加させられて──
座敷でたまたま、⚪︎子さんの隣になれたから、調子乗ってパカパカ飲みすぎた所までは覚えてる。⚪︎子さんは受付だからあんまり接点無くって、今回隣の席ですっげぇ嬉しかった事までは覚えてる。同じ苗字で紛らわしいから「⚪︎子さん」「大介さん」って名前で呼びあう事にしたんだよな。覚えてる!
で、今ここだ。
記憶も無い。窓も無い。外にも出られない。携帯も腕時計も無いから、今が朝なのか夜なのか、ここに来てどれだけ経ったかすら、まったく分からない。行方不明扱いになってて、警察呼ぶ騒ぎになってないよな。
なんて事を考えていた時だった。
真っ白だったドアが突然ピカピカ光りだしたので、おれは思わず立ち上がった。扉の中央に何かピンク色のボードが出現していた。駆け寄り、間近で見ていると、その桃色板に文字が浮かんでくる。一文字ずつ、まるで誰かがタイプしているみたいな規則的な速度で、文字が増えていく。
「こ……こ……は」
思わず声に出して読んでいた。
「ここは──キスをしないと出られない部屋です」
……はあぁぁぁぁぁああああ?
なにそれなんてエロゲ?
あまりにもトンデモ展開におれは思わずドアをつま先で蹴った。
ガンという蹴る音の後、ガコンと音がしてドアの下が開いた。実家にもある、20センチ四方ほどのミニ扉だ。ガキの頃に「昔はね、そこに牛乳が配達されててね、ドアを開けなくても受け取れるようになってたのよ」って教えてくれたけど。
母ちゃん。
なんか違うもん入ってるんですけど……。
歯ブラシ。歯磨き粉。
マウスウォッシュ。
ミントタブレット。
リップクリームが2つ。
なんかドキドキしてきた。彼女いない歴24年。見上げてもう一度ドアのプレートを読む。キスをしないと出られない部屋──
えなにこれ。マジか! マジですかこれは。そわそわ落ち着かなくなっておれはその場でぴょこんと飛び跳ねてしまった。そのままの勢いで足の向くままマットの周りをぐるぐる回る。
誰の仕業で、この状況が何なのか、そんな事はもうどうでも良くなっていた。おれが考えていたのはただ一つ。
……相手は誰なんだ?
このドアか? このドアが開いて何者かが入ってくるのだろう。そしておれはその人とキスをする。しないといけないのだ。なんてったって、キスしないと出られない部屋なんだから! その相手にファーストキスを捧げるのだおれは。
足がどんどん速くなる。どんな人が入ってくるのだろう。年上か年下か、あんまり年上過ぎると緊張するかもしんないけど、まあ、年下だとほら、リード? とかよく分かんないから。年上のお姉さんだといいな。あ、でも待て。
──カエルかもしれない。
どこにも「人」相手とは書いてないぞ。おれはあまりの考えに全身鳥肌まみれになった。ヌメヌメテカテカ。柔らかそうだとは思うけど、あれは無理だ。毒持ってたらどーすんだよ。そんなのイヤだ。なくてもイヤだ。おや。ちょっとまて。
──⚪︎子さん……だったりして。
その展開サイコー! っそれだそれ。それがいい。それしかない。ずっと夢見ててたんだ。⚪︎子さんとそういう関係になれたら、って。今度の思い付きはおれにとびきりのワクワクをくれた。もはや小走りだ。
このままじゃあバターになっちまう、などと考えた頃、扉の外でガチャンという音がした。突然、早歩きを止めたので前のめりに転びかけたが、根性で振り返る。
ドアが開いて、誰かが入ってきた。
*
*
両生類……でもなく、⚪︎子さん……でもなく、
「あれ、大介じゃないか」
そういっておれのファーストキス(予定)相手は、営業会議で表彰された時みたいに、爽やかに歯を見せて笑っていた。あいつの後ろで扉が閉まった。
「英二! お前なあ──」
テンパっちゃうといつもこうだ。勝手におれの口は暴走してしまう。
「なんで閉めるんだよ! オートロックだったかもしんないけど、ホテルでうっかり鍵を忘れて締め出されてしまった、なんて笑い話はよく聞くけどさ、それでも、こう、隙間をちょびっとあけとくとかさ、あるだろ? エリート営業マンらしく靴の先っぽをねじ込んどくとかさ! それにここはどこだよ。何か知ってるんだろ。起きたらこの部屋にいたおれとは違って、お前はどっかから入ってきたんだ。教えろよ。何があって、どうなって、誰の仕業でこんな事になったんだよ。いつからおれはここにいるんだよ。開始時刻も経過時間もわからないなんて、分類すれば心を追い詰める精神系の拷問だ。やだよ。帰らせてくれよ。いつまでここにいなきゃいけないんだ!」
「ギャアギャアわめくな。そりゃあ──キスするまでだろ」
こともなげに英二は言いやがった。
「ここはそういう部屋、なんだろ?」
「……そりゃ……そうなんだけどさ……」
不安と、気恥ずかしさで焦ってしまうおれがおかしいのか。
英二はドアのプレートを読み終えると、面白そうに牛乳宅配扉(?)の中の物をあれこれいじっていた。
「用意は万端だな」
「なにするつもりだよ、こえーよ!」
「なにって──」
ツラが良すぎて感情が読めない。
「キスだろ?」
「やだよ! できないよ。したくもないよ!」
おれは泣きそうになっていた。
どうしてこんなことになっているのだろう。気が付いたら何もない部屋に閉じ込められていて、そこにむかつく同期──しかも男が入ってきて、今からキスをしないかぎり部屋から出られないという……。これなんて地獄?
「それに、ホラ、あれだ」
おれは背中を壁にひっつけたまま、言った。声が裏返ってしまったのはすごくカッコわるかったけど、今はそんな事を気にしている場合じゃない。英二がゆっくり近寄ってくる。ネクタイを外すな! 雰囲気だすな!
「お前だって……その、男とはしたくないだろ」
「さあてね」
英二は韓流スターみたいな仕草で肩をすくめてみせた。くそぅ。絵になる。こいつ絶対、鏡の前で自主練してるに違いない。
一方おれは、……どっちかって言ったら、だ。──絶対に人類を2つに分けなければいけない、なんて横暴な神様が思いついたら、あんたがちょっと手元をミスったせいだろ、って呪ってやりながら──小柄な部類に入ると思う。入るんじゃないかな、ギリギリで。ほんのわずかなタッチの差ってやつ?
……好奇心から部室でタバコを吸った、中学2年のおれを殴りたい。成長期って大事。
英二の声が頭頂部に刺さる。心にもちょっと刺さった。
「目は開いてるタイプか?」
「だから、おまえのその余裕はなんだよ!」
イケメンはズルい。
英二はもう、すぐ目の前まで来ていた。ゆるめられたネクタイ、そんな物をいつまでも見ていてもしょうがない。おれは顔を上げた。
英二と目が合った。
恐ろしくまつ毛が長い。瞳は奥の方までブラックホールみたいに真っ黒だった。英二はスラーッと高い鼻で笑う。息がかかる距離だった。
「そんなにおびえるな」
「おびえてなんかねーよ!」
「初めてじゃあるまいし」
……ぎく。
もしかしてお前、キスしたことないのか。新種の虫を発見したみたいな表情で英二が腕を組んだ。不思議とバカにされているようには聞こえなかった。
「だったら、なんだって言うんだよ、悪いか」
「だったら、なおのことだ」
英二が笑みを浮かべた。少女漫画に登場する笑い方だ。
言った内容は爽やかさのカケラもなかったけれど。
「男同士はノーカンだろ。ファーストキスは異性相手じゃないと数に入らない」
……なるほど。
じゃ、ねーよ! あやうく納得しそうになって、いやいや待てよ、とおれは首を振った。腕まくりされていて、むき出しになった英二の腕が目に入る。
卒業するまで剣道をやっていた、引き締まった腕。
鍛えられた肩。部活をやめて何年も経つおれとは違う。バレないように自分の二の腕をさわってみて、力こぶがあったはずの場所をもんでみたけれど、そこはプヨプヨとした皮膚の盛り上がりでしかなかった。もうホームを刺すことなんてできそうにない。
英二がその気になれば、おれの意思なんて関係ないのだ。
力でも負けてしまう……。
「……わかった」
打ちのめされたからだったけれど、それを知られるわけにはいかない。知られたくない。おれは精一杯背伸びをして、英二の顔に人差し指を突き付けた。驚いておれの指先を見る英二は、どこかとぼけて見えて、実家の犬を思い出した。
そう。犬に噛まれた、とでも思って。
「──ちゃっちゃと済ませてしまおう。おれは早く帰りたいんだ」
男は度胸だ。一度声に出してみたら、腹が据わった。
キモは据わってなかったけれど、覚悟は決めた。
「そうか」
英二の声は聴いたことがないくらい優しかった。
次は「C-2」。「全年齢版」をアップし、「通常版」はミッドナイトへ。




