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M-4 「めまぐるしい」


 やっぱり──。

 警察が決めつけたように、事故ではなかったのだ。少なくとも、別所玲はそう考えている。アタシと夏芽を最速で呼びつけた理由もそれだ。

 協力してください、とも、助力します、とも言わずに、唐突に会話──という名の共鳴が始まった。

まるでパズルのピースを合わせるように、会話は断片的に交わされた。


「先生は狙われていました」

「3回分です」

「バグは人間の一部を奪います」

「その呼称はユーザー側からしかあり得ません」「バグが人間?」

「なので私は、あなたに興味があります」


 互いの言葉に反応し、知識をぶつけ合う。その会話はアタシにとってはちょっと、理解しにくいものだったが、やがてその断片から1つの結論が浮かび上がる。別所玲は、夏芽の、モモとジュジュとしての助力を必要としている。


「そもそもなんでナッチは、モモとジュジュになれるの?」

「哲学的ですね」


 別所玲が頷く。そんなに深くない、深くない。

 アタシがねじ込んだこの問いに、夏芽は考え込んでしまったが、当然、答えは出ない。彼女も本当に理由が不明なのだろう。「ごめん、分かんない」と返された。「まあ、それはそれで」と、アタシは夏芽をよしよしと撫でた。

 夢の中で2つの人格になる伊達夏芽。 DDAの開発者でさえ首を捻るこの事態は、今は論点ではない。アタシは話を次の段階に進めようとしたが、自らそれを遮った。「──違う!」

 夏芽と玲がアタシを見た。


「玲さん! DDAのプログラムに、そんなバグが発生する可能性は実際どれくらいですか?」

「先ほども申しましたが、あり得ません」


 その名称すら不愉快ですと、玲はぼやいた。彼女は、あくまでDDAのプログラムに異常はないと考えている。ならば、プログラム以外の部分に問題があるのではないか?

 アタシは、どこまで言えば伝わるだろうか、と考えた。アタシの思考は今、完全に2人を追い越していた。


「ジュジュが、サーバーに漂う可能性なら?」


 2人が同時に目を剥いた。

 DDAには、夢の欠片をセーブし、それを他のユーザーに送る機能がある。つまり、DDAは完全に独立した機械ではない。サーバー経由か、端末間の直接通信かは不明だが、外部とデータをやり取りする機能は存在する。もし、そのデータを悪用して、他人の夢に侵入できるとしたら?

 夏芽が言っていた「扉を渡って夢を渡る」という表現が、気にはなっていたのだ。バックドア、という単語を思い出していた。接続して、侵入する。

 プログラムの改ざんなら、開発者である玲さんたちが見過ごすはずがない。だが、運営側が許可している「データ」ならどうだ?

 夏芽が2つの人格を持つ理由は不明だが、現実にモモとジュジュは存在する。ならば、同じ現象を起こしたユーザーがいてもおかしくはない。その誰かが、もう一つの人格──夏芽にとってジュジュが本音を司る存在であるように、その誰かにとってのジュジュ──暴力や殺人衝動といった「データ」──を放流したとしたら?


「……それは、『バグ』たりえるでしょう」


 玲は、わずかな沈黙の後、そう答えた。


「じゃあ──バグが逃げるのは」

「ログは個人情報にあたります」

「モモなら可能?」

「玲ちゃんさんなら可能ですか?」

「開発したのは会社です」

「ただ、やり方が分からないんだよね」

「虫みたいな?」

「それも個人情報にあたります」

「扉の開閉は?」

「それは可能です」

「でも先生は『52』番でしたよ?」

「そう言えば『44』番と言っていました」

「いいんですか、玲さん?」

「もう誰も、あの人と同じ目に遭わせたくありませんから」

「待って。『44』番?」「そうか!」


 アタシと夏芽は同時に、同じ結論に達した。手のひらがじっとりと汗ばんでいた。自分自身の思考が、憧れていた高みに到達しているのをアタシは体感していた。玲は頷き、ポケットを漁った。


「成分分析の結果、構成される元素は──酸素、炭素、水素、窒素。あとはカルシウム、カリウム、リン、硫黄……」

「それって……」

「そうです。これは人体です」


 そう言って玲は、小さな桃色をした鈴を取り出した。ジュジュが吐き出し、モモを呼ぶために、別所の手首に付けた物。その構成元素が人間と同じだと言う。ならば──


「それは、スワンプマンです」


 心を読まれたか、先に玲に言われてしまった。彼女も同じ発想に行き着き、逡巡した挙句、却下したのだ。夢の中の物を現実で再現できるならば──モモが鈴を生み出したように──バグが人体に影響を与えたように──

 夏芽がぐすんと鼻を鳴らした。彼女も一瞬だけ、別所先生にもう一度会える可能性を思ったのだろう。だが、玲が否定する。


「それを私は、あの人と同一とは思えない」


 ゾッとするような冷たい声色だったが、彼女なりの愛情表現なのだろう。


     *

     *



 さておき。会話が完全に外れてしまったが、──結局、どのようにまとまったんだっけ。記憶を探る。


 まず、バグを管理者権限で追跡したり、罠を仕掛けたりする案は、「個人情報」や「個人の範疇を超える」という理由で却下された。次に、夏芽を「ジュジュ」として放流する案も、彼女の精神的保証ができないため却下された。そこで、採用されたのは、別所玲の夢におびき寄せる作戦だ。消え去ろうとするバグを、あえて「扉」を作成して閉じ込める。そして──モモが鈴を生み出したように──『44』番が夢と同じく頭部を失って殺されたように──現実世界での影響を狙って、バグに衝撃を与える。

 その衝撃の程度を、夏芽が「どのくらい?」と尋ねると、玲は即答した。

「殺します」

 玲は警察が一連の事件と考えるかもしれないと付け加えたが、その表情に迷いはなかった。


 怖い人だ。

 でもそれ以上に──。

 哀れで、冷酷で、不器用な人だ。アタシは別所玲という女性がすっかり気に入っていた。


     *

     *


 別所博の姿は、すっかり変わってしまっていた。リビングのサイドテーブルの上に、所在なさげに置かれた木箱。その中で白い壺に収まっている。

 玲が喉仏を拾う現場にもアタシも立ち会った。夏芽は溢れる涙をしきりに指で拭っている。アタシは両手を合わせて、深く頭を下げた。これで、恩師との本当の最後のお別れが済んだのだと、静かに胸に刻んだ。


 一度別れ、それぞれに準備を整えて、別所邸で再会する事にした。先に会った夏芽はTシャツ姿で、大きなバッグを抱えていた。その中に着替えやら──自身のDDAが入っているのだろう。アタシはいつものジャージ姿だった。別所邸の呼び鈴を鳴らす。玲は青色の寝巻き姿だった。


「あらあら。パジャマパーティって言ったのに」

「あれ、冗談じゃなかったんですか」

「わ、私は一応、持って来ました」


 そう言って、フワモコのピンクのパジャマに着替えた夏芽。玲のパジャマはよく見てみると、水玉が全部ハートだった。どこで買うんだそんなの、とアタシは思わず頭を抱えた。旦那と、恩師の仇を取らんとする、最終決戦とは思えない出立ちだ。


 別所邸のリビングは恐ろしく物が少なく、簡素で事務的な配列をしていた。装飾や無駄の無さは、研究者と開発者夫婦の家っぽい、と思えた。


「まあアタシはお留守番なんですけどね。何見てたらいいですか? 寝顔? 呼吸とか」

「遠藤ちゃんはこれを見てて」


 そう言って玲は、30インチほどモニターをテーブルに置き、付属品をあれこれ引っ張り出す。


「私のDDAと連動させていますが、神視点を与えていますので、その映像が流れます。視点位置とピンチはこっちのホイールで。あ、そこのマイクはONにすれば、内部に音声が届くからね。右端はログ情報。何か分かったら教えてね。あとスピーカーの調節はここ」


 さすが開発者だ。痒いところに手が届く。

 玲が傍らに持った赤色のDDAを見て、夏芽が驚きの声をあげた。


「それもしかして、開発用の、ですか!」

「そう。ハイスペックというよりオーバースペックだから、会社に2台しか無いの。こっそり借りてきた」


 そう言いながら、ソファに座った玲は頭にDDAを被った。慌てた様子で、隣に座った夏芽もヘルメットを被る。それをテーブル越しに眺めるアタシ。なんてシュールな最終決戦。


 軽い駆動音が輪唱を始めると、夏芽と玲がそれぞれに眠りについた。夏芽は顔を伏せ、玲は天を仰いでいる。眼前のモニターに光が灯った。アタシはコーヒーを飲みながら、それをぼーっと見ている。

光が次第に広がっていき、ホワイトアウトすると、今度は黒い線で輪郭線が浮かび上がってくる。


     *

     *


 スクランブル交差点だった。

 その中央に1人の少女が立っていた。黒いシャツと黒いスカートを履いた、真っ黒い髪の女の子。


「──玲さん?」


 アタシはマイクに話しかけた。モニターの中の黒い服装の──喪に服しているのだ──少女は、まるでアタシの声を探すように空を見上げた。


「なあに、遠藤ちゃん」

「それ──誰ですか?」

「今度CMで使う、キッズモデルちゃん。素材があったから借りたの」


 道理で見覚えがあるはずだ。今は確かハンバーガーのCMにも出ている。

 突然、交差点上空に赤い扉が出現し、それが開くと、今度はまっピンクの少女が降ってきた。話に聞いていた通りの格好。夏芽だ。


「あらあら。想定よりだいぶ早いのね?」

「玲さんですか!」


 お互いに驚きの声をあげる。

 なんなんだろうな。この絵面。

 黒い少女と桃色の少女──。

「魔法少女戦隊、プリティジャー、みたいな?」

 アタシは呆れて呟いたが、マイクをオフにするのを忘れていた。その台詞は、夢の世界の2人に届いてしまったようだ。「あらあら。センスがないのね」と、レイが白い顔のまま淡々と言い、モモの肩にいるジュジュが続けて、「壊滅的ニャ感性ニャ」と語りかけてくる。うるさい。


「モモちゃん、見えてるー?」


 そう言って、自身も「モモ」と呼ばれる少女が画面の中で、ぶんぶんと手を振っている。


「魔法少女のモモちゃんと、──だったら私の事はレイちゃんって呼んで。魔法少女ラブリィレイ」

「分かったよレイちゃん。一緒にバグを倒そう」

「おーッ」


 どうにも──

 緊張感が無いんだよな。


     *

     *


「終わった」


 突如、モモと決めポーズを考えていたレイはそう言うと、何かを掬うみたいに右掌を上に向けた。


「ごめんなさい。適用プログラムを組むのに、少し時間がかかってしまって」


 レイが指を蠢かす。刹那、交差点の上空に広がる青空。そのすべてが赤いコードで埋め尽くされた。それは一瞬にして夕方になったかのような変化だった。モモは唖然とそれを見上げている。

 アタシのモニターの右端、ログ画面はとんでもない勢いでスクロールしていく。まるで嵐のように、情報が流れ込んでくる。どんな配信者の動画でも見たことがないような、まさに情報の奔流だった。

 カラフルなドアが次々と出現し、開いては消えていく。その動きを一切見ることなく、レイは言った。「さて。おいでませ」


「レイちゃん! あのドアッ!」


 モモが指差す先には、これまで無数に出現した扉──その中に一度も現れなかった色。白ではなく、無色のドア。

 それがゆっくりと。

 開いた。

次は「P-2」。

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