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C-4「地球の過ごし方 -全年齢版-」


「──もう最高ッ!」

声を出しながら目覚める事は珍しい。千香はDDAをスリープさせ頭から外そうとし、全身が汗ばんでいるのに気が付いた。よほど熱中していたのだろう。

不思議なものだ。苦笑しながら千香は身をよじって立ち上がった。現実世界ではどんなに不快な出来事に遭遇しようとも、こんなにも満たされた気分にはなれない。──大介と英二の夢を見た時だけ。

全身が汗まみれでもあったので、千香は風呂場に向かった。シャワーはぬるめの水温で長時間。余韻にも浸りたかった。規則正しく肌を叩かれる感触は、しだいに千香の体を目覚めさせていく。今回のダイブは長かったせいだろう。お腹が鳴った。面倒くさいが仕方ない。

レトルトパウチされた栄養補助食品を口にくわえながら、千香はDDAを始動させる。操作しながら出来る食事は限られているが、千香に不満は無かった。空腹を満たすという無駄な時間が人間にとって不可欠ならば、せめて有効に活用しなければならない。

昨晩の夢は大介と英二の心が深く結びつく場面だった。互いに寄り添い、感情を分かち合う姿に、千香は深い感動を覚えていた。男同士が愛する行為を、千香は正確には──いや。彼ら二人の友情の、その結びつきこそが千香が最も憧れる感情そのものだった。

千香は夢で見た感情を再現したいと強く願った。

その集大成が昨日の夢だ。最大限の慈愛を込めて夢の欠片を格納庫へと仕舞うと、千香は現実へと戻った。吐くため息さえ、いつもと違いピンク色に見えた。


「洗濯でもしようかな」

そう誰に言うでもなく宣言し、千香は洗濯機へと向かう。昨日脱ぎ捨てた衣服がそこにはあった。あるはずだった。

「──おや?」

探すと床に落ちていた。もはや洗濯機の上に積み上げるには難しい高さだったせいだろう。

鼻歌まじりに洗濯機を回す。二階堂千香は非常に満足していた。

二階堂カルスト。──衣類で築かれた山──を千香はそう呼んでいる。

それを横目で見ながら乾燥機の蓋を開け、濡れた布の塊を放り込む。駆動音と回転音のうなりを聞きながら、ベランダに腰を降ろし、千香は再び振り返った。

二階堂カルスト。

所詮、女の一人暮らしなのだから、持っている服の数は知れている。ただでさえ千香はおしゃれに興味がない。アクセサリーもブランドバッグも持ってはいるが、どれも仕事の客からの頂き物だった。その気になりさえすれば、整理整頓は困難な事ではない。長年抱える問題を千香は重々承知しているのだが、「その気」という奴はなかなか姿を現さない。ご機嫌な今でさえ洗濯、乾燥までしか行えないのだから、実存を疑うレベルだ。

ごぅんごぅんという心地いいリズムに耳を傾けて、千香の思考は加速する──。

ハウスキーパーを雇おうか。それはもったいない。心をすり減らしてまで得た給金だ。なんとか無給で……親? 家を出た時から一度も会っていない。マネージャさんは頼めばしてくれないかな。してくれないよな。

いや、探せばいるのかも。部屋を片付けてくれる便利な人間。世の中──客の中にはそんな逸材が眠っているのかもしれない。報酬は、部屋の物をご自由にどうぞ、といえば喜んで寄ってこよう。接客する気はないからDDAをかぶって、あとは好きにしてくださいって言えばいい。フィードバックをいじってさえいれば、多少へこへこされようとも衝撃検知が作動して起こされないで済む。

──ああ駄目だ。いいアイディアだと思われたが、すぐに却下する。DDAはシステム上、強烈な痛みを消す設定にはできない。乱暴な扱い、端的に言えば突き飛ばされただけでシャットダウンする。

では、これはどうだ。この部屋には衣服が文字通り山積みになっている。留守中に部屋を片付ける報酬として、それをご自由にどうぞ、というのは。そっちの方が喜ぶ性癖の持ち主もいるはずだ。留守中に他人に部屋を漁られる恐怖はみじんもない。盗聴、盗撮、かまわない。盗られて困るような物は──ひとつしかない。

千香が所有しているDDAは4台。現在使用している物はマットブラックの塗装がされたハイエンドモデルで、最新機種で、通算5台目だった。

最初のDDAは──17歳の時に「血が滲む」努力をして購入した物は、両親によって取り上げられてしまった。

2代目はこの仕事を始めて買った。それから二年ごとのマイナーチェンジのたびに最新鋭、最高級の物を買っているわけだが、データを移動している事実がある限り、5台目だけが千香の全てだった。押入れに眠るオブジェに興味は無い。


──ピピピピピ。

アラーム音で千香は正気に戻る。いつか乾燥も終了していた。スマホが鳴らす電子音だけが、夕暮れの空気を吸い込んだ部屋の中で響いている。空想の時間は終わり。仕事の時間だ。三たびDDAをかぶる誘惑にかられたが、当欠・遅刻に厳しい業界だ、あきらめることにしよう。

 バックレには甘いのにな。先日も一人いなくなった同僚を思い出す。実年齢は少し下だったが、童顔の千香より年上に設定されていた娘だ。聞きたくもない彼氏の話は、働かないとかすぐに金を無心するだの、いつも振り回されているエピソードばかり。

「たしか名前は……」

ふみの、という源氏名をすぐに思い出したが、本名でもない、思い出すほどでもない、どうでもいい記憶だった。千香は舌打ちした。



     *


「大介」は「英二」のすべてで、それは千香も同じ。


     *


ため息ひとつ、思考を遮断し、コマンド入力されたロボットみたいに出発のルーティンワークに取り掛かる。

歯磨きしながら、山から下着を発掘する。上下お揃いは探し出せなかったが、どうせ事務所で着替えるのだ。千香はちぐはぐなインナーを身に着けると、別の山からTシャツとジーンズを見つけた。

好みというよりも楽な格好。バッグは貰ったブランド品しか持っていないから、アンバランスではあるけれど、見ようによってはお洒落だろう。そう自分に言い聞かせて、今度は洗面台へと向かう。

アクセサリは無駄なので身に付けない。香水もふらない。化粧はナチュラルを心がけるが、念入りに。まつエクのおかげでアイメイクの時間は大分短くなった。つけまつげは取れた時が面倒くさいので自前で充分だ。セミロングの髪をブラシで軽くとかして、再度服装をチェックする。

こんなものでいいだろう。派手な金属のロゴが目立つバッグを片手に携帯をチェック。19時スタートで予約が入っている。愛用のオレンジのスニーカーを履くと、外に出た。鍵を閉め、踵を返す。


     *


「英二」は「大介」のすべてで、それは千香も同じ。


     *


電車でひと駅。事務所に入ると、ロッカーにバッグをしまい、仕事道具が入った袋と取り換えた。中身を確認する。──消毒作用のあるうがい薬。ボディソープ。歯磨きセット。──タイマー。タオル。替えの服。──そして化粧ポーチ。オプション次第では衣装を詰め込む、大きなトートバッグを肩にかけると、今度はお店の車に乗り込んだ。

10分ほど揺られて目的のホテルに着く。迷わず指定された部屋に向かう。まごまごしていて、声をかけられでもしたら面倒だ。ノックし、客に迎え入れられたら金銭を受け取り、「接客」を始める。タイマーが鳴るまでの、他人のための時間を。

     *

「大介」と「英二」は、千香のすべて。

     *

    

ホテルを出ると、待っていた送迎車に乗り込む。予約があればこのまま直行、なければ待機所。金曜日という事もあり、比較的待たされずに済んだ。──7時間で4本の予約。多い方だろう。日付が変わって店に戻って、本日分の給金を受け取った。コンビニまで送ってもらうと、家まで歩き、鍵を開けて電気を点けて。服を脱ぎ捨て、シャワーで体を清めて、DDAを被る。今日は大介になる。

夢が終わったら、また不快な時間を過ごし、DDAのための給金を得る。玄関を開けて、電気を点けて、服を脱いで。英二になる。

目覚めて、男の相手をして、鍵を開けて、電気を点けて、服を脱いで、次は大介に。

起きて、心をすり減らし、英二に。

3日働いて4日眠るというのが、二階堂千香の生活のすべてだった。この3日がなくなればいいのに。千香はいつも考えていた。

この現実こそが、夢だったらいいのに!

次は「M-3」。

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