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D-2 「大団円とは言わせない」



「もう少し──力を抜け。塗りにくい」


「そ、そんな事言われたってさ」


おれの意思に反抗するみたいに体が勝手に動いてしまうんだから仕方がない。いくら覚悟を決めたって、怖いものは怖い。

おれはベッドに座って、口を尖らせていた。エサを待つひなどりみたいだけど、待っているのはキスじゃなくてリップクリームだった。

おまえ唇ガサガサだな。する気が起きない、と言い張る英二に説得されてしまったからだ。

別にそんなのいいじゃねーか。おれは反抗してみたが、キスをしないと出られない部屋で、相手がその気になってくれないと、困るのはおれだ。あきらめるしかない。


英二が差し出したスティックが、ツンと唇に触れた。思わず体をビクつかせてしまったが、おとなしくされるがままにするおれ。


「あんまり動くな」


ぐいっ、と頭をつかまれてしまった。ぬめぬめん、とクリームがぬられていく。なんか変な感覚。くすぐったい気もするし、かゆい気もする。


行って帰るように動いたリップは、2周目に突入した。なんでだよ!


「お、おまえ、面白がってるだろ」


「口を動かすんじゃない」


英二は真剣な顔だ。男口にリップをぬるのなんて、そんなに集中してやることか?


「必要なことだ」


「あんで?」


「厚くぬった方が感触が減るだろ」


それもそうか。そうだな。おれは納得しかけたが、……そうか?

じゃあ、おれもぬってやるべきだな。

英二の手からリップのスティックを奪いとる。それを英二の唇に──

これはもう間接キスだな。

そう考えてしまったらダメだった。なにアホなことを。それは自分でもそう思う。ガキじゃあるまいし。それは自分が1番思うんだってば。

でもダメだった。しかも俺の口をぐるんぐるん周回して、おれのエキスをたっぷりと吸ったクリームだ。イヤだし、イヤだろう。

そう決めつけて、おれはベッドからころがり落ちるように、ドアの謎ボックスまで行った。たしかもう1本、新しいやつがあったはず!

なにをやってんだか。英二は何も言わなかったが、絶対にそう思ったに違いない。


「おまたせ」


おれはスティックのキャップを開けて、英二の顔を見上げる。やっぱ少し高い。


「……かがめよ」


「はいはい」


英二はさっきのおれと同じように、ベッドに腰かけた。今度は俺の方が高くなる。どちらにしろ、ぬりにくい。おれは身を屈めると──

英二の顔を間近で見た。

くそっ。人類の不平等さしか感じない。

いつ見ても、ルネサンスの巨匠が、少女漫画のヒーローを描いたような顔だ。担当編集に「これ理想が入りすぎて現実感がないですね」って理由で全ボツくらっちゃうほど、整った顔をしている。

リップなんて必要ないくらい、唇だってぷっるぷるなのだ。日頃からケアをしてないと、こうはならないはずだ。毎日仕事から帰ったら、お酒飲んで寝てしまう俺とは違って……。

なにかおれに都合の悪い展開になりそうだったので、おれはあらためて手先に集中した。


「……できたか」


「急に目をあけんな!」


英二の瞳は、夜の空を思わせる深さだった。間近で見てしまったおれは思わず、ずぞぞ……と、のけぞってしまった。これは……あかん! なんだこのキラキラした目は! このまなざしに騙されてしまう女は、それこそ星の数ほどいるだろう。


「ずるい!」


「なにがだよ」


そう答えた英二だったが、すぐにおれが考えたことを察したようで、ふふんと鼻で笑った。


「うらやましいか?」


むかつく!


「そんな、いいモンじゃないけどな」


……おや。

英二の目の中の、いっぱいある星のひとつが今、流れて落ちていった気がした。寂しそうだ、とおれは正直思ってしまった。


「欲しけりゃ、おまえにやるよ」


「どうやってッ!」


おれのツッコミに、英二はほほえんだ。面白くて笑ったんじゃないとはわかったけど、何を考えたのかまでは不明だった。


英二が立ち上がる。「さて──と」


ぎくりっ。


「おまちかねの時間だな」


「待ってねーよ」


「早く帰りたいんじゃなかったのか?」


「それはそうだけど」


「あ。こら。逃げるな」


逃げてねーよ。と反論したかったけど、おれの体はまったくおれのいうことを聞かない。近づいてくる英二と、磁石のように反発してしまう。

こわいのか? こわがってるのか俺?


「少し休憩するか」


そう言って英二がベッドに座った。

見透かされた気分で、おれはくやしかった。英二とは反対の隅で、マットに飛び込むと顔をうずめた。

生き恥さらしてんなあ。耳が熱くなってるのがわかる。

あいつは今、どんな表情をしてるのだろう。ふと顔をずらして視線を向けると、英二は顔を──目から口元までを片手で覆っていた。


いつも自信満々で、どんな仕事であっても淡々とこなしてしまうスーパーエリート同期の、あまり見た事がない仕草におれは胸が苦しくなった。

……気分でも悪くなったのかな。

そりゃあそうだろう。強制的に男とキスしないといけないのだ。おれもキツイけど、あいつだってキツイに決まっている。


「──だい、じょうぶか?」


おれの言葉に、英二は指の隙間から驚いた表情を見せた。


「それはこっちのセリフだ。大丈夫か?」


「大丈夫」


「気分が悪かったり、するか?」


「平気」


「なら──次のステップだ」


どしん、とおれの体がゆれた。ベッドの端から端まで跳躍したみたいに、英二が距離をつめてきた。いつのまにか俺の隣に座っている。流れるような動作でスムーズの極みだったけど、自然体すぎて──怖い。そうやって、あまたの女を……。

ふいに腰に手を置かれる。ヒィッと声をあげかけて、おれはマットで口をふさいだ。

そうやって、あまたの女を口説いてきたんだろ!


「噛みつかれるかと思った」


「おれは野生動物か!」



英二とは小・中・高・大、それに就職先まで一緒だった。くされ縁としかいいようがない。

賢くて運動もできてツラもいい、なんでもできる英二。対して、バカなクソガキでしかないおれは、いっつも比較されてきた。


『英二くんみたいに頑張りなさい』

『これくらい英二はできたぞ』

『英二は100点なのに、おまえは』


うるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさい。


⚪︎美ちゃんも⚪︎絵ちゃんも⚪︎香さんも、おれが好きになった子はみぃーんな! 英二が好きだった。英二に興味がなかった⚪︎奈ちゃんも、おれにからんできた英二がついでみたいに声をかけただけで、あっさり──「ごめんね大介くん。私、好きな人がいるの」って。英二だろ、わかってんだよそんなの。いつだって英二。英二英二。英二英二英二。


おかげで、大人になってもキスもしたことない、クソガキ童貞ヘンクツ野郎ができあがっちまった。

おれは英二をにらみつける。


「泣いているのか?」


おれの瞳に浮かぶものをめざとく見つけ、英二が困惑した表情をしていた。拳で乱暴にぬぐってはみたけど、とてもごまかせた気にはならない。


「泣いてねーよ」


「……そんなに嫌だったか」


「嫌じゃねーよ!」


つい反射的に叫んでしまうおれ。英二が驚いた顔をしていたし、自分でも驚いていた。


そうなのだ。嫌じゃないのだおれは。

くやしいけれど、それを否定するほどには、おれは腐っちゃいないつもりだった。


頭がよくて顔がよくて運動もできる英二。

だけじゃなくて。

電車では席をゆずるし。横断歩道ではこどものために車を止めるし。落としものは拾って届けるし。店員さんにもありがとうって言う。なんだったら、雨にぬれた子猫にカサをあげちゃうような奴だ。

だけじゃなくて。

学校休んだおれに勉強教えくれたし。忘れものを届けてくれたし。先輩にインネンつけられたおれをかばってくれたし。ケガで野球をやめた日。ひと晩中、なにも言わずにそばにいてくれた。


そんな優しさを否定するほどには、おれは腐っちゃいないつもりだった。


男とキスするのはイヤだ。

なんだったら、今から逃げ出したいくらいだ。

でも。

しなきゃなんないなら──。


英二が良かった。英二で良かった。


「──うん!」


おれは自分の頬をちからいっぱい張った。パァンと音が響いて、真っ白な部屋に吸い込まれるように消えた。頬には痛みが残った。


「どうした?」


「ちょっと自分に喝を」


そんな気合い入れるようなもんか? と自分でも思ったが、おれはこういうやり方しかできない。こういう方法が性に合っている。


「よっしゃ! バッチコーイ!」


英二が苦笑した。「なんだそれ」


「ヘイヘイ。ビビってるーぅ」


「ヤジり方が草野球のそれだ」


元・野球部なんだからしょうがないだろ。


おれは立ち上がって、英二の手を引いた。

グイッとカッコよく引き上げたつもりだったが、体格差はいかんともしがたくて、ワルツでも踊ってるみたいに、おれと英二は手を取り合ったまま。

壁際にドン! 結局、俺が壁に背中を付けた体勢になってしまった。

おおいかぶさるように、英二。額のあたりに優しい声で話しかけてくる。


「──いいのか?」


「おうっ」


「じゃあ──するぞ」


「お、おう!」


「本当に?」


「……ぉぅ」


そう何度も聞かれると、ちょっと不安になってくるな。なにかおれ、忘れてます? 英二の目を見てみたが、どうにもわからなかった。剣道してる時の表情に似てる。

防具つけてる時じゃないよ? あんなわずかな隙間から中の様子が見えたら、鳥か超人だ。

試合前の、正座して、頭にタオル巻いた状態で、出番を待つ時の顔だ。緊張しているような、楽しみにしているような。怒ったような笑っているような。修学旅行で見た仏像のどれかに似ている……。


あ。「ちょい待った!」


「どうした?」


しまった。昨日酒飲んでラーメン食べてた! 

しかもニンニクマシマシ、油ギトギトのやつ!

急いで手で袋を作って、はーっと吐いてみたが臭いはよくわからなかった。


「ちょっと俺ハミガキしてくる」


「うるさい」


英二が言った。「もう待てるか」

……そんなに早く帰りたかったんだな、俺はそんなことを思いながら、英二のキスを受け入れた。


扉の方から「カチャン」と鍵が開く音が聞こえたが、英二は口づけをやめようとしなかった。

聞こえなかったのかな?


     *

     *


「いつまでキスするつもりだ!」


ドンッと思いきり突き飛ばしたつもりだったけど、英二は少しよろめいただけだった。

埋めがたい体格の差!


「いや。すまない。つい──な」


そう言って、英二は舌なめずりをする。やめろよエロい顔すんの! なんだおまえ。フェロモンのかたまりか!

おれはなんだか恥ずかしくなって、ゴホンとせき払いをした。


「開いた、みたいだぞ」


「だな」


かゆいのか──おれの唾液を拭きとっているのか──だとしたらなんて奴だ! ──自分の唇をしきりになでる英二。


その行為をふいにやめ、その場にしゃがむ。


「大介。ちょっといいか?」


なにやってんだ?

首をかしげたおれの手を取り──

手の甲にキスをする。深窓の姫君にうやうやしくかしづく騎士のように。


カチャン。

ドアの鍵が回る音がした。

──は?


「……やっぱりか」


そう言って英二は今度は、ベッドに置いてあった枕を手に取って、それにキスをした。


カチャン。


「はあぁあ?」


「この部屋──キスの概念がガバガバだぞ」


 はああああああ?


「さっきリップぬってた時、開いた音がした」


 はあああああああああああ?


「おまえがベッドにダイブした時も開いてたぞ」


 はあああああああああああああああああ?


 頭が爆発しそうだった。

 なんだそりゃなんだそりゃ。

 意味わからん意味わからん意味わからん。


「はあ? なんだそりゃ。なんだそのバカ設定。バカだバカ。相手が無機物でもいいなら、なんでもいいじゃないか。人間を2人閉じこめんなよ。てっきりそういうことだと思うじゃないか。っていうか思っただろ! てことはなんだ、おれはなんであんなに悩んで、苦しんで、男とキスする決断しなきゃなんなかったんだよ! なんで英二とキスしなきゃなんなかったんだよッ!」


「ごちそうさま」


ウインクすんな。


「っていうか英二。おまえ気づいてたんだろ。途中で何度もこの部屋のキス認定がガバガバだったって気がついてたんだろ。なんでしたんだよ。なんで俺の──大切にしていた──ファーストキスを奪うんだよ。どういうつもりだこの野郎ッ」


おれの全力をもってして放った渾身のツッコミに、英二は笑って答えた。


「すまない。つい──な」


「つい、ですむかあぁあああああああ!」

次は「C-4」。全年齢版をアップし、通常版はミッドナイトへ。

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