C-3 「地上の星 -全年齢版-」
二階堂千香は休み時間を、ずっと窓の外を眺めて過ごす。その理由は単純に趣味が合う友人がいなかったからだった。中学の頃は、男同士の「美しい友情」について話ができる者もいたが、進学すると皆無だった。
同じ趣味を持つ人は必ずどこかにいるはずだ。そう見渡してみるが皆──テレビの話、ファッションの話、メイクの話、恋愛の話……。そういった話が千香も嫌いではなかったが、いかんせん優先順位が低かった。だから。
「好きです、付き合ってください」
男子は──名前は何だったか同じクラスなはずだが記憶にはない──頬を染め、頭を下げたが、その姿を見ても千香は何も感じなかった。
今月3人目だ。さすがに飽きてきた。クリスマスが近いので皆、焦っているのか人恋しくなる時期なのか。千香は内心でため息つく。外面の良さは理解していた。素材が悪くないのも知っていた。孤独を誤魔化すために過ごす時間が、外観を見下ろす深窓の令嬢っぽく思われたのだろうか。
「ごめんなさい」
「他に好きな男がいるんですか?」
「好きな男子って言うよりも、今は夢中になっている事があるから、恋愛は考えられないです」
いつも同じ返答をする事にしていた。嘘ではない。千香にとって、男とは父親以外では頭の中に住む「大介」と「英二」だけだし、恋愛と言えば彼ら二人の友情を指す言葉だった。
「そっか」
とだけ呟いて、男子は去っていく。己の要件さえ済めばそれでいいのか。毎回思う事だが、男の勝手な言動にはうんざりする。告白を断るたびに──悲しまれ──呆然とされ──落ち込み──喚き──怒りをあらわにし──罵倒され──時には危険を匂わせる事もあった。放っておいてくれればいいのに。
学校を後にすると、千香は電車に乗り込んだ。空気を吐き出す音を立て、扉が開く。車内はほぉっと暖かかった。騒がしい日常から解放されたせいか、千香は少しの安堵で幸福を覚える。
高校まではやや遠く、男子学生ならば自転車を駆使して通えないでもない距離だったが、親の勧めもあって電車通学を選んだ。一秒でも長く眠っていたい千香にとっては有り難かったが、朝のラッシュ時は好きではなかった。
髪や服が乱れる事もあるが、一番はその乱れの隙間を狙うように手や鞄が体に触れてくるからだ。
次の駅で乗車してくた老婦人に席を譲り、千香は窓の外を見ていた。次々と流れていく風景は校舎から見えるそれとはまったく異るが、似た雰囲気を持っていた。「ここじゃない」その感覚は寂寥感にも似ていた。
ふと目を上げると、広告が目に入った。扉の幅ほどのモニタに青い制服を着た、朗らかな笑顔を浮かべた女性が写っている。美容整形の広告らしい。理想の姿には食指は動かないが、理想のキャラを作り上げる事だったら興味あったな。千香は笑う。
誰とも共有できない記憶は留めようとしても時間経過で薄れてしまい、書き出すというアウトプットを重ねる事で、千香は「大介」と「英二」の存在を組み上げている。情報を記したノートはそれぞれ3冊目になったが、文字の情報だけではどうにも追いつかない。存在の概念を定めるには記憶ではなく、確固たる記録が欲しかった。
映像の中で女医らしい女が頭を下げると、次第に薄れていき、今度は整形外科のロゴが現れた。どうやら広告は終わりらしい。真っ白なモニタ。千香は目を逸らす。
──途端、再び映像に注視した。
「夢を自由にクリエイト」
その心惹かれるキャッチコピーの後に、紹介され始めたのが──DDAだった。
*
「……ラさん、クララさん!」
どうやら眠っていたらしい。
昔の夢を見ていた。高校生だった自分。あまり思い出しくない時分。今日出会った客の一人が、当時の担任に似ていたせいだ。本人だったかもしれない。記憶は不確かな物だ。
軽く目を擦って意識をはっきりさせると、千香は現状を確認する。固いスプリングのシート。肩から腹までを抑えるベルト。薄いオレンジの光。車内灯だけが照らす座席の隙間から、運転手が顔を半分だけ覗かせている。
「着きましたよ、クララさん」
「……ありがとうございます」
そう言って車を降りる。近所にあるコンビニの前だった。住処を知られない為に千香は仕事終わりには、ここまでを送ってもらっていた。
「大丈夫ですか? 具合悪いなら送りましょうか?」
自分と同年代か、少し若い運転手はそう言って気遣ってくれたが、言葉の裏に潜む下心を隠す技術には長けていないようだ。千香は丁重に断ると、踵を返して家へ向かった。
玄関を開け、中に入ると服を脱ぐ。洗濯機に放り込む。入らないのでそのまま上に積んだ。また洗濯をしなければ、と千香は舌打ちする。
洗濯機はいい。洗剤を入れてボタンを押すだけだ。乾燥機もいい。引っ張り出した衣類を放り込んでボタンを押すだけだ。問題はその後だ。──畳んで、仕舞う。もっとも手間を取られる作業で、もっとも千香が嫌う時間だった。
自然と、部屋には洗濯物の山ができる。それが部屋にはいくつもあった。上着の山。ズボンの山。シャツの山。インナーの山に、靴下の山。千香はこのリビングの光景を「二階堂カルスト」と呼んでいる。
絶景を尻目に、風呂場に入ると、いつものルーチンワークに取り掛かる。
今日の客は──特に「先生」が──最悪だった。千香の感情を逆撫でするような言動を繰り返すので、なんとかやり過ごしたものの、彼は千香を汚すために来たかのようだった。
「……不完全だ」
自分の心を汚されたと感じ、千香は大きくため息をついた。こっちの世界は本当に不完全に出来ている。強くそう思った。
生きるためにする無駄な作業が多すぎる。
栄養失調で倒れないように食事を摂ったり。
脱水症状を起こさないよう水分を補給したり。
眠りすぎて寝られない時にかじる眠剤は増える一方だ。
不快な会話を繰り返すたびに喉が痛みを増して。
毎日繰り返される同じ日常──
──そんな世界は、いらない。
千香は泣いていた。涙はきっと、心の垢を洗い流すためのものだ。
二階堂千香は手を緩めない。
*
DDAの存在を知ってすぐ、千香はスマホを用いてありったけを調べた。
夢を見る機械。
好きな夢を設定できる機械。
「夢を自由にクリエイト」、そんな謳い文句に偽りは無さそうだ。夢を自由に。それはそうだろう。なにせ夢だ。何でもありだ。たとえば──
大介と英二を作り上げる。いつでも彼らと会えるように。──だけに止まらず、第三者的な視点から二人の物語を見るのではなく、──大介として──英二として──体験する事もできるのだ。それはまさに夢のよう……。千香の心は激しく踊った。
突如、浮かれた千香は墜落する。DDAという太陽に近付きすぎたイカロスのように。
さすがに、これほどまでの高性能のマシンだ。その金額もそれなりだった。
「……マジか」
思わず口に出た強い台詞を聞き、隣に座った中年の男性がぎょっとした表情を浮かべたが、千香は気にも留めなかった。千香の頭は、どうやってDDAを買うか、ただそれだけしか考えていなかった。
親に言ってみる?
「こんな高い機械、何に使うの?」
「オリジナルBLを間近で見たいから」
──駄目だ。まず買って良いと言わない。購入に必要な金額は、千香の学費の三年分よりまだ多い。
頭を切り替えると、千香は検索画面をタップしてワードを入力する。「高校生」「大金を稼ぐ」等の語句を入れると、SNSの収益について出てきたが、収益化まで時間がかかりすぎるものも論外だった。千香は最短でDDA手に入れたい。
「……だったら……」
車窓から見える風景が、すっかり見覚えがあるものに変わっていた。電車が速度を緩めると、小さい頃から通うパン屋の看板が見えた。光の加減で反射した窓が己の顔を写す。千香はうっすらと笑っていた。人によっては魅惑的に思える笑顔だろう。長い髪。弓形の形のいい眉。まつげの下には大きな瞳。そこに宿る意思の輝き。
乗車時間14分。
それはDDAの存在を知り、調べ上げた千香が──自分にとって大切な何かを諦めることを決めるまでにかかった時間だ。SNSにはすでに「新しい自分になる」という決意を投稿し終わっていた。
*
「──ッ!」
目を見開いて千香は、思い出したように大きく息を吸い込んだ。ゆっくりと吐き出す。実際に呼吸が止まっていたのかもしれない。心臓が激しく鼓動を鳴らし、体内の血流がどくどくと脈打つ。全身には冷たい汗がまとまりついていた。
「……大丈夫? やりすぎちゃった?」
そう言って笑う男は手に、棒状の物を握っていた。似ている物なら千香も知っている。仕事で使用した事も数多くあった。だが、男が持っている物を体感したのは初めてだった。細い、小型の懐中電灯にも見えるが、これは違う。千香の意識はたやすく飛ばされたのだ。
「クララちゃん、雑魚すぎー」
「……そ、それ……」
声を出すのもつらかった。
「あ。これ? 俺が開発したマシン。凄かった? 試したのは初めてだったけど、気持ち良かったんじゃない? クララちゃん、気絶してたけど」
そう言って笑った男は、得意げに己が開発したマシンとやらの説明を続ける。簡単に言えばスタンガンだった。──強烈な電撃を先端から放出する──それを千香の首筋に撃ち込まれたのだ。気絶するのは当たり前だった。
「……」
千香は何も答えず、すっと立ち上がるとバッグだけ掴んでトイレに駆け込んだ。携帯を取り出す。右手でメールを送りながら、反対の手は財布の中身を確認する。
基本料金──受け取った。
オプション:「特別な演出」──受け取った。
オプション:「想定外の要求」──受け取った。
「どしたのクララちゃん」
「契約違反があったのでサービスを終了させていただきます」
「どういう事だよオイ!」
男が声を荒げ、個室のドアをどんどん叩き始めたが、千香は無視を続ける。オプション:「過剰な要求」の料金はもらっていない。それに──
携帯のカメラを自分の首筋に向ける。撮影された箇所には火傷のような凄惨さで赤く腫れ上がっていた。
危害を加える行為は一切禁止だ。
そしてこの世界は──
やっぱり不完全だ。
耳を塞ぎ、便器の上に座り込んで、千香はひたすら運転手兼ボディーガードの男が来るのを待った。
*
......初めての男は自分の父親に似ていた。二人目以降は覚えていない。己の容姿には少なからず自信があったし、自分の年齢に価値がある事も分かっていた。千香はDDAを得る為の努力を惜しまなかった。だがしかし、急ぎすぎたのかもしれない。
千香は17歳の誕生日を迎える前にDDAを手に入れ──
その翌日、失った。
次は「D-2」。全年齢版をアップし、通常版はムーンライトへ。




