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L-1 「Lucky encounter -全年齢版-」


ワタシは100円ライターだ。名前は付けられていない。

夜中でも明るく照らすコンビニのレジ前で、ずっと待機していたことだけは覚えている。

そこで、ワタシは最初の持ち主──千浦純子に出会った。


純子は、誰かを元気づけたり助けたりする仕事をしている人で、しかしその当時は何という考えもなかったから、ただ、彼女の掌に包まれて頭を押された時、何だかボボボボ……と燃えた感じがあるばかりだった。今でも覚えている。


純子は、仕事の合間にタバコを吸うためにワタシを取り出す。ワタシを押すその指の力強さは、嫌いどころか好ましかった。火がつかない時も、何度もカチカチと押される。そのリズムに、ワタシはついガスを噴出してしまう。



ある日、純子は仕事帰りにおやつを買って帰宅した。部屋に入ると、ゲームに夢中な友人の背中に飛びつき、笑顔で「お腹すいたから何か食べに行こう?」と声をかける。

友人はゲームに夢中で気づかないふりをするけれど、純子はめげない。

お菓子や飲み物を用意して、二人でわいわいと楽しむ時間が始まる。ワタシもバッグの中から揺られながら、その様子を見守る。


純子は、友人の頼みに応じて楽しい時間を演出する。お菓子を分け合ったり、ジュースを注いだり。友人のわがままな言動も、純子は柔らかく受け止め、笑顔で返す。その献身的な様子に、ワタシは何度も心を打たれた。


すべて終わった頃、いつものように純子がワタシを手に取るとタバコに火をつけた。友人の物には点けなくてもいい。ワタシはいっそ切れてやろうかとも考えたが、純子の指のあまりのしなやかさに、あえなくガスを噴出してしまった。

 紫煙が登る。

 純子の横顔がワタシは好きだった。テーブルの上に乗せられて見ると、純子はデュポンのライターのように美しかった。スリムなスタイルをしているくせに、この角度から見るとひとつひとつの作りの精細さがよくわかる。


 ワタシが純子の所有物となった日から272日と半分。その間にワタシが見た現実を、純子は見ていない。見えないではなく、見ないのかもしれないけれど。


     *

     *


 寒さが和らぎ、ワタシに内蔵された液体を気化させるのがたやすくなった頃だ。純子の様子がおかしい事に数日前からきづいていたが、ワタシはかける言葉もその言葉を紡ぐ口も持っていないから、ただガスを吹き出した。

 日々の中で、純子はしばしば寂しそうな顔を見せる。仕事や人付き合いの疲れ、友人とのすれ違い。ワタシはそんな純子を見て、少しでも幸せになってほしいと願った。

 その答え合わせは未だできていない。ワタシは純子の元より連れ去られ、それ以来姿を見ていないからだ。ワタシの頭を強く押す、彼女の指が恋しい。



ある日、ワタシは純子の友人──伍如田と言うらしい──に突然袋に入れられ、見知らぬ部屋に連れてこられた。ワタシを机の上に放り投げると、伍如田はベッドでぐーぐーと寝てしまった。

 やる事もないので部屋を見渡してみる。ワタシの右側は枕のせいでよくは見えないのだが、左手すぐにはヘルメットのような物があった。たしかDDAと呼ばれる、夢を見るための機械である。純子の部屋にもあった。

 ──質素なパチリ。おや、と思った。ワタシの頭部に電気が走ったからだ。頭のボタンがチリチリと痛む。DDAがウィーンと音を立てた。


     *


 ワタシは夢を見ていた。産まれて初めての経験だった。夢の中のワタシは手も足も生えており、まるで人間のようだった。ワタシは立ち上がると伍如田の部屋を出、外へと駆け出した。そこはぐにゃぐにゃとしている世界だった。真っ白で、真っ暗な、家やビルが伸び縮みしている。その中をワタシは走り続けた。純子のアパートを見つけると、階段を駆け上り、部屋へと駆け込んだ。純子が出迎えてくれる。「おかえり──」


     *


 ……ふと我に返ると、目の前にDDAがあった。今は静かだ。ありえないはずの、眠る、という人間みたいな現象にワタシは思いのほか疲れてしまったようだ。

 純子は元気だろうか。もしやワタシを探していないだろうか。急にいなくなって心配しているのではないか。そう期待したがすぐに自分の思い付きを笑い飛ばす。

 ワタシは所詮ライターだ。ダンヒルやロンソンといったブランド物ならまだしも、税込みでも200円を超えない安物の量販品。同じ色をした兄弟はそれこそ星の数ほどいる。コンビニで買い直して終わりだろう。


 伍如田は起きると、部屋を出て行った。たぶん純子の部屋に遊びに行ったのだと思う。連れていってくれたらいいのに。純子に会いたい。会って、ギ・ラロッシュのライターのような優雅な曲線を持つ指で、頭を何回もカチカチしてほしい。そうすれば思う存分ガスを噴出することができるのに……。


     *

     *


 伍如田との生活は4か月に渡った。といってもその124日間ずっとワタシは、枕と布団の隙間に入り込んでしまったせいで、1度も使用されることはなかったのだけれども。後に思えば、もっとも平穏な時間を過ごした、と言えるかもしれない。

「──お。こんなとこにあった」

 ふいに伍如田につままれ、紙袋に放り込まれる。

 連れられた先は、また知らない部屋だった。

 そこには見慣れない家具や小物が並ぶ部屋で、眼鏡をかけた女の人が座っていた。


 ワタシは少し不安になったが、目の前の状況を観察する。部屋には、純子の家にあったものと似たリードディフューザーや小さな瓶があり、純子を思い出させた。

 そして、純子と再会できる日を心待ちにしながら、今日もワタシは静かにガスを噴出している。

次は「S-2」。

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