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A-2「あくる日」


背中をバンと叩かれた。

「どうかしたのか? 顔色悪いぞ。また徹夜でもしたか?」

「あ、い、いえ、そ、そんな、こ、と……」

「……夢見が悪かった、とか?」

ミサキ先輩の言葉に、僕は言葉を失った。心臓が大きく跳ねる。まるで、僕の頭の中を覗き見られているかのようだ。


「あ、……いえ、夢は最高でした」

振り返ると僕は、つい口にしてしまった。

「へー」

ミサキ先輩は興味なさそうに、ただひと言だけそう言った。けれど。


「ミサキ先輩に、やっと好きだと言えた夢だったから」

僕の言葉に、先輩の目が大きく見開かれた。その表情は一瞬で元に戻ったけれど、僕は見逃さなかった。

「──へえ」

先生が講堂に入ってきて、なにやらフガフガ言っているのが聞こえたけれど、僕は視線を逸らさない。ただ、ミサキ先輩を見続けた。


「悪い冗談はやめろよな」

ミサキ先輩は少しだけ微笑んだ。その口元は、夢の中の告白を断った時と同じ、どこかニヤついた、悲しい笑みだった。

「講義、始まったぞ」

言われて僕はしぶしぶ、後ろに向けていた顔を戻した。先生がテキストを開いて、何かを言っていた。よく聞こえなかった。


「聞かなかったことにするよ」

その呟くような声だけが、耳に響いた。


──ッ ブツッ。──


     *


DDAはユーザーの脳を守るため、いくつかの安全装置を備えている。


気がつくと僕は、大きな心臓になっていた。頭のてっぺんから爪先まで、全身の細胞が激しく脈動する。その衝撃に合わせて何度も、ベッドの上で跳ねる体。打ち上げられた魚か。


時間と共に少しずつ動悸が治ってくると、その大きな心臓には目がある事に気がついた。

ぼんやりと文字が見えてくる。

真っ赤な警告。


『DDA SYSTEM: USER MENTAL STRESS OVERLOAD』


大きな心臓には耳もあったらしい。

女性の声に設定したアナウンスは無機質だが、その分だけ明瞭だった。

「ユーザーの精神的ストレスが過負荷状態です。接続を遮断しました」


僕には手も指もあったようだ。DDAとの隙間に指先を差し込み、汗だくだった額を拭う。強制遮断を受けた時は毎回こうだ。

視線誘導でカーソルを操作すると、ログで先ほどまで見ていた夢を確認する。

夢の欠片が記憶したのは32秒だった。

わずかだった。けれど、先刻よりも11秒も長い。会話が続いたおかげだろう。


実際に寝て見る夢と同じく、DDAが見せる夢には時間の概念が無い。恐ろしくゆっくりと世界が動いているようで、その実、認識できないほど加速している。あっという間に、「あああああああああ」って言えるほどだ。

学校に行って、ミサキ先輩に会って、会話して告白した先ほどの夢が──32秒。


タイムスリップ機能というらしい。現実の1分が夢の中では10分になる。計算上、連続使用の限界が60分なのだから、夢の中では10時間になる。

…はずだ。激しく疲労していた僕の脳は少しは落ち着いてきたようだ。計算は合っている。

その上、DDAには夢のやり直し──リスタート機能もあるのだ。何かまずい展開があればお好きな場面から再挑戦できる。


僕は視線を絶え間なく動かし続け、どんどん設定を完了していく。視界の端にあるカウンターは連続使用時間の残りを表している。

42:55:15


DDAには明確な使用制限がある。

「1日の使用時間は最大2時間、連続使用は60分まで」

連続使用後は次の使用まで最低30分のクールダウンが必要とされている。脳にある意味負荷をかける装置だ。ユーザーの安全は第一に考えられている。つまり今回僕がダイブできる時間は残り43分弱。充分だ。


ミサキ先輩の前に座った瞬間を再び──何度目だっけ──起点設定し、僕はリスタートした。


     *


背中をバンと叩かれた。

「どうかしたのか? 顔色悪いぞ。また徹夜でもしたか?」

「あ、い、いえ、そ、そんな、こ、と……」

「……夢見が悪かった、とか?」

ミサキ先輩のその言葉に、僕は言葉を失った。

──のはもうやめた。

「そ、そうなんです。悪夢見たみたいで」

「へー」

やはりミサキ先輩の反応はそっけない。

けれど。


小さくポツリと「見た、みたい」と呟き、語感の面白さにちょっとだけ笑みを浮かべた。八重歯が見えて、子供みたいだ。


そんなのを目の当たりにしてしまうと、僕は。

「先輩!」

僕はこれまでの試行錯誤から生み出した、今回試そうとしていた展開を完全に忘れてしまっていた。立ち上がりざま振り向き、

「好きです!」

思わず言ってしまっていた。


あ、と思った時にはすでに遅く。

力みを解いて目を開けると、ミサキ先輩が困り果てた顔でこっちを睨んでいた。

「……お前さあ」

どうやら僕は器用にもまぶただけでなく、耳も閉じていたらしい。

今頃になって周囲のざわつきが聞こえてきた。それはそうだろう。講義中に大声で告白。しかも──


ミサキ先輩の大きなため息。

僕はめまいを覚えて、再び目と耳を。

だけでなく、ありとあらゆる器官をシャットダウンした。


──ッ ブツッ。──


     *


っぶはあああ。

呼吸という機能が備わっていた事を思い出して、僕は目を覚ました。

視界にはもう、お馴染みになってしまった強制遮断のアラート。アナウンス。

僕は息だけ整えると、何度も繰り返した操作を行い、ダイブした。


     *


背中をバンと叩かれた。

「どうかしたのか? 顔色悪いぞ。また徹夜でもしたか?」


     *


警告。設定完了。ダイブ。


     *


背中をバンと叩かれた。

「どうかしたのか? 顔色悪い……


     *


警告。設定。ダイブ。


     *


背中をバンと叩かれた。

「どうかし……


     *


警告。設定……


     *


背中をバンと叩かれ……


     *


警告……


     *


背中をバ……


     *



     *



     *


背背背背背背背背背背背背背背背


     *


警警警警警警警警警警警警警警警


     *

     *


……どうやら詰みゲーらしい。

やってない作品で部屋の片隅に塔を作るわけじゃなく、展開が詰んだゲームという意味だ。


僕はすっかり疲労してしまい、DDAを外す力さえなかった。気持ちもなかった。

目の前には繰り返して目撃した警告ではなく、違う文字が浮かんでいた。


『DDA SYSTEM: TIME LIMIT REACHED』


女性ボイスが日本語訳を教えてくれる。

「連続使用時間が終了しました。今回の潜行を終了します」


日本語学の講義。

部室の次に、告白するにはここしかないと狙いをつけていたのに。外れたショックは存外大きい。

ミサキ先輩は2年生。サークルに毎日顔を出す僕とは違い、何か用事があるのかあまり来ない。多くて週2だ。しかも気まぐれな性格だからふらふらふらふら、予想もつかない。癖っ毛が耳みたいで、本当に猫みたいな人だ。

毎週確実に会えるのがこの講義だけだったのに。だから昨日の邂逅を夢の欠片として保存して、繰り返して再生したのに。


でも結果は失敗。繰り返すバッドエンドは、このルートではないという証明だろう。どこかでフラグ回収を忘れたか?

……ゲームじゃあるまいしフラグって。

そう独りごちると、ふっと肩の力が抜けた。休憩しよう。枕元にDDAを脱ぎ捨て、僕は汗まみれの体に力を入れて、シャワーでも浴びようかとベッドから立ち上がろうとした。


そのまま僕は倒れた。

意識が飛んだ。


     *


「……先輩の事が本気で好きです。付き合ってください」


     *

     *


「……へえ、本気だったんだ。面白そうじゃん。付き合ってあげるよ」


     *

     *

     *


……あれ?


反射的に僕は額に手をやったが、その手は何も掴まなかった。

あれ? あれ?

なんだかうまく頭が働かない。真っ暗で何も見えない。手探りでスマホを探したが、ここはどうやら床だった。

手だけでなく肘まで使い、ベッドの上に這い登る。記憶だけを頼りに手探りで探すと、指先がDDAを見つけ出した。


ということは。


僕は今、ミサキ先輩に告白をして。

そして──快諾された。

夢を見ていた。


ということは。

ということは。


「……記録は……?」

それに気づくと一気に、顔面の血の気が引くのがわかった。

慌ててDDAをかぶるが、体がうまく動かせない。呼吸を整え、冷静になろうと努めた。焦ってはいけない。

せっかく見つけたハッピーエンドの手がかりを、ここで失うわけにはいかない。

何とか電源を入れ、コンソールを操作するとログ格納庫を開く。ここには大量の夢の欠片が収納されている。リストを、ひたすらスクロールしていく。


……

「日本語学講座・失敗編3」

「日本語学講座・失敗編2」

「日本語学講座・失敗編1」

「放課後の部室・失敗編12」

「放課後の部室・失敗編11」

「放課後の部室・失敗編10」

……


ずらりと並ぶ失敗の記録。しかし、どれだけスクロールしても、探す夢の記録は見つからない。

快諾されたあのセリフ。嬉しそうに微笑んだミサキ先輩の顔。全てが鮮明に思い出せるのに、ログはそこにない。焦りから来る冷や汗が、背中を伝う。

DDAの記録は、起動から終了までを完全なデータとして保存するはずだ。ここに保存されていないということは──


あの奇跡はただの夢。

僕自身の、ただの夢。


そう思った瞬間、心臓が大きく跳ねた。

DDAが作動している限り、見る夢は常時記録され続けて、その分だけ細部までクリアだ。どんなに時間がたっても、再現可能だ。

一方、DDAをつけていない状態で見る「ただの夢」は、現実の記憶よりも遥かに曖昧。ユメマボロシとはよく言ったものだ。


僕はもう一度あの夢を思い出そうと試みた。しかし、いくら思い返しても、ミサキ先輩が快諾してくれた夢の詳細は、靄がかかったようにぼんやりとしている。

あのときのシチュエーションは?

場所は?

交わした会話は?

快諾してくれたという結果だけが、鮮明に心に焼きついている。


僕は、DDAを再び操作する。

記録には残っていない。でも、僕の記憶には残っている。ならば、僕の記憶を頼りに、あの夢を再現すればいい。深呼吸ひとつ。


思い出せ思い出せ思い出せ思い出せ。

シチュエーションを。交わした会話を。

思い出せ思い出せ思い出せ思い出せ思い出せ思い出せ思い出せ。

愛する人を。その一挙手一投足を。

思い出せ思い出せ思い出せ思い出せ思い出せ思い出せ思い出せ思い出せ思い出せ。

ミサキ先輩。ミサキ先輩。ミサキ先輩。ミサキ先輩。ミサキ先輩。ミサキ──

次は「C-1」。「全年齢版」をアップし、「通常版」はミッドナイトへ。

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