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B-4 「別所はそして夢を見る」


可能だと伊達夏芽が肯定した、俺が立てた計画は、いたってシンプルなものだった。バグより先にモモが夢の中に潜むというものだった。計画を打ち明けられた時、伊達夏芽はつぶらな目を大きく開けて驚きを表した。


俺が夢を見始めると──俺は手首の桃色をした鈴を見た──この鈴がなり、夢の発生をプリティモモに教えてくれる。その音が聞こえた時から、モモは扉をくぐり抜けて夢を渡り始める。

自分の夢から飛んで、直近の誰かが見る夢へと着地し、また近くの夢へと飛ぶ。隣の市に住む伊達夏芽──プリティモモとジュジュは俺の夢へとやってくる際に、その時の飛島の距離にもよるが、だいたい5から8ほどの扉を抜けるらしい。

一方、バグ──何度も襲ってきた謎の老人の事だ──は、夢の発生時点での侵入が可能だそうだ。

つまり、モモはどうやってもバグの後手に回ってしまう。


「じゃあまず、その『どうやっても』の部分を何とかしよう」


目的地が所在不明の夢の場合は、行き先がランダムな扉を繰り返し開けるしかないが、今回は俺の夢が対象ーだ。


「発生源のすぐそばにいればいいだけの話だ」

「そばに……って」

「隣で寝るのが理想だが、嫁入り前の娘さんにそんな真似はさせられない。伊達くんもこんなオジサンと同室で寝る、なんて嫌だろう。しかも2人きりだ。誰かに見られようものなら、風評被害だけでお互い大損失だ。そこで部屋を2つ使う」


別所研究室と、隣の準備室だ。研究室には横になれるソファが、準備室には仮眠用の布団セットが備わっている。これならば、それぞれ別の出入り口を使うし、夢を渡る数も──ドアtoドアとまではいかなかったとしても──少なく済む。


「鈴が鳴ってから到着までの時間を知りたいところだな。伊達くん?」

「は、はい」

「今から2時間ほど、時間に都合はつくかい?」


それが2時間前の話──。


そして今。

手にしたカップの内容物は、ようやく口が付けられる温度になったようだ。伊達夏芽はコーヒーをひと口飲んだ。


「猫になっている分だけ猫舌になってたりするのか」

「いえ、そんな……」

「モモが到着するまで体感で22秒だった。鈴が鳴って、動き始めてもこの時間で到着できるなら、バグが来るまでに、こちらも何か準備もできるかもしれない」

「あ、はい……」

「夢の中に持ち込めるのは身に着けていた物のみという事は、防弾ジャケットのような物を着て眠ればいいのか」

「えっと、それは……」


そう言って伊達夏芽は顔を伏せた。俺の提案の突拍子の無さに絶句したというよりも、自分の中の情報をうまく言い表す言葉を探している、と感じた。コミュニケーションがうまくない理由はそこにあるのではないかと勘繰る。こういった教え子の状況に、助け舟を出してやるのも、教師としての務めだ。さて、どうしたものか。


「性格だけジュジュになれたりしないのか?」

「え?」


顔を上げた伊達夏芽と目が合った。赤面して顔を逸らそうとする彼女を安心させるように、俺はにこりという笑みを浮かべる。


「そういえば、研究時も2人で話す事はなかったな。まあ、ゆっくりと慣れていってほしいところだが、あいにく時間がないんでね。性格だけあの猫になれるんなら、もう少し話が進むのかな、と思ってね」


あいつと話すのは好きだ、と俺は言った。正確に言えば「嫌いじゃない」なのだが、今はあえて誇張しておく。


おそらくジュジュは、夏芽の本心を担当をしている。人間の建前や立場など猫は気にするはずもない。思った事、言いたい事を何の遠慮も無しに口にしたい時、ジュジュがしゃべる。猫の口を借りて発する本音。男性のボイスというのも、いかにも本能が司っている証拠と言えよう。

伊達夏芽が言えない事。伊達夏芽の本当の部分。


「……」

「…………」


しばしの沈黙。

それを破ったのは夏芽の方だった。


「……ワガハイが話を聞いてやるニャン、よー?」


精一杯なのだろう。声が震えている。


「……」

「…………」


沈黙を破ったのは、俺の方だった。

ぶぼはっ。

と、盛大にコーヒーを吹き出す。とっさに伊達夏芽から顔を背けたせいで、本棚が液体まみれになったが、それに対処も出来ず、俺は笑う。

あっはっははははっははは、と下を向き。ははははははは、と肩を震わせる。あっはっははははっはっはっはっはっははははははははははっはは。


「ごめ……ちが、……君を笑ったんじゃなくって、……日頃は大人しくて清楚な……君が急に……モノマネをした……、そのギャップが……」

 

喉を笑い声が通過するせいで、うまく言葉が繋がらない。申し訳ないとは思うけれど、思うだけで体は言う事を聞かない。伊達夏芽の様子を伺うが、最初彼女は耳まで真っ赤にしていたが、その内、俺に釣られたように笑みを浮かべた。


「もうっ! 好きなだけ笑ってください」


そう言った彼女は、友人の陰に隠れている普段とは違って見え、改めて俺は伊達夏芽という女子生徒に興味を覚えた。大きな丸眼鏡をかけた──今更気付いたがそれは伊達眼鏡だった──、編んだ髪を肩まで垂らした、少し線の細い、男性恐怖症の少女。興味があるとは言ってもそれは文字通りで、もちろん他意は無い。俺は妻を愛している。


     *

     *


などと格好つけていても、咽せながら再び笑い出し、お腹を押さえる俺の姿はひどく滑稽だっただろう。ようやく笑いの衝動を抑える事ができた俺は、声を出す事にも成功した。


「……お腹痛い」

「知りませんよ、そんなの」


今度は伊達夏芽が笑い出す。笑いの発作は感染するものだったらしい。


「先生がそんなに笑い上戸だったとは、知りませんでした」

「ツボに入ってしまうとどうもね。日頃は生徒の手前、威厳がなくなるから我慢しているが、今日のはどうも駄目だった。申し訳ない」

「謝られても」

「──で、何の話だったかな」


焦茶色になってしまった資料をティッシュで拭いてはみたものの、気休めにもならない。


「モノマネ大会の話だったっけ」

「忘れてください」


頬を膨らませる伊達夏芽に、冗談だよ、という意味を込めて手を振った。


「夢に何を持ち込むか、という話だったな」

「大した物は持ち込めません」

「現場で生み出す事は? 夢の中なのだから。たとえば銃火器などを思い浮かべて……」

「想像はできても、創造は難しいです」


同じ発音だったが、文脈で「イマジネーション」と「クリエイト」の違いは分かる。伊達夏芽の口が滑らかになっていた。俺の不手際も少しは役に立ったらしい。

DDAで設定を細かく決めて始めた夢と、人間が本能のままに見る夢には、大きな違いがあるのだと言う。脳が自動で行う整理整頓の意味合いがある夢に、所有者の操作権は無い。一方通行の映像を見せられるだけ。そして、その夢に対して、一方的な干渉能力をバグは持っている。たとえ防弾チョッキを着て寝ても、夢の中では半裸であるかもしれないし。幸運にも着込んでいたとしても

そう説明してくれたが、それは俺が考えていた代替案──今後DDAを被り続けて眠る──が、不発に終わった事を意味していた。


「モモとジュジュがいるという事が、俺にとっての最善手か」


俺の言い方が悪かったか、伊達夏芽はしばし呆然とした顔をしてから、慌てたように何度も頷いた。


「実験は充分だ。決行日は伊達くんの都合に合わせるよ」

「早い方がいいんですよね」

「しかし、今日これから、という訳にはいかないだろう。決着までの時間も不明だし」


今度は理解が早かった。伊達夏芽は俺の目を見、次いで自分の体を見てから、またもや頭を縦に振った。男で、中年であるこの身からすれば、風呂など入らなくても結構なのだが、彼女はそうもいかまい。女性には他にも用意したい物もあるはずだ。妻は旅行では、何が入っているか不明の、大きな鞄を必ず所持している。


「私、明日の晩空いてます。なんなら明後日でも」


「彼氏とかいないのか」という質問はセクハラだし、中年男のいやらしさが漂うので、俺は黙って頷くに留めた。

代わりに「いいのか」と尋ねそうになったが、これもやめにした。バグに狙われている俺は、なんであれモモの助けが必要である事に変わりはない。

結局、「助かる」とだけ答えた。


「では明日の放課後、俺はこの研究室にずっといよう。君は都合がいい時間に来てくれ。念のため、学生課には連絡して、宿泊許可は取っておこう」


ふと左腕を見、そこに時計が無い事に気付く。先ほどコーヒーをかけてしまったため、全部外していたのだった。机の上に置いてあったそれを見る。思わず声をあげる。午後10時27分。


「もうこんな時間か。すまない。駅まで送ろう」

「大丈夫です。研究会の時は終電の時も多いですから」

「しかし、ご家族に一報くらい」

「一人暮らしですから」


生徒の個人情報は聞き流すに限る。


「先生も帰りますか?」

「一緒には出ない方がいいだろう」


俺はもう少し残るよ、と答えておいた。保身もあったが、彼女にあらぬ噂が立つのは、いただけない。伊達夏芽には、こちらの都合に付き合わせているだけだ。立ち上がって帰り支度を整えた伊達夏芽を、入り口まで見送る。


「では、くれぐれも気をつけて帰りなさい」

「はい。先生も」

「迷惑かけるが、もう少しだけ協力を頼む」

「気にしないでください」

「今日は助かったニャ」

「……それは忘れてください」


冗談だよ、と俺は手を振ったが、伊達夏芽が腰の辺りで手を振り返してきた。伝わらない仕草だったか。それにしても、随分と懐いたものだ、と、生意気な顔をした黒猫を思い出す。

今頃伝わったらしい。唐突に伊達夏芽の顔が赤くなり、彼女は頭を下げると走り去ってしまった。

扉を閉め、息を大きく吐き出してから、俺はソファに腰を下ろした。


伊達夏芽とはこれまで事務的に接しすぎて、ろくに話をした事がなかった。表面的な接触だけでは、内面の情報──真摯な態度や性格、その面白さ──を理解する事はできやしない。そう改めて感じたし、勉強になった。今度、他のゼミ生ともども、席を設けて会話を楽しんでみてもいいかもしれない。伊達夏芽の他にも、俺が捉えていた人物像とは異なる本質を秘めた人間に、俺が気付く可能性もある。


まあ少なくとも。

この事件が解決してからの話だが──。


「……明日が楽しみだ」


俺は呟くと──。


     *


次は「A-4 」。

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