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B-3 「呆然と」


俺はベンチに腰を下ろして待っていた。

午後5時。秋が近づいているせいか、この時間の夜の気配は強いが、人の顔が見えないほどではない。駅前公園を待ち合わせ場所に選んだのには理由がある。


まず1に、誰が訪れてもおかしくないこと。

小学生でも主婦でも会社員でも。モモの実体がどのような続柄かわからないのだから、いかようにも対応できる場所が良かった。夕方を選んだのも、学校帰り、夕飯前、会社帰り、そのどれでも都合がいいように。

2として、開かれた場所であること。

どこの誰ともわからない人間と、密室で2人になるのは賢くない。モモの正体が男性であった場合ならまだしも、女性であれば周囲の目が気になるところだ。既婚者としてみれば、厄介事は招かないに限る。相手もこんな中年と部屋に閉じこもるのには抵抗があるはずだ。

3番目の理由は、2と矛盾する部分もあるが、人の注目を集めないということ。電車が止まるたびに駅からは大勢の人があふれ出すが、ベンチに座る別所に目を向けはすれど意識を向ける者はいない。皆、各々の理由で前を通り過ぎていく。


別所は腕時計を確認する。午後5時13分。約束は午後6時までの間だけ駅前公園にて待つ、という内容だった。


     *


そう告げた時、モモは文字通り口をあんぐりと開けた。「はあ?」と言いかけた顔なのかもしれない。代わりにジュジュが牙をむいた。


「……お前。モモと会うつもりニャのか?」

「そう言っている。俺が眠っているそばにモモが最初からいれば、わざわざ無数の扉を開いて夢を渡らなくても済むのだろう。鈴も必要ない。で、バグが俺の夢を刈り取りに来た瞬間に──」


叩く。そう言って俺は手を打った。可能だろう、と尋ねると、黒猫は「……可能ニャ」と渋い顔をして答えた。


「でも、お前は夢を記憶できニャい。計画の実行は可能かもしれニャいが、この計画自体を夢の外で実行に移す方法がニャい」

「彫れ。何万字でも」


「ニャニャ!」と、黒猫が目をむいた。いい気味だ。冗談だと笑うと、一瞬呆けた顔を浮かべた後、我に返ったジュジュがすねに噛みついてきた。蹴り飛ばしてやると、俺は前髪を上げて額を見せた。小さな銀色の穴が見えているはずだ。


「今この夢は外部ストレージに記憶させてある」


DDAという夢を記録できる装置を、用意したのは妻だった。職場で使われていないのを持って帰った、とは言っていたが、毎夜毎夜、悪夢に悩む夫を心配してくれたのだ。ありがたく俺は申し出を受けた。


「俺は明日の朝、この夢の内容を確認する。記憶が無くても、記録で追体験をすれば問題はない。あとは──」


俺はモモの方を向いた。彼女は不思議そうな顔をして俺を見ていた。


「モモの気持ちだ。君の正体が何者かは知らないが、それを俺に明かす事になる。当然それに対する不安も疑念もあるだろう。俺に他意はない。純粋にこの悪夢を終わらせたいだけだ。それにはこの計画は有効だと思うし、もし君がこの計画に賛同してくれるなら、俺は──嬉しい」


躊躇を見せた後、モモが口を開いた。「私は……」


     *


ふと人の気配を感じて、俺は顔を上げた。

脛までのブーツ。焼けた肌。太腿までがあらわだ。黒いミニスカート。目の前に、

──遠藤萌々香が立っていた。今日もしっかり髪を巻いている。


「こんにちは先生。もう、こんばんは、の時間かな」


まさか、という疑念と、やっぱり、という納得が、同時に脳裏を駆け巡った。

まずは合言葉の確認だ。


「月はどっちに出ている?」

「あー。南西ですかねー」


そう言って遠藤萌々香は空を仰いだ。

その陰から。


「……ルソンの方角です」


昔に見た映画から着想を得た合言葉。それを言ったのは伊達夏芽の方だった。

ナツメの英名が『JUJUBE』だと俺が気付いたとほぼ同時に、遠藤が手を振った。


「じゃ、アタシは用があるんで、これで失礼しますよ。先生、あまりナッチを引き留めないようにね」


そう言って去っていく。

俺の隣に、けれどベンチの端に、そっと伊達夏芽が座った。


「わ、私がモモです」

「伊達くん。君が……」


じゃあ、ジュジュは? と尋ねると、伊達はそれも私です、と答えた。2人、いや正確には1人と1匹だが、それらすべてが彼女の一つの人格なのだという。

驚きはすでに引いていた。モモの実体がどんなであれ、対応できるようにあらゆるパターンを練ってきていたが、当然、自分が勤める大学の生徒である可能性も考慮していたのだ。

促すと伊達を立たせる。教師が生徒と2人きりで会うならば、学外よりも学内の方が都合がいい。女生徒であるならなおさらだ。

時間の余裕を確認すると、大丈夫とのことだった。駅付近で待機していたタクシーに伊達を乗せると、先に行って研究室で待つように伝えた。鍵のありかは知っているはずだ。コーヒーくらいは自分で淹れるだろう。

大学までは歩いても10分ほどだ。思考するなら足を動かすのはちょうどいい。俺はタクシーのタイヤ痕を追うように歩き始めた。


     *  


研究室の扉がノックされ──

モモが入ってきた。あいも変わらず、二次元の表皮をしている。見慣れた景色の中の、見慣れない光景に、脳が理解不能だと悲鳴をあげそうになる。俺はマミー型シュラフのジッパーを下ろして這い出た。研究室の床だ。なぜシュラフ? と疑問に思ったが、夢の設定に合理を求めても仕方がない。

腕時計を操作してカウントを止める。俺の夢に、モモが到着するまでの時間を測っていた。


「なんか変な感じ」


モモは所在なさげに立ったままだったが、モモの肩にいたジュジュが床に飛び降り、机をクンクンと嗅ぐ。「ニャんか変ニャ感じ」


「伊達くん。聞きたいんだが」

「その名前で呼ぶニャ! 空気を読め。モモとジュジュ様ニャ!」

「じゃあモモ。それはどういう感覚なんだ?」

「どうって言われても」

「モモとジュジュの意識は混同しないのか? テレビで言う2画面で映像が流れているようなものなのか、それとも」

「そういう意味では、スイッチャーで操作してる感じかな」


意識を切り替えているのだとモモが答えた。言っている意味は分かったが、理解はできそうになかった。

例えるならば、映画。その制作時には一つの場面を複数台のカメラが押さえている。演者のアップや引きのカット、演出に従ってカメラを切り替える、というのは分かる。ただ、人格が違うならば、それはカメラの種類ではなく、分類が異なるようなものだ。可視光カメラから急に、赤外線やX線、ガンマ線の映像に変わったら、視聴者──この場合は伊達夏芽──は混乱しないのだろうか。

性格まで異なる2つの人格を交互に操作する煩雑さを想像するだけで、こちらの脳に負担がかかる。


研究室隣の準備室はいつもは使っておらず、もっぱら俺は仮眠するのに使っている。研究で遅くなった時に利用するのだが、研究室に所属する生徒に開放もしている。そこは今、伊達夏芽が使用している。ならばモモがここにいる今、隣はどうなっているのだろうか。


「伊達ニャつめが寝ているニャ」


ジュジュが教えてくれた。


「隣にニャつめがいると知っている、お前の夢ニャんだから、いるに決まっているニャ」

「知らなければ?」

「いニャい」


そういうものか、と納得してみる。ならば今、この夢の中には3人の伊達夏芽がいるわけだ。伊達夏芽本体と、モモと、ジュジュ。


「イタズラするニャよ?」


しねえよ、と返しておきながら、このジュジュも伊達夏芽だと思い出す。本来の彼女の性格を思えば、どうにも調子が狂う。


     *


目を覚ました。

目の前に小さなモニターがあった。眼鏡がないのでぼやけていたが、英文で「夢が終わった」という旨が書かれていた。そうか、DDAか。妻から借りたDDAを俺は被っていたのだと気付いた。

ヘルメット型の機械を頭から降ろすと、手首につけた鈴が音を立てる。見渡すと、現在地が見慣れた自分の研究室だと分かった。どうやら俺はいつものソファでうたた寝をしていたようだ。……DDAを装着して? 何をしていたんだっけか、と俺が記憶を振り絞ろうと鈍い頭を振った時だった。入り口の扉がノックされ、ゼミ生の伊達夏芽が姿を表した。彼女の背後に見える、窓の景色は暗い。

不意に彼女と公園で待ち合わせた記憶が蘇った。それから、俺は……?


「……おや、伊達くんか。どうかしたのか?」

「そ、その機械で、夢の記憶を見てください」


それだけ言って、伊達夏芽は扉を閉め、再び姿を消した。彼女の言葉で、俺は完全に思い出していた。夕方の公園。現れた伊達夏芽。交わした会話。一つの実験──。俺はもう一度DDAを手に取る。ずしりとした重さを感じる。直立の姿勢での使用を想定していない重量だった。ソファに横になりながら、ヘッドギアを被る。額に埋め込んでいるコネクタ辺りが、暖かくなった気がする。

『DDA SYSTEM:LOGIN COMPLETE』

途端にコンソールが出現する。確かこの辺りを、と独り言を言いながら、俺はセットされていた夢の欠片から取り出したログを、自分の記憶と同期させた。──情報の洪水──。脳内に赤や白の光が舞う。閃輝暗点、という症例を思い出したが、異常ではなく、こういうものなのだろう。

先ほどまで見ていた夢の、醒めた瞬間までの記録。伝達されたデータは五感情報を含めた莫大な物だったが、それを処理できる人間の脳を褒めるべきだろうか。

俺はDDAを停止させると脱ぎ捨て、代わりに眼鏡を掛け直した。行動のたびに鈴が鳴るが、気にせず俺はソファから立ち上がる。


「伊達くん。そこにいるんだろ? 理解した。入ってきてくれ」


声をかけるとすぐに扉が開いた。彼女の性格を考えれば、そばで待機していると思ったが、やはり読み通りだった。

一見人嫌いにも見えるが、伊達夏芽は「男」という性別が苦手なのだろう。友人の遠藤萌々香と行動を共にし、楽しげに会話を弾ませているのはよく見かけたが、そういえば男子学生とはうまく話せていなかった。緊張しやすい性質なのかもしれない。


「お茶も出さずに、失礼したね。椅子に座って、少し待ってくれるかな」

「あっ、はい」


そうは答えたがソファには座らず、彼女は部屋の隅から、研究時に使用する椅子を持ってきた。クッション性は皆無に等しい代物だが、それを彼女は選ぶだろうと思っていた。

簡易コンロで沸かした湯を、フィルタに敷き詰めた粉の上に注ぎ終わると、直下のポットに琥珀色の液体が満ちていた。カフェインは脳の刺激になり、コーヒーの香りは緊張をほぐす。これ以上ない良薬だ。「お茶ニャのかコーヒーニャのかハッキリしてほしいもんニャ」と言う空想上の黒猫の声を、手を振って追い払う。


伊達夏芽の前にカップを置く。


「それで、どうだった? やれそうかな?」


そう言って俺はいつもの椅子に座った。研究時と同じ座り位置だった。


「……あ、はい。できると思います」

次は「B-4」。

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