P-1「Pieces of a dream -motion-」
扉を開けると、モモは飛び込んだ。
早く別所先生を助けなければ、と焦る気持ちが彼女を突き動かす。
そこは桃色をした世界だった。自身もピンクでコーディネイトしているモモは、保護色みたい、とモモは自嘲する。だが、今はそんなことを考えている場合ではない。
スーパーマーケットのサッカー台の上で、エプロン姿の半裸の男と、同じエプロンだけを身につけた女が戯れ合っていた。頭の中に『夢の所有者は女』『淫夢』『店長との不倫願望』という情報が飛び込んできた。……今は、邪魔だ。
モモは耳を澄ます。かすかな鈴の音が聞こえた。
あの扉か。今出たドアの4つ右隣。青いドアに飛びつく。音の大きさからして目的地は近い。
ノブを回す。──直前に、モモの視線は隣の扉へ向けられた。そこにあったのは、見たこともない無色の扉。夢に現れるドアは3個。それぞれが見る夢の内容に合わせた色をしている。無色、というのは初めてだ。どんな夢なのだろうか?
ニャーア。ジュジュが鳴く声でモモは我に返る。わかっているよと言う代わりに、肩の上で座している黒猫の頭を撫でた。
目的を見失うな。自分に喝を入れ直すと、モモは勢いよく扉を開け、次の夢へと渡る。はずれだ。次の扉! モモは赤いドアを開いた。
ドアは地上に設置されるとは限らない。
空中に放り出されて、モモは落下する。落ちる先で目を見開いているのは、別所だ。椅子に縛られている。見つけた!
モモはステッキを振る。その先から放出されたハートが別所を取り囲む歩兵に当たると、その黒い四肢を爆散させた。しかしシルクハットの老人には、うまくかわされてしまった。さすがに位持ちのバグだ。老人は避けた反動を利用して、飛び上がる。その姿を目で追いながらモモは、
「ジュジュ、先生をお願い!」
肩の黒猫を手に取り、別所に向かって投げた。ジュジュがその爪と牙で、別所を縛っていた紐を切断した。モモは着地と同時に跳躍する。空中で目が合った老人がギョッと目をむいた。
先に攻撃態勢に入ったのはバグの方だった。モモめがけて拳を振り下ろす。200メートルほどの跳躍から放たれる、速度と自重を乗せた一撃。それにモモはカウンターを合わせた。
ステッキの長さの分だけ、早い、とモモは確信した。モモのひと振りが老人の頭を粉砕する──寸前でその全身が黒い霧になり、風に流されるように消えていった。今回も仕留め損なった!
「覚えていろよ、プリティモモ」
声だけが残された。
溜息ひとつ、モモはステッキを仕舞うと、別所とジュジュの所に戻った。降りた先で2人は喧嘩していた。いつものことだ。
「それが助けてもらった奴の態度かニャ!」
「お前は縄をほどいただけだろう」
別所がモモを見た。眼鏡が無いせいで、視界がボヤけているのだろう。目を細めた姿はどことなくセクシーだった。
「ありがとうモモ。また助けられた」
「……それが私の使命だから」
「だから、ワガハイにも礼を言え!」
「うるさいクソ猫」
別所の言葉に、ジュジュがシャーッと毛を逆立てて威嚇する。モモは笑った。
「ごめんね、先生。また今回も逃がしちゃった」
「それは構わないのだが……」
言葉途中で別所は口元に手をやった。視線が斜め右を見上げる。考え事をしている時の癖だ。はた目にはわからないが、脳が高速回転をしているのだろう。モモはその場に腰を下ろすと、別所の挙動を見守る事にした。隣ではジュジュが持ち上げた脚の匂いを嗅ぐと、くるりと回って座り込んだ。
「逃した、と言うからには、次があるというわけだな」
「そ、だね」
「結果が同じであるならば、原因をあたるべきだ」
独り言のような言葉だったが、モモには別所が何を言おうとしているのか、予想がついた。さてこれは、どうやって説得しようかな。そう考えた時、ジュジュと目があった。黒猫も同じ思考だったようだ。ワガハイに任せろ、と言わんばかりにジュジュが尻尾を振った。
「俺が狙われないようには出来ないのか?」
やっぱり。
「……お前はもうバグに囚われているんニャ」
先んじて答えたジュジュは、眉間に皺を寄せていた。人間であったら、眉をしかめさせているといった表情だ。
「羊と牧場主と思えばいい。刈られた毛が夢ニャ。餌を変えたり環境を整えたり、手を変え、しニャを変え、バグは品質の良い毛を刈る。お前はその牧場に飼われている。もう焼印は押されてしまったニャ」
「……羊にたとえたという事は」
牧場を脱走したり、生産性を失った牧羊は肉になる。そういう事だな、と別所が言った。そういう事ニャ、とジュジュが答えた。やはり別所先生は勘がいいな、とモモは思った。
「ならば──牧場主に反抗も可能か?」
当然そういう推論に行きつくだろう。
「お前には無理ニャ」
「モモには可能なのだろう? 逃した、と言うからには、逃さなかった未来があるという事だ。モモには結果を選択できる手段がある」
「あるんだけどね」
モモはこれまでにバグ──シルクハットを被った老人の事だ──を別所の夢で4度、退けている。それはつまり、同じ数だけ取り逃がしてしまったという事だ。
「アイツ逃げ足が早いんだよね」
「追いかける事はできないのか」
「ドアをくぐってれば追いかけられるけど、バグはスーって消えちゃうから。どこに消えるのやら」
「そのドアを、俺は通れないのか?」
「多分無理。見えるけど、普通の人は鍵がかかってるみたい」
「ならばモモと一緒なら通られるわけだな」
「うーん。それもわかんない。たぶん私は同行者が1人しか無理な気がする」
「その猫が邪魔だな」
「ふざけるニャ、キサマ!」
別所の台詞に火がつく黒猫。
「そもそも、お前が鈴をちゃんと持ってれば、最初の時に仕留められたものを! お前が悪い。全部悪い。正式な謝罪を求めるニャ!」
思い出して、さらに炉に火が入ったようだ。ジュジュが毛を逆立てた。
「……そうか、なるほど」
モモの存在が知られていなかった最初の遭遇が、最後のチャンスでもあった。
別所を子羊とするならば、モモは巨大な角と体躯を持つ親羊だ。うかつに子羊を刈ろうとすれば、親の頭突きが飛んでくる。牧場主は親羊がいない隙を狙うしかない。一方で、親羊が突撃する気配を感じれば、すぐに逃げ出す。
──そのような事を、別所が難しい単語を用いて言った。ふうむ、とモモは別所の頭脳に感心した。彼の推論は概ね正解だった。
「そのたとえ話ニャら、モモは羊の皮をかぶったオオカミみたいなものニャ。牧場主を噛み殺す」
あんまし嬉しくないな、オオカミとか。かわいくない。モモはふくれてみせたが、別所は気にも留めない。ジュジュの前まで歩み寄ると、頭を下げた。
「すまなかった。俺のせいで面倒になったのだな。怒る気持ちは理解した」
「……わかればいいニャ」
思いもしなかった別所の謝罪に、ジュジュも驚きを隠せない様子だ。目をパチクリ見開いている。
「これからもその鈴を肌身はニャさず、身に着けておくがいい」
「いや。もう外す。仕事の邪魔になる」
「アホか!」
そう怒鳴るジュジュをしり目に、別所は手首の鈴をもてあそぶ。チリンチリンと音が聞こえる。この音を頼りに、モモは別所の夢までやってくる。
「ならば、来なければいい」
言葉の意味が分からなかった。拒絶されたかと一瞬思ったが、別所はそんな性格ではない。モモは次の台詞を待った。
「……お前死ぬつもりだニャ?」
先走るジュジュの問いに別所は笑った。「まさか!」
次は「B-3」。




