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B-2 「別次元」


ふと気付くと、俺はやけに広々とした部屋にいた。ホテルの宴会場に似ている。

天井の中央にはオレンジに光る、丸くて大きな照明。それを中心に等間隔で小さなライトが連なって並んでいる。黒く太い柱の間には漆黒色したカーテンが吊られているせいで、その外側に窓があるかどうかは分からない。

周囲には大勢の人間がいた。息苦しいほどではないが、手を動かしただけでぶつかってしまうほどには、窮屈だった。今回は黒子の姿は見当たらない。

男も女も、皆一様に胸に名札を付けている。俺にもやはり「52」の数字が付けられていた。

パーティが始まる直前のような喧騒が、スピーカーからの声で遮られた。


「みなさま、ごきげんよう」


いつだって神出鬼没だ。いつの間にか壇上に老紳士が立っていた。相変わらず正装だった。教卓のような机の上にはビンゴマシンがあり、格子の隙間から見える限り、白い球が半分ほど詰まっていた。その数が──この会場の人間と同数という事だ。

おもむろに老人がビンゴマシンを回す。ガラガラという音がしばらく続き。カラン。出た白玉をつまむと、老人がそこに書かれたナンバーを読み上げた。


「52番」


驚く間もなく、がばっと両腕を掴まれた。黒い顔達だった。レスラーのような怪力で俺の体を持ち上げる。抵抗は無駄なのだろう。引きずられて雛壇まで連れてこられると、ゴミのように投げ捨てられる。体を起こし、俺は見上げた。老人の顔には、邪悪な笑みが張り付いている。

奴の掌が俺に向けられた。開いたあの太い5本の指が──俺をちぎるのだ。

その時だった。

ガシャンと音を立てて、シャンデリアが爆発し、何かが降ってきた。

ピンク色した、──何かが。


「悪事はそこまでよ、バグ!」


少女だった。ピンク色の長い髪はツインテール。ピンクの上着に、ピンクのスカート。パニエのせいでふわりと広がっている。手にはやはり桃色をした宝石が付いた杖。羽が生えたステッキ、というべきか。肩には手の平サイズの小さな黒猫を乗せている。

──魔法少女だ。俺は他に表す言葉を知らない。

着地するなり、魔法少女は両腕を動かし、ポーズをとった。片足で立つ、不安定な態勢だが、それが決めポーズなのだろう。


「愛と平和の夢狩人、プリティモモ参上!」


超展開すぎて、俺の脳は処理が追い付かない。だが、目の前の老人は、その状況をよく知っているようだった。「おのれプリティモモ」と苦し気に吐き、魔法少女に向き合う。その隙にごろりと転がって、俺は壇上から落ちた。とにかく、巻き込まれないように壁まで避難すると、事の成り行きを見計らった。

魔法少女は「とーっ」と掛け声ひとつ跳躍すると、黒人間の頭を消し飛ばした。ステッキのひと振りで首がもげ、壁まで飛ぶとそこで破裂した。


「土に還っておねむりなさい!」


それも決め台詞なのだろう。先ほどとは違うポーズを決める魔法少女。パーティ会場にいる群衆が次々と黒人間へと変わっていき、少女に掴みかかろうとするが、ダンスでもしているみたいな気軽さで彼女はそれを打ち倒していく。ステッキが振るわれるたびに、黒人形の頭がけずられ、霧散する。


「おのれ、覚えておけ」


シルクハットを目深にかぶり直し、老人の姿が消えた。同時に大量に出現していた黒人形達も姿を消す。会場には俺だけが残された。どうやら助かったらしい。ひと息ついていると、魔法少女が俺のそばまで歩み寄ってきた。太腿まで露出された脚は細く、まだ10代半ばのように見えた。


「あなた、大丈夫?」

「平気だが、君は……」

「アタシはプリティモモ。愛と平和の夢狩人」


 それはさっき聞いた。


「どうして……」


俺を助けた、とも、ここに来た、とも、つながる台詞だったが、魔法少女は違う意味にとらえたようだ。


「アタシはバグに殺されそうな人を助けるのが使命なの。このジュジュと一緒にね」


そう言って肩の猫を撫でる。ジュジュと呼ばれた黒猫は嬉しそうに喉を鳴らした。


「そうニャ」


低い渋い声だった。声優のキャスティングを間違えたに違いない。


「バグの居場所はモモが持つドリームフォンでわかるのニャ」


魔法少女は腰のバッグから、やっぱりピンク色した携帯電話を取り出した。旧式だが、玩具メーカーが喜びそうなデザインだった。

度が過ぎるほどのテンプレで身を固めたプリティモモは、見れば見るほど現実離れした容姿をしていた。まず、肌が違う。セルアニメのようなのっぺりとした質感だった。髪もそうだ。これだけハッキリとした発色のピンクはまずありえない。


「今回のターゲットはあなた。邪魔をしたから、きっと次もあなたが狙われる」


プリティモモの言葉に、俺は自分の胸を見た。52番。先ほど死刑通告された数字。


「アタシは他人の夢に入ることができるの。次々と夢を渡って、ドリームフォンが示す、バグがいる夢まで来ることができる」


その言葉が指す意味は、夢の存在だ。つまり、夢を見ていないと、彼女は入って来られない。俺が悪夢を見ないと、彼女の助けは無い。


「その通りニャ。だから、これをオマエに渡しておくニャ」


ゲ、ゲ、ゲ、と猫が呻いた。それは毛玉を吐く仕草だったが、代わりに吐き出したのは──


     *


自分の笑い声で目が覚めた。よほど大きな声だったのだろう。目を開くと、妻の玲が怪訝そうな顔をしてのぞきこんでいた。


「……大丈夫?」

「問題ない」

「どんな夢見ていたの。よっぽど楽しかったのかしら?」


覚えていなかった。

とてもおかしく思った事は確かなのだが、その内容は記憶になかった。額の汗を拭おうと、手を動かすとチリンとなった。手の平に、小さな鈴があった。

桃色をした鈴……?


     *


「ニャんで鈴を捨てるんニャ。馬鹿者が」


黒猫がぎゃあぎゃあ叫ぶ。


「寝室のゴミ箱だったから良かったものの! 奥方が収集しニャかったから良かったものの!」


遠くで魔法少女がステッキを振っている。彼女のひと振りで黒い人形が消し飛んだ。

今回の舞台は魔女裁判だった。俺は張り付けにされていた。足元に積まれた薪に火がくべられようとした時、助けられた。老人の持つ松明をモモが吹き飛ばし、俺の襟をジュジュがくわえて飛んだ。


「しょうがないだろ。起きたら記憶が無いんだから」

「うるさい。だったらこうしてやるニャ!」


     *


「傷薬はどこだっけ」


挨拶もそこそこに俺が言うと、妻は朝食の用意を中断して、薬箱を手にして戻ってきた。


「怪我でもしたの?」

「寝ている間にかきむしったようだ」


そう言って左腕を見せた。手首から肘までの間に、無数の傷があった。玲が消毒液を手にして、俺の腕を取り──首をかしげた。


「あらあら。これ、あなたがしたの?」

「たぶん」

「じゃあ偶然でしょうね。なんか、こちら側から見たら、文字みたいに見える」

「パレイドリア効果だな」


見えた模様に脳が知った映像を結ぶ現象。星の並びに動物を当てはめるようなものだ。逆側から傷を見た妻には何が見えたのだろうか。


「ス、テル、ナって読めるよ」

「捨てるな?」


何をだろう。誰が、何を、俺に捨てるなと言っているのだろうか。


     *


「だから、鈴を捨てるニャって言ってるだろうが!」


ジュジュがシャーッと毛を逆立てる。

全長でも20センチない生き物に威嚇されても恐怖は感じないが、この小さな体で俺をくわえて持ち上げるだけの力を持っているのだから、油断はできない。

現に今、俺は大砲の筒に入れられて打ち出される寸前に、救出されたところだ。点火しようとしていた老人をモモがぶちのめそうとしたが、すんでのところで逃げられた。毎度毎度、逃げ足が早い。


「鈴を肌身はニャさず持っていろ。そうすればモモも、こんニャに苦労しなくても、お前の夢まで来られるのに」

「こんなメッセージだけで分かるか」


俺は左腕を突き出した。妻が包帯を巻いてくれたはずなのに、ここではむきだしだった。無数の傷で書かれた「捨てるな」とは鈴の事だったのだ。


「じゃあ今度は240文字くらい彫ってやるニャ」


ろくでもないことを言うな、この猫は。


     *


「別所センセ、どうしたのその鈴?」


講義が終わるなり、教え子の遠藤萌々香が目ざとく見つけた。いや、耳ざとく、なのかもしれない。俺が動くたびに鈴が鳴るからだ。左の手首に巻きつけてある。

遠藤は今日も、いかにも楽しげな大学生、といった恰好をしている。ホットパンツから突き出た足は健康的な色に焼けている。このまま海に遊びに行ってもおかしくない。そのわりに性格は真面目で、成績も優秀な生徒だ。

その後ろには伊達夏芽がいた。たしか司書を目指している。消極的な性格をしている伊達は、いつも遠藤の陰に隠れている印象があるが、それでもいつも二人一緒にいるところを見ると、性質の差異はあれど仲は良いのだろう。


「奥さんに付けられたんですか? 悪さしないように」

「猫じゃあるまいに」


脳裏に、むかつく顔の黒猫が一瞬像を結び、すぐに消えた。


「まじない、みたいなものかな。よくわからないけれど」

「あ。もしかして研究の一環ですか?」


遠藤がそう言ったのは、彼女が俺の研究室に所属しているからだ。俺は言語学、正しく言えば方言学を研究しているのだが、このカテゴリーの中には民俗学と関連している部分は多い。その調査の一環だと思ったのだろう。ならば腕の傷を見せればどう反応するか、試してみたい気がしないでもないが、俺は長袖をめくるつもりはなかった。適当に相槌を打っておく。

眠くて仕方がなかった。昨晩の夢見も悪かったようだ。生徒の前で醜態をさらすわけにはいかない。そう思いつつも、あくびを噛み殺すのにひと苦労だった。


「あんまし研究に没頭しないようにね、センセ」


遠藤は偉そうな口ぶりでそう言うが、不思議と言われても腹は立たない。遠藤が眉目秀麗であることもその要因の1つではあるだろうが、全部ではない。若者の横柄な態度に好感を覚えるのは、俺が年をとったせいだろう。


「それ以上やつれると、ナッチが、心配だって!」

「モモちゃん!」


珍しく伊達が大きな声を出した。自分で驚いたらしく、口を押えて、左右を確認して、赤くなってうつむいた。思春期の児童を思わせた。

伊達夏芽、で、ナッチ、か。そして──


「なあ、遠藤くん。キミ、もしかして猫飼ってない? 黒猫」


俺は何を言っているのだろう。不意に口をついて出た言葉を慌てて取り消そうとしたが、遠藤萌々香の返事の方が早かった。


「あー。アタシ猫アレルギーなんですよね」


かわいいとは思うんですけどね、動画とかよく見るし。と、遠藤。


「でもどしたんですか、急に。猫飼ってるか、だなんて」

「……なんでだろうな」


質問しといてなんなんですか。そう笑って、遠藤萌々香は講堂から出て行った。少し遅れて、伊達夏芽が会釈をして、あとをついていった。

ひとり残されたような気分になった俺は、講義で使った資料をまとめることにした。次の講義の時間が迫っている。トントンと教卓の上で揃えると、それに合わせて、手首の鈴がチリンと澄んだ音を立てた。


     *


「馬鹿ニャのかお前は!」


今日も、黒猫のジュジュはご機嫌ななめだった。いまにも噛みつきそうな顔をして、俺の腹の上で唸っている。

今晩は趣向を凝らさずに、自宅での夢だった。隣で寝ているはずの妻はいない。ふと目を覚ますと、窓から侵入しようとしていた例の老人を、モモが撃退するシーンだった。そして、俺の布団の上に、猫が飛び乗ったわけだが。


「ニャんで鈴を外すんニャ。せっかくニャくさニャいように、ワガハイが手首に結んでやったのに!」

「いや、シャワーを浴びるのに邪魔でな」

「仕事にも付けていったのに、なぜ水浴びごときで!」


おや、と思った。なぜ昼間の俺の様子を知っている。俺が問うと、猫が鼻で笑った。生まれて初めて味わう経験だった。猫も笑うのか。


「夢はニャ、その日起きた出来事を、脳がキャパオーバーしニャいように、整理整頓する役目もあるんニャ」

「……たしかに聞いたことがあるな」

「今この夢はお前の寝室を形成しているが、それと同時に今日一日の出来事の情報も詰め込まれている。お前の目には見えニャいかもしれんがニャ」


ジュジュは偉そうに俺の顎をぺちぺちと叩く。

それはつまり──。


「そう。お前の今日起きたすべての出来事をワガハイは知っている。お前が、自分の生徒のニャマ脚に欲情したこともニャ」

「するはずがない」

「小麦色の肌をニャめ回したいって思ってたニャ」

「思った事もない」

「……爪をとぎたい、とは?」

「猫基準で物を言うな」

次はP1。

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