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その名を持つ子ども

 鉄扉の内側にいたのは、奇妙な子どもだった。

 格好や振る舞いがおかしい訳ではない。

 監獄の内部にいること自体が妙なのだ。

 犯罪者を収容しておくためのこの場所に、なぜ。

「エウリカだって?」

 長い栗色の髪。同じ色の目で、突然転がり込んできた男を冷静に見つめている。それでも真っ直ぐな瞳の中に、好奇心と輝きを宿しているように見えた。

「そう。私はエウリカ、十二歳よ」

 タチの悪い冗談だと思った。十二歳にという年齢にしろ、名前にしろ。

「監獄と同じ名前とは、悪趣味だな。自分で名乗ってるのか、それとも名付け親のセンスが壊滅的なのか?」

 地味だけれど品はいい、黒色のジャンパースカート。外で出逢ったら、制服を着た学生にも見えるだろう。少なくとも男が着ている、着心地悪く目立つオレンジのツナギとは正反対だ。囚人のナリではない。

「因果が逆。エウリカ監獄の名は、私の名前から取られたの」

「は」

 突拍子もないことをさらりと言って、エウリカという少女はするりと男の脇を通り抜けた。背後で開きっぱなしになっていた鉄扉の開閉ハンドルを掴んで、細い腕で外に向かって押す。

 重たい音をたてて、扉は閉じられた。


「こちらへどうぞ、ユーシスさん」

 再度、男――ユーシスの傍らをすり抜けたエウリカは、部屋の内部に向かって行く。この状況は疑問だらけだが、ユーシスは黙って後に続いた。

 追いかける背中は、あまりに小さく。

 この石の監獄に来る前に、ユーシスが失ったものを思い出す。

「ここが元々、城だったのは知っているでしょう?」

 エウリカの声に我に返る。子どもはちらりと背後のユーシスを確認して、再び前に向き直った。

「旧政府の官邸の一つだったな。クーデター後に軍に接収されて、今じゃムショに使われてるけど」

「あなたの年齢だったら、実際に見てきた事だものね。ほんの十数年のお話」

 私は知らないけれど、とエウリカは言った。

 歴史にするにはまだ生々しく、けれど革命後に生まれた子どもが、生意気な口をきくようになる歳まで成長する年月。

 無機質な通路の先に、また一枚扉が現れた。

 鉄格子ではなく、蓋付きの覗き穴だけがついた鉄扉。

「独房みたいだな」

 入ってきた金庫扉よりは軽く簡素だが、光を通さない冷たい扉。ただ、ここのものは覗き穴の蓋は取り払われていたが。

「中はまあまあ広くて、そこそこ快適よ。独房に入ったこと、ある?」

「何回かは」

 エウリカは特に動揺する様子もなく、扉に取り付けられた小さな電子パネルに触れた。


「あなた、よく逃げようとするものね」

 エウリカはパネルの上で指先を踊らせる。覗き穴からはうっすら青白い光が漏れていた。

「私の母は、旧政府機関に属する研究員だったの」

 照合の電子音がして、金属が動く硬い音がした。

「この監獄の警備システムをひとりで構築して、ひとりで管理してた」

 扉が開く。

 中は監獄中を映すモニターと、大量の機材と配線で溢れていた。

「今は私が管理を任されているってわけ」

 複数のモニターが忙しくなく切り替わる。あちこちで看守が走り回り、絡繰が作動する様子が映し出されていた。

「母もなかなか、数奇な人生を辿ったの人なのよね」

 語るエウリカの顔が、モニターの明かりでぼんやり光る。

「ここだって辺境の城だったけど、防衛の要として守りを強固にすべく、母はいち研究員としてひたすらに複雑な防衛システムを組み上げていた。まあ、あまりにめんどくさい建物にしすぎて、官邸から刑務所に転用されたけれど」

「もはや遊園地のビックリハウスか絡繰屋敷だぞ、ここ」

「あら、絡繰屋敷だってセキュリティのためよ。なにも遊興施設にあるアトラクションとは限らないわ」

 そんな楽しいものなら良かったけれど、とエウリカは目を伏せた。


「軍が国をひっくり返して、旧政府側だった母はあっという間に反勢力側の立場。拘束もされたわ。だけど母の頭脳と技術は有用だったわけね。この城を制御できる人間も他にいなかった」

「それでお前の母親は、この監獄にぶち込まれたまま、システム管理者として城の構築と守りを続けてたって? 自分で管理してるなら、逃げ出すくらい出来ただろうに」

「だって幼い私を連れて逃げるなんて、無理よ」

 青白い光の中で、エウリカは淡く微笑んだ。

「私、ここで産まれたのよ。獄中出産というやつね。いくら警備システムを制御しても、看守(人間)の制御は難しい。赤ん坊を、幼児を連れて、女一人で逃げるのは、リスクのほうが大きいわ」

 己の身を案ずるよりも、守りたい存在があるならば。

 無茶をする者もいる一方で、耐え忍ぶ選択をする者もいるだろう。

「ま、母はここでの暮らしを、楽しんでいた気がしないでもないけど。母にとっては娘の名を冠するくらいに、エウリカ監獄は傑作らしいし。私にもありったけの知識を注ぎ込んだしね」

 丸い指先でトンと自分の頭を叩いて、エウリカは言う。

「お前は?」

「なあに?」

「お前はここで生きていて、楽しいのか」

 ユーシスの問いに、エウリカは微笑んだまま答えた。


「ここしか知らないから、わからないわ」

 その嘘偽りのない答えに、ユーシスの胸中に苦いものが広がる。

 灰の壁に囲まれた、モニターの冷たい光に満たされた部屋。

「でも、あなたがしょっちゅうここから逃げ出そうとしてるのを見て、ちょっとだけね、外に興味が出たの。本当は、外、怖かったんだけど」

 怖いなら怖いままで、ここしか知らないなら知らないままで、この子どもはそれで良いのかも、しれないが。

「そう思ってたら、今日、この部屋近くにあなたが逃げてきたから。だから扉を開けたのよ」

 エウリカは小鳥のように首を傾げた。

「外はそんなにいいところ?」

 少女に真っすぐ見つめられて、ユーシスは思わず目を逸らす。

「……いや、酷いところだよ。幸福も、あったけど」

「けど?」

 それは失ってしまった――そう答えようとして、ユーシスは拳を握る。

(ちがう)

「だったらなぜ、何度も脱獄しようとするの?」

「……取り返さなきゃ、いけないから」

 まだ、失っていない。

 だから、お喋りをしている場合ではない。一分一秒とて、こんなところにいる暇は無い。

 一刻でも早く、あの子のところへ――。


「ユーシス・ロックウェル!」

 威圧的な声とともに、突然目の前が真っ白になった。鼻先に感じた刺激に、咄嗟に息を止める。滲む視界の中で、エウリカが膝を折った。

(エウリカが部屋にいるのに、ガスを投げ込んできやがったのか?)

 煙の向こうに、武装した数名の看守の姿が見える。看守が使用する暴徒鎮圧用のガス剤に致死性はないが、数時間行動不能にするだけの効果がある。体の小さな子どもには、どんな影響が残るかもわからないのに。

 なにかを探し求めるように、エウリカが伸ばした腕をさまよわせる。その手を掴もうとしたら、急にエウリカの上体がのけぞった。

 看守がエウリカの髪を掴んで、引き摺って行こうとする。


 ――おとうさん。


 瞬間、白い靄の中に浮かんだ。

 何よりも、己の命よりも、大切な。

「エリシュカ!」



 

 




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