第8話 お母さん最優先男、実家を魔方陣で封印
春の風が心地よい休日の朝。
黒魔術師マーリンは、上品なワンピースに黒の手袋という控えめな装いで、郊外の一軒家に向かっていた。
隣を歩くのは、ハハダイスキ。
最近付き合い始めた青年で、今日は「マーリンちゃんをママに紹介したいんや!」と、実家に誘われてきたのだ。
「今日はママに、“正式にお付き合いしてる”って報告するねん」
「まあ、誠実な方なのね」とマーリンは微笑んだ。
ところが、玄関を開けた瞬間から違和感は始まっていた。
靴がハハダイスキ用・お母さん用・お客様用ではなく
「ママに紹介する彼女専用スリッパ」と書かれたピンクの巨大スリッパが用意されていた。
「どうぞマーリンちゃん!“家族予定者用”スリッパやで!」
(……ちょっと気が早すぎません?)
リビングには、家族写真とともに「理想の嫁条件チェックリスト」が張り出されており、
その横でママが既にエプロン姿でお茶を用意して待機していた。
「マーリンちゃんっていうのねぇ〜!お肌白いわぁ〜ママ好み!」
(……なぜママの好み?)
だんだんと、ハハダイスキの口数が減っていく。
その代わり、ママが会話の8割を担ってきた。
「ねぇねぇマーリンちゃん、年収ってどのくらい? 料理は得意? 妊娠はいつ頃が希望?」
(……面接?)
ようやくハハダイスキが話したと思えば、
「せやからマーリンちゃんも、ママと仲良うしてくれなな?あ、これから住むとこはママの隣の部屋が空いてるし!」
(……やっぱり)
マーリンの笑顔がピクリと引きつる。
そして、静かに杖を握った。
「ママで全てを決めるな。」
「我が影に宿る真なる記憶、
映し出せ、幻惑と告白の相似形。
母への想い、過剰な幻想に変わる前に……
《影の真影》!」
リビングの空間が歪み、
マーリンの魔力によって出現した“幻影ママ”が語り始める。
「こら、ハハダイスキ!アンタええ加減にしなさい!
恋人にまでママを押しつけて、恥ずかしい思わんの!?」
「ま、ママァ!? ママがそんなこと言うわけないっ!!」
「一人暮らしせぇ!! 料理ぐらい自分で作りなさい!
あと、そろそろ風呂一緒に入るのやめて!!!」
「うわああああああああ!!やめてぇぇぇ!!ママはそんなこと言わへんんんん!!」
ハハダイスキは耳を塞いで泣き叫び、そのまま庭に全力で逃走。
マーリンはその姿を見届け、深呼吸をひとつ。
杖の先を実家の玄関へと向けると、複雑な魔方陣が刻まれていく。
「永久なる時の流れを閉ざせ。
心の成長を妨げる因果を断ち切り、
依存の扉を封印せよ……
《時空の扉・タイムロック》!」
シュウゥゥゥゥン……
黄金色の時の輪が回り、家の周囲に結界が張られていく。
実家は、静かに、そして確実に「時間の檻」へと閉じ込められた。
ハハダイスキが振り返ると、もう実家の扉には手が届かない。
マーリンは背を向けながら、最後にこう呟く。
「ダイスキちゃん……これで、困ってもママに会いに行けないわね。独り立ちできるようになったら魔法をといてあげますわ」
マーリンはため息を一つつくと、背筋を伸ばし、言葉を放つ。
「マザコンが悪いとは言いません。でも母の愛を、言い訳や免罪符に使うのはおやめなさいな。いいですか?“愛”は、自由にさせてこそ本物ですのよ。」
マーリンは玄関をほうきで掃くと、そのほうきに跨り、行く先も決めずに飛んで行った。