共にありたいと思う者
ゆらゆらと規則的な揺れが、フェリドを眠りの淵に運ぼうとしていた。
一行は今、ホーゼリアに向かう船の上にいる。王女の生誕祝いに参加するために、彼らは急ぎでティアナとエルリックの故国、ラッツィに連絡を取り、船とパーティー用の衣装を用意してもらった。そして今は、ラッツィ国王の名代である王女と王子の一行としてホーゼリアに向かっている。
船を用意してもらうために連絡を取って、嬉しいことがわかった。何と、エルリックとジュリアの婚姻話がラッツィとトリランタとの間で内々に進み、先日トリランタから了承の返答があったというのだ。以前、ジュリアが城を訪れた時の息子の様子を見て、ラッツィ国王がトリランタに打診したようだった。最初は水の子であるジュリアを国外に嫁がせるのを渋っていたトリランタ国王も、ラッツィからの鉱物資源の援助や、新規鉱山開拓に向けての技術提供を受けられるとの条件で、とうとう折れたという。鉱山開発の技術が進んでいないトリランタにとって、ラッツィからの申し出は是が非でも受け入れたいものだった。
そんな嬉しい情報がもたらされ、船の上で、ささやかではあるが二人の婚約祝いの宴が行われた。参加者は主賓を入れてもわずか六名。いつもの一行のメンバーのみ。……そして、一人足りない。それでも彼らは、ほんの一時のことだとわかっていても、その喜びに酔いしれた。エルリックとジュリアが時々はにかみながら、とても嬉しそうに笑い合っていたのを、フェリドも笑顔で見つめていた。
そんな宴も、つい一刻程前にお開きとなった。今はおのおの就寝準備を行い、眠りに入っている。フェリドも最初自分の寝台に入っていたのだが、思うように寝付けなくて、一人甲板に出ていた。
大地の剣を腕に抱き、船べりに腰掛けて、一人月夜の空を眺める。しばらくそうしている内に、船の心地良い揺れに合わせて、だんだんと瞼が重くなってきていた。
ふと懐かしい香りがした気がして、フェリドはじっと正面を見つめる。ああ、幻だろうか。それとも……。愛しい面影がそこに浮かんで、彼はふと笑みをこぼした。
「ああ、夢なのかな……。いい夢だな……」
目の前の彼女の顔が、ふと不安に曇る。そんな彼女を元気付けたくて腕を伸ばそうとしたが、眠気のせいか、体が思うように動かない。仕方なく、そのまま彼女を見つめる……。
「……相手を恋しく思っていると、魂が体を彷徨い出て逢いに行くって聞いたことがあるけど、本当かな? それなら僕も、今夜君に逢いに行けるかもしれない……」
幸せそうに微笑み合うエルリックとジュリアを見て願ったのは、ただひたすら、彼女に逢いたいと、それだけだった。
彼女の白い腕が自分に向かって伸ばされた気がしたが、触れられた感覚がまるでない。やはり、彼の夢なのだろう……。
「君に、逢いたいなぁ……リラ……」
最後に彼女の頬を涙が伝ったように思ったが、瞼の重みにとうとう耐えきれなくなり、彼は意識を手放した。
ゆるゆると覚醒への道を辿って、リラは緩やかに意識を浮上させた。体を起こして、しばらくぼんやりとしてから、今見た夢について考えていた。
フェリドだった。甲板で、ただじっと星を見つめている。自分も、彼のその様子をただじっと見つめていた。だがやがて、彼の口元がふと綻ぶ。
『ああ、夢なのかな……。……いい夢だな』
始めは、彼が何を言っているのか、わからなかった。だが、彼の目が自分を映しているように感じるのは、気のせいだろうか……。青紫の瞳と目があった気がして、なんだか落ち着かない気分になる。
『……相手を恋しく思っていると、魂が体を彷徨い出て逢いに行くって聞いたことがあるけど、本当かな? それなら僕も、今夜君に逢いに行けるかもしれない……』
誰もが一度は聞いたことがある、子供騙しのような言い伝え。彼は、本当にそんな物を信じているのだろうか? でも……。
『君に、逢いたいなぁ……リラ……』
この言葉に込められていたのは、紛れもない、彼の心からの願いだった。あまりにも自分に都合の良い夢に、リラは辟易していた。それから、自嘲の笑みを漏らす。
「自分から、離れたくせに……」
それなのに、彼が自分に逢いたいと言ってくれる、そんな夢を見るなんて……。あまりにも悲しげな彼の頬に、腕を伸ばしたことを覚えている。不思議と、触れた感覚も手のひらに残されているような気がした。
「……相手を恋しく思っていると、魂が体を彷徨い出て逢いに行く、か……」
もしや、本当にそんなことが起きたのだろうか。今の夢を、信じたい気持でいっぱいになる……。
そして、それと同時に頭の中がどこか冷めている気もした。自分には、そんな資格もないのに、と……。
暗くなりがちな思考を振り払うには、少し外に出て見るのもいいかもしれない。そう思った彼女は、衣装を変えるために侍女を呼んだ。
「どこへ行く?」
部屋を出たところで、リラはデスナイトに呼び止められた。以前、彼女が光の魔力を行使して彼を振り払った時の傷は、すでに癒えているようだ。波打つ銀髪がさらりと揺れて、彼女の横まで歩いて来る。
「……散歩。ずっと部屋の中にいたら、体も鈍るし気も滅入る……」
それから彼に背を向けて、歩き出す。てっきり止められるのかと思っていたが、彼は何も言わずに彼女の後ろをついて来た。
言葉を交わすこともなく、ただ彼を伴ってバルコニーから庭園に出た。麗しく手入れされた深紅の薔薇が、むせ返るほどの芳香を放っている。
「美しいな……。この庭園の主になれると思えば、お前の主人との婚姻もそう悪い物ではないかもしれないな」
大輪に手を触れると、さらに芳香が強くなった気がした。香りに酔いたくなって、その一輪に顔を近付ける。デスナイトは、そんなリラの一挙一動を見つめているだけだったが、やがて口を開いた。
「それならば、なぜ、そのような顔をしている?」
彼のその言葉にハッとするが、一瞬心の奥に浮上してきたものを忘れたいと思い、さらに深く薔薇の芳香を吸い込む……。だが、彼の金色の瞳は、真っ直ぐに彼女を射抜き続けている。とうとうその視線に堪えきれなくなり、リラは薔薇の花から顔を上げて溜息をもらした。
「……わからないんだ。自分が何をしたいのか、どうすればいいのか……。これが最良の選択だったと思っているのに、心のどこかに納得できていない自分がいるんだ」
フェリドから離れれば、自分が失った記憶によって彼を失望させることもなければ、自分が傷つけられることもない。そして何より、今目の前にいる死の騎士や魔王と戦い、彼の命が危険にさらされることがなくなるのだ……。もちろん、自分が傷つきたくなくて逃げたということも、わかってはいる。だが他に、どんな選択があったというのだろうか。
「人というのは、本当に面倒な生き物だな……。共にありたいと思う者と共に過ごす。単純なことのように思えるが?」
彼の言葉に、思わず笑いがこみあげて来た。人というのは? 彼に、自分の立場を思い返してもらおうと問いを投げかける。
「それならば、どうして今、お前は私といるんだ? 主人の命だからではないのか? それとも、私と過ごしたいからとでもいうのか?」
クツクツと彼をからかうような笑みが唇の端から零れてくる。それでも、彼は金色の真摯な瞳で彼女を射抜いたままだ。
「主から、お前の身辺の警護などの命令は、特に出ていない。私がしたいからそうしている」
予想とあまりにもかけ離れた答えに、リラは言葉を詰まらせてしまった。その隙をつくかのように、彼の言葉が続けられる。
「お前と過ごしたいと思ったから、私はここにいる。他に理由はない」
真っ直ぐに自分に向けられるその視線に耐えきれず、リラは彼から目を反らした。そしてそのまま、白い指先が落ち着きなく深紅の薔薇の花に伸びる。
「痛っ……」
一輪手折ろうと思ったが、手痛い逆襲に遭ってしまった。刺が刺さった部分から、プツリと赤い雫が盛り上がる……。
「見せてみろ」
そう短く言って、デスナイトがリラの指を取った。そしてそのまま屈みこみ、なんの躊躇いもなく白い指先を口に含む。
「なっ……!」
自分の顔に急速に熱が集まったのを、リラは感じていた。しばらくして彼女の指から唇を離したデスナイトが、彼女の顔を覗き込む。わずかに笑みを浮かべてから、元のように背筋を伸ばした。
「危ないことをするな」
「うるさい! あまり私をからかうな!」
彼女のその言葉は、彼には不思議だったようだ。一瞬だけ面喰ったような顔をしてから、言葉をかけて来る。
「からかったつもりはなかったが、非礼があったなら詫びよう。すまなかった」
あくまでも真摯に向き合って来る彼に、リラはもう、言葉を紡げなくなっていた。そんな彼女の沈黙をどう解釈したのか、デスナイトが黙したままその腕を先程の薔薇に伸ばし、一本を手折った。そしてそのまま、リラの目の前にその薔薇を差し出す。
「詫びにはならぬかもしれないが、お前に捧げよう」
目の前に差し出されたその花にしばし困惑する。そして、しばらくしてからリラはその深紅の花を受け取った。
「ありが、とう……」
少し戸惑いながら礼を言う彼女に、デスナイトはほんの少し、目元を緩めた。
「いや……。気が済んだのなら、そろそろ部屋に戻らないか? 風が冷たくなってきた」
あくまでも自分を気遣ってのその言葉に、彼女は素直に頷いた。城に戻る途中で、ふと、見慣れない生き物が彼女の視界の端を掠めた。
「あれは……?」
それは、彼女が見たこともないような生き物だった。体の大きさは、ちょうど彼女の頭と同じ位の大きさだろうか。体の中央に大きな目玉が一つと、その下に同じように大きな口。足が二本映えているが、腕は見当たらない。代わりに、蝙蝠のような翼が生えている。デスナイトが軽く舌打ちをしてから、彼女の問いに答えた。
「……小魔だ。人の生き血をすすり、その魂を喰らって自らの魔力の糧とする。お前の内側の強烈な魂に誘われてきたんだ」
生き血をすすり、魂を喰らって魔力の糧とする……。今まで、闇の国と言われるハーバナントも、そんなに他国と変わらないと思っていたが、まさかこんな身近にそのような魔物がいたとは。驚きを隠せない。
「……奴らは知能が低く人の言葉を理解できぬからな、お前の魂を狙って、ずっと周りをうろついていた」
そして、そんな魔物に常につけ狙われていたなんて、全く考えもしなかった。なぜなら、今まで見かけることすらなかったからだ。そして、さらに続いた彼の言葉が、彼女にその理由を伝える。
「大方焼き払ったと思っていたのに、まだ残党がいたのか……」
彼のその言葉に、リラが目を見張る。気付かなかった。今まで、彼女は知らない所で、常に彼に守られていたのだ……。
デスナイトが彼女に腕を伸ばし、自らの方へ抱え込んだ。視界が遮られ、耳も彼の腕によって塞がれているような状態だ。僅かに彼が腕を振った感覚があり、恐らく何らかの術を行使したのだろうと思われた。しばらくして視界が戻った時には、小魔の存在は跡かたもなく消えていた……。
「……随分冷えてしまったようだな、侍女に温かい飲み物を用意させよう」
リラの与えられた部屋につくと、彼はそう一言言い残して、去って行った。
彼女の白い指先に、一つ、口付を落として……。
お久しぶりです、霜月璃音です。
お読みいただき、ありがとうございます。
やっと書きあがりました……。
お待たせしてしまい、本当に申し訳ありません。
そして、デスナイトが作者の意図を離れて暴走を始めました……。
彼は一体どこへ行くのでしょう……。




