敵地での目覚め
暗がりの中、彼女の意識は緩やかに覚醒の道を辿った。
見慣れない天井に、旅の途中ではありえないような豪奢な寝台。ぼんやりした頭を押さえながら体を起こすと、体と同時に彼女の記憶も少しずつ蘇ってくる。そうか、ここは……。
「ハーバ、ナント……」
ぼんやりと自分の指先を見つめる。まさか、自らここに来ることになるとは、思いもしなかった。蘇る記憶の断片と、うっすらと思い出す彼の最後の顔に、唇を噛み締める。今頃、彼はどうしているのだろうか……。
「目覚めたのか?」
カチャリとドアが開く音の後に、声がかけられる。不思議と、戦闘の最中に感じた恐ろしさ、威圧感は鳴りを潜めていた。気だるげに視線を投げ掛けるリラに、彼はふと小さく笑みを浮かべた。彼のそんな表情を見ることになると思わなかった彼女は、驚きに一瞬目を見張ってしまう。
「どうした?」
不遜に問いかけてから彼女がいる寝台へと足を進める彼に、溜め息をつく。
「……ノックぐらいしたらどうなんだ? そんな表情もできるのかと驚いただけだ……」
少なくとも、今は命の危険はないだろう。彼の様子からそう判断した彼女は、再び視線を落としてそう答えた。
「気の強さは相変わらずだな……。面白い」
寝台の側に置かれていた椅子に、彼が腰掛ける。しばらくの沈黙のうちに、リラの方から彼に声をかけた。
「なぜ、私がなくしているという記憶を知っている? お前は、何者だ……?」
彼女からの問いに、彼は喉をおかしそうにクックッと鳴らした後で答えた。
「過去、幾度にも渡る転生でずっとお前を見てきたからな。お前がなくしている記憶のなかに、私の正体もある」
リラが押し黙っているうちに、彼の言葉が続いた。
「お前は過去世、幾度も生まれ変わって私の前に現れた。その度にお前が持つ力を手に入れようとしたが、フェルディナンドに邪魔をされた」
そこで彼が言葉を区切った。今最も聞きたくなかった名前に、彼女の指先が震え、ギュッとシーツを握りしめた。
「お前とあいつは、何度生まれ変わっても必ず出会う。そして、必ず恋に落ちた。そして私は、……その度に、お前を殺した」
衝撃的な言葉に、彼女がハッとして顔を上げ、彼を見据えた。心なしか、先程よりも警戒を強め、怯えているようだ……。
「そう身構えずともよい。お前を殺してしまっては私もお前の力を得られないからな、余程のことがない限りお前の命を奪ったりはしない。ましてや、今生では記憶をなくして、私の元に来るくらいだからな。簡単に殺しはしないさ」
それだけ言うと彼は立ち上がって、くるりと彼女に背を向けた。くすんだ金色の髪が、カーテンの隙間から鈍く差し込む光を浴びている。
「お前が今生、私と婚姻を結び、私に力を貸すのであれば、悪いようにはしない。式は2週間後、その時、お前が失っている記憶を与えてやろう」
彼のその言葉に、ハッとする。そうだ、自分は、その名目でここにやってきたのだった……。しかし、彼女の口から、本心が漏れる。
「……正直言うと、失っている記憶、なんてどうでもいい。ただ……」
彼女はそこで、視線を床に落として形のいい唇をかみしめた。真珠のような歯が、僅かに開いた隙間から覗く……。
「フェリドの……彼の、記憶のない私を見る、責めるような、失望混じりの視線に耐えられなかったの。逃げたのよ、私……」
最後に、溜息とともに涙が一粒、こぼれて来た。そんなリラの様子を見て、ダークロードは静かに、喉の奥でクツクツと愉快そうな笑い声を漏らす。
「忘れさせてやろう、あいつのことなど。最も、記憶を戻したお前があいつの元に戻りたいと言っても、戻ることは永遠にできないがな」
ダークロードの言葉に、リラは首を傾げる。寝室のドアに向かって歩き、彼はドアに手をかけたまま振り返った。
「お前ほど、三界の王妃にふさわしい者はいないからな。手放しはしない……」
そう妄執を感じさせる一言を残して、彼は寝室を出ていった。少し強張っていた体をほぐし、リラは溜め息をついた。
彼に、会いたい……。自ら離れることを望んだのに、思うことはそればかり。
「さよなら……」
白いシーツに、ポトリと雫がこぼれた。
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