記憶による焦り
(重い……)
ふと、そんな言葉が彼の頭をかすめる。ぼんやりとした霧が少しずつ晴れるかのように、視界が広がって行く……。
重く、酷使によって感覚を失ってしまった足を引きずりながら、彼女と、彼女を奪った存在を追いかける。ようやく彼らに追いついたと思うと、急に視界が開けた。どうやら、気付かぬうちに塔の上まで昇っていたらしい。世界で一番天に近い場所、創造神を祀った神殿の上まで……。
石の窓枠に足をかける、青年の姿が見える。波打つくすんだ金髪を肩まで伸ばし、三白眼な濃い紫の瞳には純粋な怒りのせいで青い炎が踊っている。
その凍てつくような眼差しの先には、恐怖に射竦められ、怯えきった瞳をしながらも、抵抗することを諦めてはいない彼女の姿があった。
それは、一瞬の出来事だった。青年の姿が、全身から溢れだした怒気によって陽炎に包まれているように揺らめく。そして、次の瞬間には彼女の姿が塔の上から消えている。……彼女に何が起きたのかなんて、考えなくてもわかる。そして彼も、彼女の姿を求めて石の窓枠を蹴った。記憶の隅に、あの青年の笑い声だけがいつまでもこびりついている……。
「……リド! フェリド!」
自分を呼ぶ女性の声に、彼は無理矢理意識を浮上させた。白い光が、ぐんぐん彼の方へと近付いて来る。
「良かった、目を覚ましたのね!」
自分を覗き込む二対の青い瞳に彼が最初に感じたのは、落胆だった。期待していたエメラルドの瞳の少女のことを思い出して、その場に勢い良く起き上がる。
「う……!」
途端に激しい眩暈を感じて、その場に倒れないように自分の体を両腕で支える。
「まだ無理をしてはいけません!」
ジュリアがいつになく激しい声で彼を制止し、その後で横になるように促す。だが、そんな彼女の腕をフェリドは力一杯振り払った。
「触るな! 僕は、行かないと!」
「馬鹿を言わないで、そんな状態で……!」
ティアナが厳しい声音で発した制止も虚しく、フェリドは大地の剣に腕を伸ばす。
「リラを助けないと! 一刻も、早く! あいつは! あいつにだけは渡せない!」
しかし、彼のその腕が大地の剣に届くことはなかった。代わりに、耳を疑う程の打音が部屋の中に響く。
驚いて青紫の瞳を大きく見開いたフェリドの視線の先にいたのは……ジュリアだった。
恐らく、ありったけの力でフェリドの頬を張ったのだろう、彼女の手のひらは赤みを帯びている。
「いい加減にして下さい!」
真っ青な瞳の中に怒りの色を見て、フェリドは口を開くことすらできなかった。
「今のあなたが助けに行ったところで、何ができるというのですかっ?」
肩を大きく上下させ、苦しげに息を吐きながらも、彼女は彼に対する怒りを収めることなく続けた。
「そんな体ではお姉様を助け出すことはおろか、ハーバナントに辿りつくことすらできないでしょう!」
そこでフェリドが俯き、唇を噛んだ。ティアナも、沈痛な面持ちで俯いてしまう。
「それにっ……!」
ジュリアの語気が弱くなり、代わりに、涙が銀青色の睫毛を濡らす。
「それに……今のあなたが助けに行ったところで、お姉様が戻ってくるとは思えません……。いえ、恐らく私たちの誰が助けに行ったところで無駄なことでしょう……」
つう、と溢れだした雫を、赤くなった指先が拭った。
「私たちは皆、失った過去世の記憶を取り戻して、それが当たり前だと思い込んでしまっていた。皆が皆、それを知らず知らずのうちに相手にも求めるようになっていた。その結果、思い込みがお姉様を追い詰めることに……」
言葉に詰まって泣き出してしまったジュリアの後を、ティアナが引き継ぐ。
「自分の知らない自分がいる、なんて話、なかなか受け入れられないだろうし、私たちがそんな話をしなければ、知りたいとも思わなかったのかもしれないわ……」
「……それに、もしかしたら、彼女が記憶をなくすことを望んだのかもしれない。あるいはそれ以外の力が働いているのかもしれない。あいつが言っていたように、神族のだれかによって記憶が封印されているのかもしれない。どれが本当なのかは、わからないけれど……」
ポツリとそう漏らしたエルリックに、皆の視線が当てられた。それに気付いた彼が、神妙な顔をして続ける。
「だってそうだろう? 光の神族たちなら、記憶を消すくらいの力はもっているはずだ。ましてやリラさんは神族の末娘で皆にかわいがられていた。彼女が望めば、神族たちは大抵のことなら叶えると思うんだけど……」
「確かに、ありえない話ではないな……」
全員が、今はその可能性を認めていた。ふと落ちた沈黙の後に、ティアナが不自然なほど明るい声を出す。
「とりあえず、今の私たちにできるのは十分な休息をとることよ。何しろ次の目的地は……」
全員が、頷く。
「敵の本拠地、ハーバナントなんだから」
久々に投稿することができました。
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不定期更新にはなりますが、細々と続けていきたいと思っております。
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