記憶が作る溝
リラとアランを除く他の面々が、その存在を確認した時に、硬直してしまった。これまでに見て来たどんな敵よりも強い、圧倒的な力を纏って、その男は彼らの目の前に立っている。
「どうした? リラ。感動の再会で言葉も出ないか?」
彼はそう言いながら、弓を番えてギリリと引き絞っているリラに腕を組んだまま視線を向けた。
「会ったこともない相手に何を……?」
彼女のその言葉に、彼は僅かにだが眉を寄せた。彼の表情の変化に気を取られている内に、その姿が消え、一瞬ののちにリラのすぐ目の前にその姿を現す。
「な……」
あまりに急なことで、リラは身動きも出来ずに固まってしまった。くすんだ色の金髪を肩まで伸ばした、長身の男。自分の瞳を真っ直ぐに捕らえる三白眼なアメジスト・アイに魅入られてしまいそうになる。
先程から、頭がガンガンと、割れそうな位に痛んでいる。彼女の本能とでも呼ぶべき何かが、全力で警鐘を鳴らしている。彼は、危険だ……。それなのに、彼女の体は指一本動かすことができない。逃れなければならないのに、不思議な闇を宿した紫の瞳から視線を反らすことができないのだ。
「離れろ!」
彼がリラに急接近したことに焦りと不安を覚えたフェリドが、やっとの思いで恐怖に縛られた体を鞭打ち、地を蹴った。
「ふん……」
しかし、大地の剣の刃が届く前に、その男が腕を軽く上げただけで作り出した衝撃波に飛ばされてしまう。何とか空中で体勢を立て直し、着地をして見せたものの、リラと彼に近寄ることさえできなかった。
くすんだ金髪の男が、静かにフェリドの方を振り返った。その隙に、その視線の拘束から逃れたリラが彼との間に距離を取る。
「お前にも四百年ぶりだと挨拶をせねばならないのか? 大地の子よ」
「黙れ! また邪魔をするのかっ?」
フェリドの苛烈な眼差しを受けても、男は平然としている。それどころか、喉の奥からクツクツと愉しげで、それでいて残虐さが窺えるような笑い声を漏らす。
「それはこちらの台詞だ、大地の子。彼女ほど魔界の王妃としての素質に溢れている存在は、他にない。……それだけではない。彼女を手に入れれば、魔界や人間界の支配どころか、天界までも支配できるだけの力を得ることができる」
「うるさい、黙れ! そんなこと知るか! なぜそんなにリラに固執するっ? 彼女のどこにそんな力があるっていうんだっ? もう放っておいてくれ! 僕たちの邪魔をするな!」
男が楽しげに語る一方で、フェリドはどんどん怒りを顕わにしていく。事情がまったくわかっていないリラやアラン、エリゼはもちろん、おおよその事情を聞いて知っているジュリア、ティアナ、エルリックでさえも、ただただ目の前の展開に圧倒されている。……それだけ、今のやりとりが彼らの確執の深さを物語っているのだ。
喉をクツクツとならし、相変わらずフェリドを馬鹿にしたように笑っている男に、フェリドが耐え切れずに叫んだ。
「何とか言ったらどうなんだ! 魔王!」
フェリドが憤然として言い放った彼の名を聞いて、リラとアランも凍りつく。彼のその名は、誰もが一度は耳にしたことがある、神話の中で最も残虐で、最も邪悪な神の名……。
「その名で呼ばれるのも四百年ぶりだな。今では私をその名で呼ぶ者はお前とリラ位になった」
「わ、たし……?」
彼の呟きに、リラは恐怖半分、疑問半分という顔をして見せた。彼女のその様子を見て、ダークロードが一瞬訝しげな表情を見せ、その後面白いことを見つけた、とでもいうように目を細めて笑う。
「ほう……宝具の復活を知り、我が運命の半身との邂逅を果たすべくやって来たが……まさか記憶を持っていないとはな……」
そう愉快そうに呟いた後、さらに嬉しそうに瞳を細めてフェリドにその視線を向ける。
「お前も辛いな、大地の子? どんなにお前がリラを思っていても、彼女はお前と生きた記憶の全てを捨ててしまったようだからな? 辛い思いばかりさせていたのではないか?」
彼のその言葉に、リラもフェリドも固まってしまう……。
「私の……記憶……?」
そう言って不安げに眉を寄せ、構えていた弓を下ろして、リラはそっと自分の体を自分の腕で抱き締めた。そうでもしないと、自分の存在が空気に溶け出してしまうような気がしたのだ。
忘れてしまっている物とは、一体……? 自分は、何を失っているというのだろうか……? なくしている物なんてないはず、と思う一方で、風の精霊の領域から戻ってから、どうしても何かが足りない不安感に襲われている。フェリドもそんなことを言っていた。まさか、その答えが……?
「うるさい、うるさい、うるさい! お前に何がわかるっ? お前に……!」
フェリドが勢い良く地を蹴った。しかし、怒りに任せて振るわれた太刀筋で斬れるような相手ではない。ひらりとその剣戟をかわし、地に足をつけてから相変わらずクツクツと喉の奥で不気味で、相手を小馬鹿にしたような笑い声をさせる。
「図星か。しかし、それでは手も足もでないな? 大地の子……」
「うるさい、うるさい! 黙れ、黙れ、黙れー!」
フェリドが大地の剣を振り下ろす度に強い衝撃波が生じて、幾筋も大地に深い傷跡が刻まれる。
「フェリド、やめなさい! そんな力の使い方をしたら……」
ティアナの制止の声も耳に届いていないようで、フェリドはそれでも大地の剣をふるい続けた。
「やめてください、フェリドさん!」
ジュリアが飛び出し、フェリドの利き腕を抑え込んだ。それでやっと動きが止まったフェリドだったが、額には大粒の汗が浮き、浅い呼吸を何度も繰り返している。そして何より、真っ青な顔をして震える唇を噛み締めている。大地の子としての力を一度に放出し過ぎたために、ショック状態を引き起こしているのだ。それでも、眼前の敵を見据える視線は鋭く、ありったけの憎悪が込められていた。
「随分余裕がないようだな、大地の子。リラの記憶が失われたのがそんなに辛いのか?」
「お前には関係ないだろう!」
「そうも言ってはいられないな。こちらにとっては、リラの記憶がないのは千載一遇の好機とも言えるのだから」
彼はそこまで行ってから、悠然とリラの方に体を向ける。見つめられただけで、体が芯から震えだす、濃い紫色の瞳。この色には、見覚えがある。でも、一体どこで……?
自分の体を庇うように抱くリラを見て、彼は笑みを深めた。それから、歌うように、彼女を誘うように優しく次の言葉を紡ぐ。
「知りたくはないか? リラ。お前のなくしている、過去を……」
「私の、過去……?」
どこか虚ろな、怯えたような瞳で問いかけるリラに、彼はゆっくりと頷いて見せた。
「そうだ、お前の失っているもの……。おそらく、風の精霊によって記憶に封印がかけられているのだろう。私なら、そんなものを破るのは容易い」
すっと、彼の手がリラに向かって差し出される。
「私の、記憶……」
相変わらずの、何も映していないような虚ろな瞳で、リラもその手に向かってそろそろと自分の手を差し出す。
「ダメだ、リラ! 行くな! 戻れなくなる!」
フェリドの制止する声が彼女に届いているのかどうかも怪しい……。真っ白な指先が、魔王と呼ばれた青年の手にそっと触れた。それが強く握り締められる。
「リラ、ダメよ! そいつはっ……!」
「お姉様、戻って下さい!」
ティアナとジュリアの叫びも虚しく、リラの体は、くすんだ金髪の青年の腕の中に収められた。フェリドがあまりの驚きに、言葉を失う……。
「……ごめんなさい、私、行くわ」
「どうしてだよ? リラさん! 戻った方がいいよ! そいつは危険だ!」
エルリックも彼女を引き止めようと必死の様子だが、リラはそれに緩く首を振って答えた。
「これで、いいの。……私、本当は怖かったの。自分で知らない自分がいるなんて、信じたくないもの。でも、それが本当だということがこの短い時間でわかったから、今度は自分が何者なのかきちんと把握したい」
そこで一度言葉を区切って、どこか悲しげな笑みを浮かべる。それから、また紅色の唇が続きを紡ぎだす。
「それに、今のこの怖さを抱えたままこの先も旅を続けるのは難しいと思うの。だって、この先も私の記憶の話をする度に、昨日みたいなことになって、あなたたちとの間に溝が出来てしまうかもしれない……。今のこの状態のまま、あなたたちと一緒にはいられない……」
「……くな」
フェリドのかすれた声が、やっと喉の奥から絞り出された。その声も、まだ聞き取れないほどの大きさでしかない……。
「行くな、リラ! また僕を置いて行くのかっ?」
彼のその言葉を受けて、リラがより一層笑みを深めた。紅の唇がいびつな三日月型に歪み、雫が一つ、その横を伝う……。
「……ほら、またそんなこと……。それも、私が知らない私の過去の話、なんでしょう……?」
彼女にそう言われて、フェリドは今度は言葉に詰まってしまった。確かに、彼女の指摘通りだ。自分は無意識の内に、彼女の失われてしまった記憶を基準にして話をしてしまっているのだ。
「どうやら、今生では私の方に分があったようだな、大地の子よ。……お前とリラは結ばれることはないのだろう。それこそ、光の神の言うところの運命、というやつなのではないか?」
目的を達した魔王の笑い声が、辺りに響き渡る。ぶわりと周囲の空間を巻き込むように強い風が起き、その直後にはリラを抱えた青年の姿はもうなかった。残されているのは、僅かな百合の香り。そしてもう一つ、フェリドの心に思い切り爪を立てた、さようなら、という彼女の唇の動き……。
「どうすれば、いいんだよ……? どうすれば、よかったんだ……?」
フェリドの体からガクン、と力が抜け、そのまま彼が生み出した衝撃波によって深い傷を負った地面の上に崩れ落ちる。
「フェリドさんっ?」
最初に彼に駆け寄ったのはジュリアで、すぐに他の面々も駆け寄って来る。治癒の術を施しても、フェリドが目を開ける気配はない。
「とりあえず、すぐに休ませないと! 術の過剰な行使とお姉様がいなくなったことによるショックで、精神が一気に疲弊してしまったみたいです! このままじゃ危険です!」
暗雲から、ついに雨垂れがこぼれて来るようになった。一行には、長い長い一日の始まりだった。
大変長らくお待たせいたしました。
卒論や引っ越しで目の回るような毎日、気付けば最終更新日から4か月……。
更新が遅いのは毎度のことですが、今回は特にひどかったと反省しております。
本当に申し訳ありませんでした。
これからも不定期更新となってしまうかと思われますが、必ず最後まで書きとおします。
もしよろしければ、もうしばらくお付き合い下さい。よろしくお願いいたします。




