苦悩と決意
風が、耳元を吹き過ぎる。それは時に一向に語りかけるかのように優しく、また時にはこの領域への人の子の立ち入りを拒絶するかのように突風となって襲い掛かる。ただそれらに共通していることは、虚しさ、とも言うべきものだった。この領域の全てが餓えている。エルリックはその様子に、密かに炎の精霊が言っていた「人々の祈りの欠乏」という言葉を思い出していた。
「着いたわね。風の遺跡……」
ティアナがそう言って馬を降り、辺りを見回す。何もない丘陵地の中に、風に吹きさらされて立つ遺跡。あちこちが風化して崩れてはいるものの、その白さは何物にも穢されることなくこの遺跡が存在し続けたことを主張するかのようだ。
「リラ、何か感じる?」
フェリドの問いかけに、リラは首を横に振って見せた。
「ダメ。……もう少し時間をかけてもいいかしら?」
彼女の問いに、他の面々は気持ちのいい笑顔で頷いて見せた。
「ここは精霊の領域だから闇の勢力の侵略も心配しなくていいし、焦らなくていいよ。今日はここに泊ろうか」
エルリックが人一倍明るい、爽やかとしか言いようのない笑顔でそう言うと、ジュリアもそれに相槌を打ってから続けた。
「無理をなさる必要はありませんわ、お姉様。さあ、お茶を入れますから座ってお待ち下さい」
ジュリアに促されて、リラはエリゼとアランとともにその場に腰を下ろした。ふわふわと柔らかい草が、彼女の足をくすぐる。こんなに座り心地の良い場所は、城の中にいてもそうそうないかもしれない。……この領域は、彼女には居心地がよすぎた。それが、チクリチクリと彼女の胸を刺す……。
(呼ばれている……)
彼女には、精霊の呼び声が聞こえていた。遥かな彼方から何度も、彼女の耳朶に寄せて来る柔らかい声の波……。それと同時に、頭の奥で何かがピィーン、ピィーンと彼女の思考を締め付けるのだ。行ってはいけない、知ってはいけない、と……。だから、頭の奥の警鐘と精霊の呼び声、どちらを取るかを決めるためにほんの少しの時間が欲しいと思ったのだ。……もっとも、答えは決まっている。精霊の聖具は彼女個人の問題ではなく、全世界の行く末を揺るがすような重大なものなのだ。取りに行かない、という選択をすることはできない……。だから、彼女が必要としたこの時間はむしろ彼女の決意のために必要な時間と言えた。もうすぐ、この警鐘が何に対するものだったのか、その正確な答えがわかるのだ……。
(どうしよう、怖い……)
彼女は、その答えを恐れていた。以前他の皆が創造神と呼ぶものに言われた、呪われた運命を持つ、罪深き恋人たちという言葉……。あれがそのまま、答えのような気がしていた。そして、知ってしまえば今のままフェリドのそばにいることはできないような気が……。……ふるふると、暗い思考を振り払うように首を振る。
「……私、行くわ」
自分に言い聞かせるかのようなその言葉とともに、彼女はもう駆け出していた。答えもわからないものを、最初から恐れていてどうする? 彼女はそんな思考とともに、吹き荒ぶ風の中に溶け込んで行った。
「いよいよ、か……」
独りでに頬が紅潮する。やっと、彼女に想いを打ち明けられる。四千年と、今世で彼女と出会ってからの四カ月分……。何から伝えればいいのだろうか、そんな思考に、胸が高鳴る……。
「まあ、せいぜい嫌われないように釈明するのね。フェルディナンド」
隣のティアナがそうこっそりと呟く。おそらく、精霊の子であり前世の記憶を取り戻しているティアナ、エルリック、ジュリアの三人は、自分の名前が偽名であることに気が付いていただろう。そして、自分がルクタシアの衛兵長などではないことも……。フェルディナンドと言えば、ルクタシアの現国王の名前だ。気付いていながらも、自分には何らかの事情があるということを察して、黙っていてくれたのだ。
異母妹に当たるエリゼと、彼女を預かっているアランは、当然彼の本名も正体も知っていた。
「ああ、そうするよ……」
穏やかで幸福に満ちた笑みを浮かべて、ティアナに答えるフェリドだった。
まさかの二日連続投稿ができて自分でも驚いています。
時間がかかるかも、なんて前回の後書きで書いてしまったことをお詫びいたします。
リラの思考が随分と暗くて、書いている方としては辛かったです……。
次回ではリラの過去、その中でも彼女に鮮烈に焼き付けられている思い出が出て来る予定です。
後書きの最後になってしまいましたが、ここまでお読み下さってありがとうございます。