外伝 不思議の国のリラ(製作者フェリド)3
「どうしてあなたが付いて来るのよ?」
「いや、ほら、知らない世界を旅しているんだから、護衛の騎士が必要だろ?」
そこでリラがいつものようにフェリドに白い目を向けます。
「……必要ないわよ、護衛なんて。大体、あなたは騎士じゃなくて猫じゃない!」
痛い所をつかれて、フェリドがグッと押し黙りました。
「ああ……いくらリラと二人で歩きたかったからって、この役は失敗だったのかな……。猫である我が身が恨めしい……」
そう言いながら、涙も出ていないくせに目元を拭って見せます。リラはずんずん先に歩きながら続けました。
「わざとらしく出てもいない涙を拭うのはやめてよ。……ほら、行きましょう」
「……ああ!」
ほんのりと頬を染めてそう言ったリラに救われるような心地で、フェリドは彼女と並んで歩き始めました。
しばらく歩くと、森の中から甘ーいクッキーの香りと紅茶のいい香りが漂って来ました。
「ねえリラ、帽子屋と三月うさぎがお茶会をやっているみたいなんだけど、少し寄って行かない?」
フェリドにそう言われて、リラは軽く溜息をつきました。しかし、確かめたいこともあります。
「……いいわ、お邪魔しましょう」
彼女の返答を受けて、二人はクッキーの香りを辿って森の中を歩きました。やがて森の木々が突然開けたと思うと、木漏れ日が差し込む広場に辿りつきました。そしてその中心で、呑気にお茶会をしている帽子屋エルリックと三月うさぎジュリアを見つけて、リラは思わず微笑みます。
「素敵ね、ジュリアが用意してくれたクッキーならお茶会に参加させて欲しいわ」
そう言って二人のテーブルに向かて歩きます。
「やっぱりジュリアのクッキーは最高だね! 王城の女王様だってこんなにおいしいクッキーは食べてないよ、きっと!」
「まだまだおかわりを用意してありますからたくさん食べて下さいね、エルリック。その帽子、よく似合っていますわ」
「ジュリアだって、うさぎの耳、とってもかわいいよ!」
聞くに堪えない会話だなと思いながら、リラは二人に話しかけた。
「こんにちは、少しお邪魔してもいいかしら」
「やあリラさん、大歓迎だよ」
「ようこそ、お姉様。焼き立てのクッキーはいかがですか? 今紅茶をご用意いたしますわ」
二人の歓迎を受けて、リラは空いている席に腰を下ろしました。フェリドは彼女のその隣に腰を下ろして、ジュリアのお茶を待ちます。
「さあお姉様、どうぞ召し上がって下さいな」
ジュリアはニコリと笑ってリラの前にだけお茶を置くと、さっと身を翻してエルリックの隣に戻った。
「あの、ジュリアさん? 僕のお茶は?」
「おいしいわ、このお茶もクッキーも。さすがはジュリアね」
「お姉様に褒めていただけるなんて、光栄ですわ」
「あのー……」
どうやら全員、フェリドのこんな茶番に付き合わされていることにひどくご立腹の様子です。テーブルについた彼を無視して、三人はしばし平和な会話を楽しみました。
「じゃあ、そろそろ行くわね。あなたたちがここにいるなら、城にいる人物も消去法で見当がついたわ」
「さすがはお姉様ですわ。道中お気をつけて」
「そうだよリラさん、特に危ない猫に気をつけて!」
「それは僕のことかなー? エルリック君?」
おいしいお茶と和やかな会話を楽しんだ後、リラは再び城に向かって歩き始めることにしました。結局最後の最後まで構ってもらえなかったフェリドは、ほんの少し拗ねています。
「大丈夫よ、エルリック。私が何の構えもなしにこんな危険な猫と歩く訳ないじゃない。弓の他にもいくつか暗器を隠し持っているから、大丈夫よ」
「あの、リラさん? そんなキラキラとした笑顔でそんな危険なこと言うの、やめてくれます? この先がたまらなく不安になるんだけど……」
フェリドのそんな呟きを三人とも無視して、彼らはまた城に向かって歩き始めました。
「あああーっ! どうしよう!」
「どうって、一体どうするつもりよー、アラン!」
リラとフェリドが華やかで複雑に入り組んだ薔薇の迷路に迷い込んでしばらくすると、ふと生垣の向こうからそんな声が聞こえてきました。リラとフェリドの二人は、何も言わずに視線をかわします。
「どうするつもりよーって……どうしようもないだろうな……」
「諦めるの? あの化け物みたいなおばさんに首をちょんっ! てされてお終いでいいの?」
「いや、それは困るけど……」
どうやら、生垣の向こうの人物はあることですごく悩んでいるようです。それが誰なのか声でわかったリラは、何とかして彼を助けたいと思いました。……普段同じ悩みを抱えている、常識人の彼が困っているためです。
「どうやって向こう側に行けばいいかしら? この迷路じゃ時間がかかり過ぎるわ……。迷ってしまって二度と会えない、って可能性もあり得るし……」
「わかったよ、リラ。僕にまかせ……」
ヒュッ! フェリドの言葉の途中で鋭い呼気が響いたと思うと、今まで彼らを悩ませていた薔薇の生垣はあっという間に霧散してしまいました。残ったのは、虚しく空を漂う葉と散ってなお艶めかしい紅い薔薇の花弁でした。チラと視線をやると、リラは手にしたナイフを何事もなかったかのように懐に戻しています。フェリドの口から、大きな溜息がこぼれました。
「あーあ、ここでかっこいい所をみせようと思ってたのに……。どうしていつも君の方が僕よりかっこいいんだよ?」
「訳のわからないことを言っているのなら、面倒だからここに置いて行くわよ?」
「待ってくれよ、リラー!」
折れた薔薇の枝を持ち、土に円を描くような仕草をしていたフェリドでしたが、彼女において行かれると思って慌てて立ち上がりました。
生垣の向こうでは、トランプの衛兵アランが頭を抱えてうずくまり、その隣で白うさぎエリゼが彼を心配そうに覗き込んでいました。
「どうしたの、アラン?」
二人が駆け寄って来るのを見て、アランはホッとしたような、同時により深い絶望を味わっているかのような表情になりました。そして、迷路の庭の一角を指差します。
「白いんです……」
「え?」
彼のその言葉だけでは何を言わんとしているのかわからず、リラはその指の先に視線を向けました。
「うん。確かに、白い薔薇だね……」
フェリドの言う通り、庭の迷路の一角だけが純白の薔薇で作られていました。確かに、他の区画が全て赤い薔薇で構成されているために何となく違和感がありますが、薔薇自体はとても美しく咲き誇っています。
「素敵じゃない。一生懸命世話をしたんでしょ、アラン?」
リラがニッコリと笑って見せても、アランは絶望をその目に浮かべたまま首を振るばかりです。
「女王様には全部赤でつくるように、と命じられていたんです。それなのに……。どうしましょう、リラさん。僕はもうお終いです! 女王様から罰を下されるでしょう……。よくて城の全ての柱磨き、悪くすれば首を……」
そこまで言うとアランは真っ青になって自分の首に手を当て、口をつぐみます。その唇が僅かに震えているのを見てとったリラは、何とかして彼を助けたいと思いました。そこで、今まで彼女の後ろにいたフェリドを振り返ります。
「フェリド、私とアランでここの薔薇を植え替えるから、その間女王様の足止めをしていてちょうだい。エリゼ、あなたも手伝ってくれるかしら?」
「わかった! あのおばさんの命令を聞くのは癪だけど、アランのためだし、ここは私が大人にならなくちゃね!」
エリゼはそう言って自分の胸をドンと叩きました。しかし、もう一方の人物はリラの言葉を拒絶するかのように首を横に振り、アランに負けず劣らず青ざめています。
「リラ、いくら君の頼みでも、それは無理だ……。僕はきっと、彼女の目の前にでただけで問答無用で首を……」
「そんな恨みを買うようなことしてるの? 自業自得じゃない。とにかく、今彼女がここに来たらせっかくの植え替えだって意味がなくなっちゃうんだから、何とかしてよ!」
「誰がここに来たらせっかくの植え替えに意味がなくなるのよー?」
この声は……。一同が身構えました。フェリドは先程リラが開けた生垣の穴にさっと隠れ、アランはまた頭を押さえてうずくまりました。エリゼは舌を出して臨戦態勢に、リラは特に逃げたり隠れたり戦ったりする必要はないので、その場から声のした方に視線を向けました。そうです、視線の先には誰もが恐れる赤の女王、ティアナの姿があったのです!
「ちょっとー。どうして私が恐れられなくちゃいけないのよっ? こんなにも優しくて美しいんだから、そんなはずないでしょー! 作者を出しなさい、作者を!」
「あらティアナ、作者ならあの生垣の穴の向こうよ」
「いや、ほら、そんなことは台本にないよね? さあ、続けて続けて!」
「仕方ないわねー! 覚えてなさいよ、フェリド!」
さらっと恐ろしい呪いの言葉を戻して、彼らは製作者フェリドの台本に則って物語を進めることに決めました。そこで女王様の視線がある場所にくぎ付けになります。
「ちょっとー、迷路は紅い薔薇で作ってって言ってあったじゃない! もー、誰よ? アランなの?」
鋭い指摘に、アランは体をビクリと震わせました。そこに女王様ティアナが畳み掛けます。
「そうなんでしょ? もー、せっかくの庭が台無しじゃない! 責任とってもらうわよ! そうねー……」
アランは死刑宣告を覚悟しているようで、がっくりと項垂れたまま彼女が次の言葉を発するのを待っています。そんな彼がどうしようもなく可哀想に思えたリラは、突拍子もないことを思いつきました。
「違うわ、この白薔薇を植えたのはフェリドよ!」
そう言ってすごすごと生垣の穴から出て来たフェリドを指差しました。
「ええーっ? ちょ、ちょっと何言ってるんだよリラ? 僕が殺されてもいいのかいっ?」
フェリドの抗議も虚しく、リラは首を横に振って見せます。
「ごめんなさい、フェリド。アランを救うためだと思って、許して」
そう言って、今度はリラが出てもいない涙を拭って見せました。そして……。
「なんだ、犯人はフェリドなのね。それじゃあ、刑を迷う必要なんかないわ。はい、打首決定!」
ティアナはそう言ってニッコリと満面の笑みを浮かべてみせました。それを受けて、フェリドががっくりと膝をつきます。
「そんな、嘘だろー!」
恋人に裏切られ、仲間には斬首に処され……フェリドはその瞬間に、自分の運命を呪いました。
「はっ! はあ、はあ……」
彼は、そっと闇の中に起き上がった。体がひどく汗ばんでいる。どうやら、今までのは悪い夢だったようだ……。
「夢、か。よかった……」
恋人に裏切られ、仲間には斬首に処され……あれが現実であってたまるか。最初は自分が都合よく語って行く話だったのに、途中から何者かによって話を捻じ曲げられてしまった。彼が物語の作者ならば、女王によって斬首の判決が下された後、主人公の少女とチェシャ猫は手に手を取って駆け落ちするはずだ……。
「それとも、あれが僕の願望だって言うのか? 冗談はやめてくれ……」
ほう、と溜息をつく。くどいようだが、恋人に裏切られ仲間には斬首に処され……あんまりな展開だ。
「独り言言ってないで、こっちに来て少し火にあたったら? ……まあ、眠れないなら、だけど……」
見張りをしていたリラが、起き上がってブツブツと言っている彼に火の照り返しではなくほんのりと頬を染めてそう声をかけると、彼はとても嬉しそうに笑って火のそばに歩いて来た。
「お茶、入ったわよ」
そう言って彼にカップに入れたお茶を一杯差し出してくれる。……彼女の料理はまだ大きな進歩は見られないが、お茶位なら問題なく飲める。
「ありがとう、リラ。やっぱり、君はこうじゃなくちゃね」
カップを受け取ってお茶を一口含んだ彼に、彼女は意味深に笑って見せた。
「弓の練習でもしようかしら?」
「あ、い、いいんじゃないかな? アハハハハ……」
フェリドは、誰にもこの夢の話はしなかったという。
やっと外伝が終わりました。私のくだらない趣味にお付き合い下さった皆様、ありがとうございます。
次話からは本編に戻ります。
投稿まで少し時間がかかると思います。
申し訳ありませんが、しばらくお待ち下さい。