何でもない、至福の時
一行が賑やかな街並みに気分を高揚させた次の日、フェリドが言っていたようにシンナンの城から使者がやって来て、夕方から行う即位式の後夜祭に招かれた。彼らは各国の国王の名代として出席するため、旅服から盛装に着替えていた。
「さあ、迎えも来てることだし、行こうか」
フェリドがそう言ってリラをエスコートするように腕を出すと、リラは少し戸惑いながらも彼の手を取った。その戸惑いの理由が恥じらいなら良かったのに、と思い、フェリドは一瞬今にも泣き出しそうな笑顔を浮かべた。彼女が戸惑いを見せたのは、恥じらいなんかのせいではなく、恐れのせい。創造神が最後に落として行った爆弾は、余程彼女には効いたと見える。
記憶を精霊の試練によって取り戻した彼にとっては、そんなこと今更だ、と笑ってやり過ごすことができる内容だった。四千年もの長きにわたって思い合っていながら、その度に彼に横恋慕され、彼女を失い続けて来たのだ。これを呪われた関係と呼ばずに、何と呼ぼうか。結局、シンナンの城まで彼らは沈黙したまま何とも言えない空気を醸し出していた。
「皆様、ようこそお越し下さいました」
そう言って、シンナンの新王が、彼ら五人に向かって玉座から軽く会釈をして見せた。フェリドが代表として一歩前に歩み出て、膝を折る。
「この度はご即位おめでとうございます。我ら友好国一同、貴国のますますの発展をお祈り申し上げます」
シンナンの王は満足気に笑って、侍女に合図をした。王の後ろから侍女が二人歩み出て来て、彼らを席に案内してくれる。
「皆様、どうぞごゆるりとお寛ぎ下さい」
王はそれから、後ろに控えているもう一人の侍女にも目配せをした。すると、五歳位の何ともかわいらしい女の子が侍女に連れられて前に出て来た。
「せっかくいらして下さったのですから、皆様のために姫に一曲歌わせようかと思うのですが、いかがですか?」
「ええ、是非」
フェリドはニッコリと笑ってそう答えた。シンナンの王は年老いてから授かった一人娘が可愛くて仕方ないらしい、という話は、友好国の人間であればだれもが知っている話だった。どうやら、客人に愛娘を見せたいようだ。通常、異国からの客人があってその国の姫が歌などを披露するという場合、姫は年頃の娘であり、客は異国の王族、それも独身の男性と相場は決まっている。つまり、見合いの場となるのだ。しかし、まさか五歳位の娘を見合いに出す父親もいないだろう。この行動は、国王の自己満足とさえ言えるのだ。もっとも、この場で国王の機嫌を損ねる必要もないので、フェリドは快く承諾をしたのだが……。
「ちょっと、お姫様の歌ですって。まさかフェリド、逆玉の輿でも狙ってるのかしら」
ティアナが隣のリラに面白がってそう耳打ちをする。それを聞いたリラは、じとーっといつものように彼に白い目を向けた。その一瞬だけでも、彼女と普段の距離感を取り戻せたことに安堵してしまう……。
「そっ、そんな訳ないだろ! 姫君はまだ幼いんだから!」
小声でそう彼が反論して見せると、ティアナはまたしてもリラにとんでもないことを耳打ちした。
「玉の輿狙いのロリコンですって。救いようがないわね……」
リラもそれに頷いて、二人でフェリドを白い目で見つめる……。自分がひどい扱いを受けているのはわかっているのだが、いつもの光景を嬉しく感じてしまう。それが少し悔しくもあるのだが……。
しかし、彼女たちのおしゃべりがピタリとやんだ。まだ小さい姫が彼らのために歌ってくれたのは、シンナンに古くから伝わる曲らしい。独特の節であるため言葉の判別は付けられないが、明るい響きに気分が高揚する……。幼いながらに、姫は立派な歌い手であった。
「素敵ね……」
そう隣で呟くリラの手にそっと自分の手を重ねると、彼女はふわりと優しい笑みを返してくれた。どうやら、幼い姫の歌で明るさを取り戻してくれたようだ。もしかすると、創造神が残して行った言葉を、今だけであったとしても忘れてくれたのかもしれない……。知らず満たされた思いで、フェリドは幼い姫の歌に耳を傾けていた。
「姫君は素晴らしい歌い手ですね。とてもお上手でした」
リラとの関係を何とか元の状態まで修復することができたフェリドは、上機嫌でそうシンナンの国王に賛辞を述べた。父王から歌のご褒美であるお菓子をたくさんもらっていた姫と、同じ年頃の黒髪の男の子がフェリドに視線を向ける。それに気付いて彼がニコリと笑ってやると、姫の方も嬉しそうに笑って見せた。
「ありがとうございます。この子の歌の師匠もなかなか見所があるといってくれているので、嬉しい限りですよ」
国王は彼以上の上機嫌でそう言うと、愛娘の頭を自慢げに撫でた。その拍子に、彼女の腕から小さな焼き菓子がポロリとこぼれ落ちて、フェリドの足元に転がって来た。小さな体に余るほどの荷物を抱えながらも一生懸命にしゃがんでお菓子を拾おうとする姫の姿がかわいらしくて、フェリドはさらに笑みを深くしてそれを拾ってやった。屈んだまま、小さな姫と視線を合わせる。
「どうぞ、姫君」
彼の青紫の瞳をじいっと見つめてから、姫はとびきりの宝物でも見つけたかのように嬉しそうに笑って見せた。
「お兄さんの目、綺麗ね! 素敵!」
その褒め言葉に礼を述べてやると、今度は首を傾げて彼を見つめる。
「ねえ、お城にはいつまでいるの? 明日は、私と遊んでくれる?」
「申し訳ありません、姫君。僕たちは明日、お暇させていただく予定なんです」
彼が困ったように笑ってみせると、小さな姫は唇を少し前に突き出してなあんだ、残念、と呟いた。この国には、どうやら闇の子はいないようだ。国王の即位の宴なのだから、シンナンの王族の縁者のほとんどはこの会場にいるだろう。しかし、先程ティアナに闇の子はいそうかと尋ねてみた所、普段の彼女には似つかわしくない哀しげな微笑みと、首を横に振るという仕草が返って来た。風邪の方具が眠っているであろう聖地への立ち入りはすでに許可を得ているので、もうこの城でなすべきことはないのだ。それならば、出来るだけ早くこの城を発って、闇の子と残りの聖具を探した方がいい。
しかし、彼のそんな思考を知るはずもない国王は、とんでもないことを言い出した。
「……、そんなに残念だったなら、大きくなったらお嫁さんにしてもらう約束をすればいい。そうしたら、お兄さんはまた遊びに来てくれるぞ。どうだ? お兄さんのお嫁さんになるか?」
……一体このお方は何を言い出すのか? 何の冗談だともう少しで口から出てしまいそうになるのを、フェリドは必死で堪えていた。初めの方はおそらく姫に呼びかけたのに違いないが、早口過ぎて聞き取れなかった。しかし、こんな小さな少女に父親が冗談で今の言葉を言ったと言うことがわかるはずもない。真剣に考えるように、ますます首を傾げている。フェリドは、背中に二人分の冷たい視線が刺さっているのを嫌と言うほど感じていた。……針のむしろにでもいるかのような心地だ……。
「ダメ。だって私は、大きくなったらリューキョのお嫁さんになるんだもの。それでね、リューキョに毎日遊んでもらうの。ね? リューキョ?」
彼女がニコリと笑って振り返った視線の先には、先程の黒髪の男の子の姿があった。……どうやらフェリドは、小さな姫に振られてしまったようだ。後ろでティアナが必死に笑いをこらえているであろう姿が、目に浮かぶようだ。いきなり自分に話を振られて動揺したのか、男の子は真っ赤になっている。いや、この反応は……。
「キョ、キョーカと結婚したらわがままばっかりで大変だから、嫌だっ!」
……おそらく、照れ隠しとでもいうやつであろう。普段同じような反応ばかりを見せる自分の想い人とその姿が重なって、フェリドはなんだか微笑ましく感じてしまった。
しばらくの沈黙の後に、小さな姫は大きな声を上げて泣き出した。……どうやら、彼女も振られてしまったようだ……。こんな小さな子供では照れ隠しなんてものはわからないだろうから、おそらく彼女はそう思っているだろう。何だかどたばたとし始めたので、フェリドは静かにその場を離れた。すると、いつの間にか近くに来ていたリラがクスリと笑って見せる。
「何?」
「いいえ、別に。今まで女性と見れば歯の浮くような台詞しか吐いて来なかった人だから、振られるなんて珍しいなと思って。しかも、あんな小さな姫君に」
彼女の意地悪な言葉に、フェリドも眉根を寄せて困ったように笑って見せた。
「そうだね、なかなか手ひどい振られ方をしたなぁ……」
「本当ね」
二人で笑い合うという何でもない至福の時を久々に得られたことを、フェリドは誰にともなく感謝していた。
お久しぶりです。やっと更新できました。亀よりのろい連載にお付き合い下さっている皆様、本当にありがとうございます。
私としては思い入れの深いキャラたちも登場して来たので楽しく書かせていただいたのですが、いかがでしたか?
ただいまちょっとした小話を考えております。もしかすると、次話はその小話になるかもしれません……。
それでは、失礼します。