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さようなら、幼い記憶たち

日の光が柔らかにベットに落ち、閉じている瞼を押し開く……。とうとう、夜が明けた。まだ十六のリラにとっての、運命の夜明けである。カーテンを開けると、今まで柔らかだった光は強くなって差し込み、彼女は思わずエメラルドの瞳を細めた。

「おはようございます、王女様。」

今日で別れることになった侍女二人と、彼女の嫁入り先、ルクタシアまでついて来ることになった侍女二人が、衣装などを捧げ持って部屋に入って来た。いつもの緩い楽なドレスではなく、花嫁、いや、貢物としての衣装に着替える……。水色の下地に青い飾り布を纏う形のドレスは、彼女の体をピッタリと締め付けた。そして、場違いにも思える程真っ赤なガーネットの額飾りをつける。それは、トリランタから嫁いで行くの王女の証……。支度が終わったところで、彼女は朝食に向かった。

「王女、どうぞお手を……。」

廊下に出たところで、彼女を呼び止める声があった。そこに立っていたのは、衛兵長のコルレッドだった。

「……お願いします……。」

侍女に下がるように合図をして、彼のエスコートに従う……。遅すぎる位ゆったりとした足取りで、二人はしばらく黙々と歩いていたが、やがてコルレッドの方が重い口を開いた。

「本当に……行ってしまわれるのですね……。」

彼女の額で揺れている切れ長のガーネットにちらと視線を当てて、彼はそう言った。

「長い間、あなたには本当に迷惑をかけたわ……。」

リラの目は床に落ち、ぼんやりとしていた。コルレッド衛兵長は、陽気で快活、その上賢く人望も厚かったので、彼女が王位を継ぐ時の縁組の相手として皆が認める人物だった。しかしそれには、他にも理由がもう一つ。二人は幼馴染で、リラに弓や剣などあらゆる武術を教えたのもコルレッドだった。おかげで彼女は、その辺の兵士など相手にならないほどの優れた女戦士となり、彼はその腕が認められて弱冠二十歳にしてトリランタの衛兵長にまでなっていた。そして二人は、誰の目から見てもあきらかな程、惹かれあっていた……。

「王女、私は……。」

コルレッドは迷った。告げるべきか、否か……。時も足も歩みを止めたが、彼女の長い髪だけが波打っていた。その一瞬に彼は自暴自棄に陥り、全ての思考が頭から消えた。彼女の手を引き、細い肩をその腕の中に収める……。ほんのりと、高貴な百合の香りがした。

「……無礼です、コルレッド衛兵長……。無礼です……。」

彼女は、彼の胸を勢い良く押し返した。

「さようなら……。」

そう言って早足で去って行く彼女の目に涙が光っていたのを、コルレッドは確かに見た。だが、それ以上彼女に声をかけることも、その歩みを止めさせることもできなかった。彼女は、彼の手を遠く離れてしまったのだ……。微かな百合の香りだけが、彼の元に残されていた。


「おはようございます、皆さん……。」

彼女が席につくと、一斉に食事が始められた。王妃は、辛うじて席についている、という状態だった。王と王妃の他に、リラと六人の他の王女たち……。王と王妃の間には娘しか生まれなかったため、王の側近や大臣たちは王の寝室に次々に自分の娘を送り込んだが、いずれも王女ばかりを生んだ。それを皮肉ってか、皆が皆、美し過ぎた……。そのために、今回だけは特例で第一王女であるリラが王位継承者となっていたのだった。

「ジュリアにはリラとともにルクタシアに行き、親善使節の役割を果たしてもらおうと思う。」

王のその言葉で、ジュリアはリラに向かって笑いかけた。元気付けようとしてくれているのはわかっていたが、先程別れたコルレッドのことが気がかりでそれどころではなかった。食事も、上の空という状態だ……。

『コルレッド……。兄のように、いえ、それ以上に好きだった。……仕方なくとは言え、私はあの人を裏切ったことになるのね……。』

心は塞ぐ一方だ。それでもグッと涙を飲み込み、食べたくもない食事を限界まで詰め込む……。誰にも心配はかけられないし、弱音も吐けない。彼女は、何度か城内の誰かから毒蛇入りの贈り物をもらったことがあった。送り主の見当はついている。第五王女、彼女の腹違いの妹のドロシーだ。どうやら、王位を狙っているらしい。祖父や叔父に焚きつけられたのか、あるいは彼女自身の意思なのか……。そこまでは、リラも知らない。そして、証拠がないから彼女を責めることもできない……。無理に口に押し込むのも限界で、彼女は席を立った。

「もういいの?リラお姉さま?」

いつものように鈍い第四王女、エマがそう訊ねてきたが、隣のジュリアがいつになく鋭い目付きで彼女を見たので、黙って食事を続けた。リラが席を立ってすぐにドロシーも席を立ったので、彼女はとてつもなく嫌な予感がした。それに反して、ドロシーはにこやかに彼女に話かけてきた。

「とうとうお嫁に行かれる日ですわね、お姉さま。」

リラは目も合わせずにそうね、と言った。彼女は、あまりにも信用ならない……。

「残念ですわ、毒蛇を送るべき相手が変わってしまって。」

後でエレーヌに注意しておこう、と彼女は心の中で呟いた。

「まあ、お姉さまには良いことですわ。せいぜいルクタシア王の寝首でも掻いてお戻りなさいませ。」

彼女は言いたいことを言いたいだけいうと、その場に立ち止まって嫌な高笑いを響かせた。リラは、耳が聞こえない、という自己暗示をかけながら歩いた。自分の部屋に戻ると、窓の外、遥か向こうには光を反射する小川が見えた。あそこに花を流し何も心配がなかったあの日が、遠い昔のことのようだ。ただ彼女には、ほんの少しの希望、という物も残されていた。

『もしルクタシア王が、勇気ある優しい青年だったら……。』

あのコルレッドのことも、いつかは忘れさせてくれるような……。彼女は、そんなあり得ない考えに辛うじて支えられていた。しかし、そのような噂は一向に聞こえてこない。自分の意のままにならない人生を歩んでいる彼女が、壊されないようにと自己を守る幻影に過ぎないのだ。

コツコツ……。

ノックの音が、彼女を現実の世界へと呼び戻した。あまり戻りたくなかった世界……。

「どうぞ。開いてます。」

戸を開けて入って来たのは、リラの唯一の同母妹にして彼女の代わりに王位継承者となったエレーヌだった。

「お姉さま……。私、たまらなく不安で……。」

彼女はそう言って目を伏せた。妹に、歩み寄る……。そして、勤めて優しく訊ねた。

「王位継承だなんて……。大き過ぎます……。私に、堪えられるかしら?」

その瞳に見られるのは、自己に対する不信と恐れ。リラは、一瞬迷った。彼女を励まし勇気づけるべきか、それとも、一喝するべきか。

パシンッ!

大きな音が、部屋中に響いた。エレーヌは若葉色のその瞳を、信じられないというように大きく見開いた。

「そんなこと言っちゃダメよ、エレーヌ!これはあなたが越えなきゃいけない試練なの!自分で捨てられるなら、苦労しないわ!王位が欲しくてあなたの命を狙っているような人間もいるんだから、弱気にならないで!自分あての贈り物の箱から、毒蛇が出て来ることだってあるんだから!」

エレーヌは驚いたまま硬直していた。まさか姉が、たった一人でそんな辛いことを背負っていたとは思いもしなかった。ただ毎日未来の政治について学び、武術の稽古を受け、国策について案を練っているだけだと思っていたのだから……。

「ごめんなさい。こんなこと言っちゃいけないのは、わかっていたのに……。ものすごく、不安だったの。それで……。」

一度上げた目を再び伏せた妹の肩を、そっと抱いてやる。

「もういいの。わかってくれたんだもの……。頑張ってね!」

「ええ……。お姉さまも、お元気で……。」

そして、二人は一度お互いをひしと抱き締めてから離れた。微笑みを交わして、窓の外に目をやる。どうやら、彼女をここから連れ出す馬車の準備が整ったようだ。

「行かなくちゃ……。」

もう一度、彼女の部屋を見渡す。ここには、おそらくもう二度とは戻って来られない……。懐かしい、思い出の数々。コルレッドとともに過ごした、幼き日々……。それらは、全てこの部屋に置いて行こう。彼女は、そう決めた……。

「お姉さま、参りましょう……。」

エレーヌに付き添われて、部屋を後にする。そして、城外にその足を踏み出す。城門に通じる道には、四頭の白馬が曳く真っ白な馬車が用意されていた。どうやら、ジュリアは先に乗っているらしい。馬車のそばには、王や王妃をはじめ、城の多くの人々が集まっていた。もちろん、コルレッド衛兵長も……。

「リラ、気をつけて行くのよ……。」

王妃は無理に作り笑いを浮かべたが、泣き腫らした目が痛々しかった。娘を手放すのが、本当に苦しいようだ……。続いてリラは、王の前に歩み出た。

「行って参ります、父上……。」

「……ああ。両国の親善のために、しっかりと努めるように。」

王もやはり、寂しそうな表情を隠し切れていない。リラは、馬車に乗り込んだ。そして飾り窓を開け、彼の姿を探した。自分をしっかりと見つめ返してくれるその視線を、もう一度確かめたかった。……いた。自分に向けられたその目に、彼女は懸命に訴えかけた。

『……好き。あなたが、好き……。』

彼の視線からは、知っていました、という言葉が読み取れる……。そう、彼らはお互いに、相手の心を知っていた……。それでも、離れなければならないのだ……。辛くなったリラは、飾り窓を閉じた。馬車が、ゆっくりと走り出した。日の光に向かって……。彼女の、行く先での運命も知らず……。

異国恋歌~風空の姫~第二話が完成しました。読者の皆様、ここまでお読み下さってどうもありがとうございます。今作は、小刻みに更新させていただく予定でおりますので、どうぞよろしくお願いいたします。

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