四千年越しの、ただいま
フェリドの傷は、二週間で塞がった。若いということが理由で回復が早かったのも事実だが、それ以上に、リラの付きっ切りの看護の賜物ではないか、とティアナは考えていた。
「……それで、本当に明日から旅を再開できるのね……?」
腕を組んで少々不機嫌そうに、ティアナはフェリドにそう言った。
「ああ、大丈夫だよ。ほら、外を見ろよ。真っ白だろ……?急がないと、ならないんだ……。」
ここは、彼の故国。その故国を救うために旅に出たのだから、彼は他の旅仲間より余計に焦りを感じていた。
「僕のせいで旅が遅れるのは嫌なんだ。少しでも急ぎたいんだよ。」
「……せいぜい足を引っ張らないようにね。私もジュリアも結局魔法しか使えないし、敵の人数が多かったらどうしようもないんだから……。」
「ああ、わかってるよ。」
フェリドはそう言って笑ってみせたが、反対にリラは不安げな顔をする……。
「アノンワースだって、またいつやって来るかわからないわ……。それに、四大忠臣ってことは、まだ後二人はあんなのがいるのよ……。」
彼らが知っている四大忠臣は、ヴィシアシーとアノンワース。ヴィシアシーは、トリランタで撃退した。だが、四という数字から考えると、もう二人、あのレベルの魔物がいるということになるのだ……。
「どちらにしろ、十分に気を付けて旅を続けなければなりませんね。ここにいても危険なことには変わりありませんし……それならいっそ、精霊の領域に早めに隠れてしまった方がいいかもしれませんね。」
「そういうこと。」
リラの不安げな表情をよそに、フェリドは笑顔を作ってみせた。
「うーん、体がなまってるなぁ……。」
フェリドは翌朝、馬にまたがりながらそう言って腰を捻った。
「仕方ないでしょ、二週間も寝てたんだから。それでまともに動けたらただの化け物よ。」
「ハーバナント国籍の疑いが生じるって訳か……。それはちょっと嫌だなあ……。」
そう言って、彼は腰に佩いた剣を抜いて見せた。
「うーん、しっくり来ないなあ……。」
馬上で剣を振ったりしている彼の様子をしばらく皆で眺めていたが、きりがないとティアナが判断したので、一行はフェリドを無理矢理納得させて出発した。
途中ハーバナントからの妨害にも遭うことなく、一行は無事に怒りの火山、炎の領域に足を踏み入れた。暑い、という程ではないが、地熱の影響で暖かい……。エルリックが、ふと火山の方を振り仰いだ。
「誰か呼んだ?」
「いいえ、誰も……。」
エルリックのその問いに、ジュリアはきょとんとしてそう答えた。しかし、彼は納得いかない様子で辺りを見回している。
「馬鹿ね、エルリック。そんなこともわからないの?精霊が呼んでるのよ、きっと。まだかー、ボケエルリック。早くしないと聖具をやらないぞー、ってね。」
ティアナが急に声を太くしておかしな真似をしたので、全員でお腹を抱えて笑った。涙をその目に浮かべながら、エルリックが顔を上げた。
「うん、大分違うけど、そうみたいだ……。僕、ちょっと行って来るよ。」
エルリックはそう言うと、タタタッと駆け出して、行ってしまった。猪突猛進、鉄砲玉……。
「待っているしか、できませんね……。」
そう言ったジュリアが、一番複雑な表情を浮かべていた。彼は、思い出すのだろうか?自分と過ごした、平和な時代を……。深い青の瞳が不安定に揺れたことに気付いたのは、ティアナのみだった。
「あいたたた……。まったく、精霊って手荒だなぁ……。」
そう悪態をついた彼は、自分の過去世を覗き見ていた。いや、詳しくは再体験させられていると言うべきなのだろう。全ての答えがそこにあると言って、出会って早々、炎の精霊は彼に過去見の魔法をかけたのだ。魔法、というのが、彼の頭を思い切り叩いてトリップさせるという少々手荒な物だったために、先程の言葉が口をついて出たのだ……。
『あっ、ジュリアだ!』
彼の視線の先には、神々の泉に素足を浸してくつろいでいる、少女の頃のジュリアの姿があった。気付けば、彼の両手には色とりどりの花が抱えられている……。彼はそれを持って、ジュリアの元に駆け出した。
「ジュリア、お待たせ!」
「エルリック……。わざわざごめんなさい。」
「いいんだよ。じゃあ、前を向いて。」
彼はそう言って、ジュリアの銀青色の長い髪に、色とりどりの花を編み込み始めた。銀青色の地に、赤や桃色、黄色の模様が落とされていく……。
「よし、できたっ!」
彼女は、エルリックが編み終わった三つ編みを確かめて、ニコリと笑った。そして……。
「ありがとう、エルリック……。」
目を細めて品よく笑う、笑顔……。その、あまりの眩しさ……。
ピシッ、パリィィィィィィィィン!
彼の中で、何かが弾けた。同時に、四千年分の記憶がその頭の中を駆け巡る……。彼女のその笑顔で、彼は、全てを取り戻した。平和で穏やかだった時代、光満ちる無垢な世界……。リラとフェリドを擁護し、人界で再びめぐり逢おうと誓って、彼女と別れたこと……。そして、その時交わした約束……。
「そうだ……僕は……。」
約束したのだ。決して彼女のことを忘れないと。生まれ変わったら、最初に探し出すと……。
「思い出したようだな……。」
いつの間に過去から戻って来ていたのか、揺らめく炎だけの空間に、彼は一人の男と立っていた。炎があるのに、それはまったくもって熱くはない。ただ、温かく彼の心をくすぐるだけ……。そして、目の前にいる男。彼こそが。
「炎の、精霊……?……って父さんっ?」
「そうそう、その通り。まったく、我が息子ながら相変わらず鈍いなぁー。そんなふうだったら、ジュリアにも愛想を尽かされるぞ。」
その飄々とした物言い……。そうだ、間違いない。彼こそが、エルリックが炎の神の一族として生を受けた時代での、父親……。
「放っておいて下さい!父さんにそんな心配して欲しくありませんっ!……でも、当たってるかもな……。」
彼女との約束を、自分は忘れてしまっていた。忘れないと言ったのに、全てを思い出したのはたった今……。
「ど、どうしよう……。そんなことになったら……!」
自殺ものだ、という続きを言う前に、炎の精霊が彼の言葉、暗い思考を遮った。
「いや、大丈夫じゃないか?お前、記憶もないくせに異常なまでに彼女にこだわって、大切にしていたからな。もうそれは、異常なまでに。」
「父さんに異常だなんて言われたくありません!それに、なんでそんなこと知ってるんですかっ?」
じろりと彼を睨んでエルリックがそう言った。普段温和な彼からは想像もつかないような恐ろしい視線を、炎の精霊は軽く受け流した。
「ほら、かわいい息子のことだぞ?なんでも知っておきたいだろ?二十四時間三百六十五日、びっちり観察しているぞ。」
「……単に暇なだけなんですね、父さん……。」
彼のその言葉に、父親の表情がふと険しいものになった。
「……そうだな……。最近の人々は、精霊の恩恵という物を忘れ始めている……。あちこちで精霊祭がなくなったり、趣旨を変えられたりしているんだ……。人々の祈りが精霊に届くことが、なくなって来ている……。この世界の崩壊の原因は、ハーバナントの闇だけではない。そういった、人々の心も影響しているんだ……。」
「なるほど……。精霊たちの力では、どうしようもなくなって来ているのですね……。」
エルリックが真剣な表情で発した言葉に、炎の精霊は大きく頷いた。
「そうだ……。人々の祈りや願いを、精霊は糧としている。それが届かなくなって来ているということは、精霊の力、ひいてはこの世界自体の力が弱まって来ているということなんだ……。」
「……。」
人々は、気付いていない。彼らが精霊の手を離れ、自ら世界を造っているなどという驕った考えが、その世界の崩壊を招いているということに……。
「まあ、そんなこと言ったって今は仕方ない。とりあえず、お前は人界へ戻れ。」
「えっ、父さん、聖具は?」
慌てるエルリックに空間転移の魔法をかけてから、父親はまた飄々とした態度で笑った。
「そっちに戻ったら持ってるよ。それから、一つ忠告だ。風空の姫を、奴に渡すな……。彼女が奴の手に渡るということは、その時点での世界の崩壊を意味している。」
その言葉を最後に、エルリックの思考は闇に沈んだ。風空の姫、リラさんを、奴に渡すな、だって……?薄れて行く思考の中で、その理由が何かを、彼はずっと考えていた。
「……。」
ジュリアは、一人起き上がって空を見上げていた。他の者は、すでに眠りの精に魔法をかけられていた。美しい三日月が空に登って行く様子を、彼女はずっと眺めていた。どれだけ待てばいいのだろう、どれほど気を揉めばいいのだろう。そう、ずっと思いながら……。
フワリ。
ふと、彼女の視界が温かいものに覆われた。柔らかいそれは、間違いない……。
「エルリック……?」
彼女のその言葉で、その視界を覆っていた目隠しが外される……。その目隠しの正体は、エルリックの五本の指だった。彼は、ジュリアの隣に腰掛けた。
「……怒ってる……?」
しばらくの沈黙の後のあまりに唐突な問いかけに、ジュリアはきょとんとして見せた。
「約束……忘れてたから……。」
隣で俯いて見せる彼に、彼女は笑いかけた。彼の記憶を取り戻させた、あの、柔らかい笑顔……。
「いいえ、ちっとも……。……だって、もう、思い出してくれたから……。」
狂おしいまでの想いに、彼はその身を任せた。彼女の冷たい体が、自分の腕の中で呼吸を続けている……。
「……ただいま……。」
それは、彼の四千年越しの言葉だった。
「っ……!おかえりなさい……。」
細い腕が自分の体に巻かれるのを、彼は感じた。四千年は、長くて、短い……。
異国恋歌~風空の姫~第十九話をお届けいたしました。
ここまでお読み下さっている皆様、本当にありがとうございます。どうしても定期的に更新することができませんが、よろしければ今後もお付き合い下さいませ。