暖炉の火
ハーバナントからの襲撃者アノンワースをなんとか撃退した一行は、宿屋を見つけてやっと一息ついた。宿の主人がいれてくれた暖炉の火が、室内を暖めてくれる……。六月も半ばだと言うのに、ずぶぬれになった一行は歯の根も合わない程震えていた。
「濡れた物は着替えた方が良い。」
フェリドのその言葉で、一行は二部屋に散り散りになった。女性陣の部屋と男性陣の部屋に分かれて二部屋を取ったのだ。しばらくしてから、全員がまた暖炉のある部屋に集まった。濡れた物を着替えただけでも温かに感じられたのだが、濡れそぼった髪や体を温めようと全員が考えたためだ。
「寒いー、寒いー……。」
「姉さん、やめてよ。余計に寒くなるじゃないか。ジュリア、大丈夫?」
「はい、私は……。」
そこで、ジュリアの視線がリラに注がれた。エメラルドの瞳は、暖炉に向けられたままだ……。どうやら、四対の視線が注がれていることにも気づいていないらしい。
『あの方って、誰なんだろう……?狙われるような覚えもないのに……。』
「アノンワースが言っていたあの方って、誰のことなんだろうな……。普通に考えればハーバナントの国王だろうが、リラ、恨みを買うようなことをした覚えはないのか?」
自分が頭の中で考えていたことをフェリドも考えていたと言うことに驚きを感じたが、別段不思議なことでもないように思われたので、それについては黙っていた。彼女が首を横に振ると、漆黒の髪から滴がぽたぽたとこぼれた。髪を拭きながら、言葉を発する……。
「そんな覚えは全くない。求婚の手紙が来ていた覚えもないし、ましてや、外交上の問題だとは考えにくい。トリランタでは親和の方の政策を取っていたからな……。」
ハーバナントとの交流の方法は国によってまちまちだったが、大体が親和か反目のどちらかに分かれていた。親和政策を取っていたのなら、国家間での問題ではなさそうだ。となると、やはり個人的怨恨の可能性が高い……。
「そうか……。原因がわからないなら、対処のしようもないな……。」
フェリドはそう言って溜息をついた。青紫の瞳が、暖炉の火の明かりを受けて赤みを増す。
「……。」
ティアナは黙っていた。彼女は、なぜハーバナント王がリラを狙うのかを知っていた。答えは一つ。ハーバナント国王が、あの男だから。過去の転生でも何度もリラとフェリドの間を裂いた、魔王の転生だから……。それを言ったところで、誰にも信じてもらえないだろう。彼らが前世の記憶を取り戻すことは、おそらく、異世界に封印されている聖具をこちらの世界に呼び寄せるための引き金になっているのだ。記憶を持っているのは、自分とジュリアだけ……。
「……力のない者ばかりね……。」
彼女は、自分の非力を呪った。彼女は、武具を扱うことがまったくもってできなかった。それはジュリアも同じで、はっきり言ってしまうと、ハーバナントからの襲撃にあっても、彼女たちには周囲を助けるなどということはできず、むしろ足を引っ張ってしまうのだ……。
「ティアナ、大丈夫?」
髪を拭き終えたリラが、そう心配そうに彼女の顔を覗き込んだ。慌てて、険しい表情を緩める……。
「私の心配をしようだなんて百年早いわよ、リラ!問題は私じゃなくてあなたの方でしょ?」
切り返された問いに、リラの瞳が伏せられた。失敗したな、と思い、言葉を探す……。
「まあ、美人は損よね!うん!」
「普通は得するものなんだけどな、リラの場合は損してるかもな……。」
「どこが美人だ!たまたま貧乏くじを引かされただけだ!」
ティアナの言葉にフェリドがつけたしてくれたおかげで、何とか場の空気が和んだ。それでも、彼女の中にある重さは消えない……。
「ねえ、リラ?」
フェリドと舌戦を繰り広げていた彼女の目が、自分に向けられた。それから、意を決して続きを強く吐き出す。たくさん吸い込んだ、温かい空気とともに……。
「私に武術を教えて!剣でも弓でも、なんでもいいの!皆の足手まといには、なりたくない!」
一同の目が、丸く見開かれる。ティアナの唐突な言葉に、全員が驚きを感じていた。
「もちろん構わないけど……。どうして?皆の足手まといになんて、いつなったの?」
きょとんとした表情で問って来るリラから一旦視線を外し、全員を眺める。皆が皆、同じ表情……。変なところで息が合うのね、と、おかしなことに感心してしまう。
「だって、そうじゃない!魔法は詠唱に時間がかかるし、その間に攻撃を受けないように、皆に守ってもらわなくちゃならないでしょ?」
「……ティアナさん、それを言ってしまうと、私も足手まといですわ。」
ジュリアが眉根を寄せてそう言った。ティアナの言葉の真意が、彼女には読めなかった。
「そんなことない。ジュリアはきちんと料理をしたり、皆の傷を癒してくれたり……。ジュリアにしかできないこと、たくさんやってるもの!このままじゃあ、私、お荷物じゃない!」
「そんなことないと思うけどな……。」
フェリドの方に激しい視線を向ける。自分の気持ちが、彼にわかるはずもない。熟達した剣の腕を持つ、彼になんて……。悔しさに、肩が震える。
「わかるはずないでしょ!あなたみたいに、ちゃらんぽらんなくせになんでもできる奴になんて!」
エルリックが笑いを噛み殺しているのが目の端に映ったが、今はそんな場合ではない。
「ぶっ……。ちゃらんぽらん、って……。」
フェリドが彼女の目の前で吹き出した。その様子は、彼女の癇に障るどころか、逆鱗に触れてしまった。
「ふざけるのもいい加減にしなさいよ!リラが連れ去られても良いって言うのっ?下手をすれば、世界中を巻き込んでしまうような大惨事を引き起こしかねないのよっ?」
光の精霊の話を心の中に思い出して力一杯怒鳴ったその言葉で、彼の笑いはぱったりと途切れた。それから、真剣な青紫の瞳が向けられる。
「僕はそんなことは一言も言っていない。だが、君が言ったことは非常に興味深いな……。世界中を巻き込んでしまうような大惨事って言うのは、一体何のことだ?」
まずかった……。自分の理論が正統性を持つ物だと感じさせるために引き合いに出した、その言葉が……。しばらく悩んでから、嘘もつかず、だが、真実をまざまざと知らせることもない言葉を見つけた。
「光の精霊が、そう言っていたの……。リラを敵方に渡せば、全世界を揺るがすような事件が起きるって……。だから、どうしても渡せないの。だから、私もリラを守れるようになりたい。今のままの私じゃあ、逆に守ってもらうことしかできないから……。」
エメラルドの瞳が、柔らかく細められた。その瞳に宿った色の優しさは、見る者全てを魅了する……。
「わかったわ、じゃあ、少しずつ教えて行くわね。でもティアナ、心配しないで。私、自分のこと位自分で守ってみせるから。だから、ティアナの武術は護身用ね。いいかしら?」
「……ええ、それでもいいわ……。」
その言葉に、張りつめていた空気が柔らかくなったのが、全員の肌に感じられた。その次に来るのは、人間の三大欲求の一つ、睡眠に対する欲望……。
「おやすみ……。」
耐え切れなくなった者から順に部屋を出て、各々寝台がある部屋に戻って行く……。最後に残ったのは、ティアナだった。先程、リラを送り出したばかりだ。ペンダントをはずして、左手に載せる。そのダイアモンドが、暖炉の明かりを受けて、赤々と煌めいた。
「これでいいんだよね、お母様……。」
一瞬キラリと明るく光って、ペンダントは彼女に頷いてくれた。
こんにちは、異国恋歌~風空の姫~第十五話「暖炉の火」をお届けいたします。
なかなか思うように執筆活動が進められません。更新をお待ち下さっている皆様、本当にありがとうございます。