精霊祭の夜
「あーあ、はぐれたみたいね……。」
リラは、そう溜息をついた。漆黒の髪に小さな白い花を編み込んで、エメラルドの瞳が仮面の中から覗いている。精霊祭では、仮面をつけて自分が何者なのかわからないようにするのがルールだった。彼女は、宿屋の主人に勧められて月光花の仮装をしていた。彼女は旅の仲間であるティアナ、ジュリア、エルリックと四人で祭りの見物に来ていたのだが、どうやら人の波に流されてはぐれてしまったようだ。
「探すのも無理、でしょうね……。まあ、いいわ。宿屋に戻れば問題ないでしょうし。」
彼女はそう自分を納得させると、再び歩き出した。あちこちで火が焚かれていて、眩しい……。人の多さとその眩しさに酔って、彼女はいささか気分を悪くしていた。
「宿に戻るかしら……。でも、戻ってもフェリドしかいないだろうし……。」
彼は、宿で皆の帰りを待っていると言っていたのだ。彼に介抱されるのは、ごめんだ。リラは、正直言ってああいう軽い人間が苦手だった。昼間は、その手に自分の手を預けたのだが……。
「……。」
ふと彼女は、自分の左手を右手で握った。彼の手は、温かかった……。
「ば、馬鹿ね!何考えてるのよ!」
真っ赤になって、その手をブンブンと振る。周囲の冷たい視線が、彼女に突き刺さった。慌ててその場を去る……。そして喧騒から少し離れた場所で、彼女は腰を下ろして溜息をついた。どんなに華やかな場所にいても、やはり重さは拭えない……。一人でいると、なおさら……。
「はぐれなきゃ良かったわ……。」
そう言って俯いた彼女の目の前に、大きな手が差し出された。
「お困りですか?月光花の姫君?」
彼、だろうか……?聞き覚えのある声に、顔を上げる。目に映ったのは、黒い髪。だが……。
『別人、か……。フェリドの髪はこんなに長くなかったし……。』
「いえ、友達とはぐれてしまっただけです……。」
隣に腰掛けて、青年が続けた。彼は、真っ黒な衣装を着ている。どうやら、黒い鷲をイメージした物らしい。
「その割には随分暗い顔をしていらっしゃる。どうされました?」
「あ、本当に大丈夫ですから……。」
リラはそう言って青年から軽く距離を取った。なんだか馴れ馴れしいな、と思いながら……。彼の仮面の下で、青っぽい目が細められた。
「体調が優れないようですね。人に酔いましたか?」
「ええ、少し……。」
彼はその返答を受けて、どこかへ行ってしまった。ほっとしてしばらくボーっとしていたリラだったが、ふと目の前にお茶が差し出されて、顔を上げた。そこにいたのは、先程の青年だった。
「どうぞ。落ち着きますよ。」
祭りでは、輪舞の輪の外に食べ物や飲み物が置かれていて、自由に取っていいということだったので、彼はおそらくその中からこのお茶を取って来たのだろう。
「ありがとうございます……。」
彼女はそう言って、それを受け取った。その隣に再び彼が腰掛けた。
「何かお悩みのことでも?」
「え、いえ、特に……。」
そう嘘をついてから、彼から目を逸らす。苦笑いをしながら……。それが、彼女のくせだった。嘘をつく時には、必ず相手から目を逸らして、苦笑いをする。彼女の中にある罪悪感がそうさせているのだ。
「目を逸らして苦笑い、ですか……。今、嘘をつきましたね?」
「なっ……!」
頬を染める。初対面の彼に、なぜそんなことがわかるのだろうか……?そして、そう決め打ちをされたことに腹が立っていた。
「あ、あなたには関係のないことです!それに、初対面で失礼じゃありませんかっ?」
その返答に、彼はほんのりと笑って見せた。穏やかで、とても柔らかい微笑み……。それは、彼の人柄を窺わせた。
「確かにそうですが……。見知らぬ人間にだからこそ、かえって話しやすいとは思いませんか?どうせここで会ってここで別れるだけの人間ですから……。」
「……。」
確かに、彼の言う通りだ。中途半端に相手を知っていると、言いたいことも言えなくなってしまう。旅の仲間にも、これは言えない……。彼らに、余計な心配をかけてしまうから……。
「……一月程前に、恋人を亡くしたんです……。闇の帝国の魔物に襲われて……。彼、私を庇って亡くなったんです……。」
リラが、紅い唇からポツリ、ポツリと言葉をこぼし始めた。青年は、黙ってそれを聞いていた。彼の人柄が、彼女を安心させたのかもしれない……。
「罪悪感だなんて、そんな偉そうな物じゃありません……。でも、何かが心の奥でずっと重くて……。ずっと、妹にも心配ばかりかけていて……。」
ジュリアは、いつも自分を気遣って少しでも明るい気分になれるようにしてくれていた。それがわかっているからこそ、彼女はなおさら辛かったのだ……。
「……人は……。」
彼女の口調が、さらに重さを増した。仮面の陰から、光が一筋、流れ落ちる……。
「……人は日々の平穏を神に祈り、豊穣を精霊に祈る……。それじゃあ、彼の魂の平安は、何に祈ればいいの……?」
「……。」
青年の体が、ピクリと動いた。彼女を抱き締めたいのを、必死で堪える……。しばらくして、止められていた吐息とともに青年が言葉を吐きだした。
「……星に、姫君。あれだけ高い所にあるのだから、全て見えているはずですからね……。」
彼のその言葉で、彼女は夜空を見上げた。雲ひとつない空には、満天の星々……。そっと溜息をこぼしてから、淡く微笑む。
「……それも、いいかもしれない……。」
そう言って青年に視線を戻して、今度は彼女は笑顔を弾けさせた。その明るい表情にドキリとする青年だったが、それは言わない……。
「ありがとうございます!おかげで、ほんの少し気分が軽くなりました。」
「いいえ、お役に立てて良かった。」
青年が、再び仮面の奥で目を細めた。それから、立ち上がって彼女に手を差し出す。
「一曲お相手を、姫君。いかがですか?」
「いいわ、行きましょう!」
彼女はそう言って青年の手を取った。こんなに明るい気分になったのは久しぶりだ。今まで、彼のために祈ることすらできなかった。何に祈れば良いのか、わからなかったから……。だが、今夜からは違う。これからは、青年が言ったように星に祈ってみようと思う。それが、自分が彼のためにできるたった一つのことだから……。
「見て、あそこ!綺麗!」
一人の少女が、そう歓声を上げた。彼女のその声で、たくさんの視線がその指の先に向けられる。その先には、月光花の仮装をした少女と、黒鷲の仮装をした青年……。彼女の身のこなしは、軽かった。まるでそのまま羽が生えて、天に飛翔して行きそうな程に……。相手の青年は、非常にリードが上手かった。曲が変わる。二人は、輪舞の輪から抜けてしまった。
「ありがとうございました!楽しかったわ!」
息を弾ませて、彼女は明るい笑顔を青年に向けてそう言った。彼からも、笑顔が返って来る……。
「こちらこそ。」
彼を見上げて、また彼女が続けた。
「私、こんなに楽しんでダンスができたことなかったわ!……先程のことと言い、なんとお礼を申し上げればいいのか……。」
「お礼なんて、姫君……。」
青年がゆるりと動く。彼女のエメラルドの瞳が、驚きに見張られた。彼の頬を思い切り叩けばいい。それなのに……。それなのに、彼女の意志に反して体は動かない……。屈みこんでいた青年が、元のように背筋を伸ばした。
「さようなら……。」
「っ……!」
彼女は、真っ赤な顔でその場から走り去った。エメラルドの瞳が潤んでいたのを、彼は見た……。
「嫌われた、よな。やっぱり……。」
そう呟いて、仮面を外す……。青紫の瞳に、月明かりが映った。その後、つけ毛を全て外す……。そう。青年の正体は、フェリドだった。心臓が、苦しい……。衣装の心臓部分を、グッとつかむ……。彼女のあの笑顔が脳裏に焼き付いて、離れない……。茫然と立ち尽くす彼の背を、星明かりが照らし出していた。
異国恋歌~風空の姫~第十話をお届けいたします。
もう二桁突入ですね。このまま行くと、かなり話数は多めになってしまう気がします……。どうぞ飽きずにお付き合い下さい。
ここまでお読み下さった皆様、本当にありがとうございました。