SIDE 王子
王子様みたい。クールで格好良い。イケメン。背が高い。男らしい。紳士的。
私にかけられる褒め言葉は大体こんな感じだった。
人からの賛辞は誇らしいし、ましてや容姿を認めてもらえるというのは喜ばしい限りだ。しかし見た目だけならまだしも、内面まで男性的な高評価される事もあり、私は理解に苦しんだ。
いい加減自覚すらある私の無愛想っぷりと言ったら、一時期は表情筋のマッサージを試みた程だ。
身長はクラスの男子のほとんどよりも高く、当然女子の中ではダントツで、中学の頃はソフトボール部に所属していたという要因も大きく、ロングヘアーよりもショートヘアの方が楽という固定観念が抜けきっていない。
スカートを履いていても性別を間違えられることが多々あった。中性的を通り越して男性らしいのだと、自分の特異さを改めて思い知らされる。
そんな私を女の子扱いしてくれた唯一の人が、牛月忠さん、私の『恋人』だ。
高校一年生、体育祭準備に追われる六月の学校の廊下で、体育委員の女子数名でポスター張りの作業をしていた時のことだった。高い位置に掲示をするのは、必然的に長身な私の仕事となっていて、私も役に立てるのならそれで構わないと思っていた。
「ありがとう明!」
「流石、格好良い!」
「顔だけじゃなく性格までイケメンとか、そこらの男子とは比べものにならないよね」
二段の脚立に乗っているので、いつもよりも更に下の方に見える女子達の自分を持ち上げる声が少し照れ臭く感じた。私は彼女らを半ば追い払うようにして、残りのポスターが入れられた段ボール箱を取った。
「これ、あっちの廊下に貼ってきてくれるかな。低いところだけで大丈夫だから、ここは自分に任せていいから早く終わらせて一緒に帰ろう」
要件をまとめて簡潔に言い放った筈が、女子達は興奮気味に黄色い悲鳴をあげてダンボールを運び去って行く。
そういえば、あの頃はまだ一人称も「私」ではなく「自分」だった。周りからのレッテルやイメージのままに、求められる通りの振る舞いをしていた。
一人きりになった下駄箱前の掲示板に、もう一つの重いダンボールを抱えながらポスターを貼っていく。脚立が少々グラつくが、床と大した距離でもないので、着地は容易だろうと舐めてかかったのが仇となった。
「あ」
ダンボールからはみ出したポスターを拾おうと体幹を崩した瞬間、一層脚立が揺れて空を蹴り、自分の足場がなくなったような感覚に陥った。いや、私が足を踏み外したのだ。
咄嗟に抱えていたダンボールから手を離して頭を庇おうとするが、床に叩きつけられるはずのポスターが空中で静止した。それどころか、私の身体も同時に誰かに支えられたようだ。
「大丈夫か? 女子一人で危ねえな」
私の肩は大きな手で力強く握られ、こめかみには固く厚い胸板が当たっていた。少し上を見上げると、ワックスでガチガチに固めた髪が特徴的な男子生徒が中腰の状態で私を支えていた。はだけまくったワイシャツの隙間に覗くデコルテラインがセクシーで、柄にもなく見惚れてしまったのを覚えている。
「すみません」
ポスターは彼が上手いこと片手でキャッチしてくれたようで、破れたり折れ曲がることなく無事に回収することができた。
「ん? いいっていいって、これそっちに貼るのか? 任せろ」
そう言って脚立の一段目に足をかけた彼の広い背中が逞しくて、心臓の音は鳴り止まなかった。吊り橋効果ならぬ脚立効果だろうか。
彼は危なげなく脚立に上ると、手際よくポスターを掲示板に貼ってくれた。
お礼を言うと、軽く手を振って去って行ったその人の背中や、歯をむき出しにして笑う無邪気な笑顔が目に焼き付いて離れなかった。それが恋だと気づくのにそう時間は要さなかった。
悶々と考え込むのも、恋煩いに悩まされるのも自分の柄ではない。
告白を思い立ってから実行する迄にかかった時間はわずか一日、校舎裏に呼び出して誰にも邪魔されずに気持ちを伝えようと決めた。テンプレートと言われようが構わない。
「突然の呼び出しに応じて頂きありがとうございます。自分は一年二組の猪木明と申します。先日は危ないところを助けて頂き、どうもありがとうございました」
「え?」
キョトンと目を丸くした牛月先輩は、やはり一度邂逅しただけの私のことなど記憶に留めていなかったようで、予想の範囲内とはいえ少し残念だった。
「わざわざお礼言いに来たのか? 律儀な奴だな」
「それもありますが、主な要件は告白です」
アーモンド型の丸い目を更に丸くさせて、牛月先輩は私を見つめた。
「貴方に私を好きになって頂きたいので」
そのまま勢いに乗った私が追い討ちのようにそう言うと、彼の頰は瞬く間に紅潮して、手をバタバタとさせて慌てていたのが少し可愛らしかった。久々に自分の事を私と言った違和感も相まって、少し言葉に詰まった。
「えっ?! お、おう! マジか!」
「はい。マジです。貴方のことが好きです」
思わず返事をしたが、最後に改めて好きと言葉にする必要はあったのだろうか。いや、羞恥を高めただけだったように思える。外面のテンションの起伏が激しくない為か、内心の焦りと緊張が半端ではない。
返事が怖い。
目を逸らしてはいけないと思うのに、首が勝手に俯いた。
しかし、私の不安を他所に彼は即答した。
「うおお、俺告白とかされたの初めてだ! ありがとな! 俺もお前のこと好きだ」
好きだと言ったら、好きだと返された。
至極当然な流れにも思えたが、あまりにもあっさりとした想い人からの返答にひどく驚かされた。
何を言うかは考えてきたが、答えを頂いた後のことを考えていなかった。
唐突に風が吹いて、私の短く切り揃えた髪が少し暴れた。鼻腔をくすぐった風の香りは普段より爽やかで、牛月さんの背後に見える青空は一層眩しく見えた。
思考はとっくに停止して、言葉など出て来ないのに、そんなことよりただこの光景を一生目に焼き付けておきたいと願った。目に見えるものだけではなく、匂いも、温度も、気持ちも、全部忘れたくないと思った。
「マジで、嬉しい」
牛月さんの満面の笑顔が私に向けられるという幸せに浸り、世界にすら感謝した。
その後余韻に浸る間も無く、当時ミス研の副部長だった牛月さんに勧誘され、忙しい日々を送ることとなった。名前の通り素直で自由奔放な牛月さんに振り回されて、副部長を引き継いだ今でも牛月さんへの想いは薄れることなく、交際は順調に進んでいる。いや、一年経ってキスの一つもしていないこの状況を、進んでいると言うか否か、判断に戸惑うところだが、私は幸せなので良しとする。