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SIDE 子犬

 きっかけは、自分と親友に投げかけられたある一言だ。

「なんでお前ら、いつもひっついてんの?」

 そう言った友達に悪意があったのかどうかは知らない。何せ小学校低学年の頃の話だ。少年が好奇心で発した何気ない一言が、俺と親友にのとっての亀裂となってもおかしくはない。

 昔から、人の温もりが好きだった。手で触れて、重さを感じて、時には抱き締めて体温や質量を感じる。

 人のパーソナルスペースに入り込むことは、互いに心を許している事の証明だと思っていた。手を伸ばせばすぐ近くにいると安心できる行為だった筈なのに、今ではそれが怖くて仕方がない。

 俺と親友の距離は確かに近かった。休み時間は彼の膝に乗っかっていたし、話しかける時には俺が大抵後ろから抱き着いた。

 親友はそれを許していたし、それが当たり前のことだと信じて疑わなかった。

 けれど、友達同士で抱き着いたり、撫であったりすることはおかしいと、距離が近いのではなく、近過ぎるのだと、自分たちの異質さを他人の口から教えられた。

 幼い俺には衝撃だった。

 そういうことは、恋人同士がするのだと教えられた。しかし俺も親友も男だ。中学では側から見たら同性愛者だとからかわれた。

 過剰な偏見はないが、俺の恋愛対象は異性だ。初恋は隣のクラスのショートヘアの似合う女の子だったし、流行りのタレントとか、モデルさんを可愛いと思ったりもする。

 恋人同士のする触れ合いではなく、愛慾を含んだ意味合いでもなく、友達としての優しい戯れ合いが好きだった。人の温もりが好きだった。

 クラスメイトの女子達が似たような触れ合いをしている姿を頻繁に見かけた。やはりそれは可笑しな事ではないと安心した。

 けれど、俺の親友は俺から離れて行った。

 高校に入学してそれなりに時間が経ったある日、俺はうっかり家の鍵を忘れて、親が帰宅する時間まで教室でゲームをして暇を潰していた。

 なんとなく、人との接触を避けるようになって、一人でいることにも慣れてきている。

 出席番号二番の俺は、廊下側の前から二番目の席で、教室の扉のすぐ近くだ。

 唐突にガラリと開いた扉に思わず肩をビクつかせてしまう。

「うお、犬山か。なにしてんの?」

 平均的な身長をした、平凡な顔立ちの、これといった特徴のないクラスメイトだ。失礼な話だが、入学して一ヶ月ほど経っていても、名前はなんとなくしか覚えていなかった。

「暇つぶししてる。ええと、うさぎ…? 兎の人」

 彼とはほとんど話したことはないが、話しかけられたので一応礼儀としてゲーム機を置いてイヤフォンを外した。

 苗字の字面だけ曖昧に記憶していたので、あだ名でもつけてごまかそうかと思ったが、無理があった。

「兎の人ってなんだ。兎林だよ。と、ば、や、し」

 その人は特に不満そうな顔もせずに吹き出して、俺の前の席に後ろ向きに跨って腰かけた。頬をかきながら苦笑して、復唱するように促されたので、彼の変わった苗字を口にした。

「兎林」

「そうそう」

 よくできました。

 口に出してはいないけど、頭頂部に乗せられた掌から彼の言葉が伝わってくる。

「え?」

「ん? あっ、悪い悪い」

 思わず漏れた驚きの声に、兎林もハッとして手を引っ込める。それを少し残念に思ってしまうあたり、俺は昔となにも変わってはいない。

「なに?」

 少し冷たい声が出た。

「いや、なんか」と前置きして、前髪の間から困り眉を覗かせてまた頰をかきながら言う。

「お前が、撫でて欲しそうにしてたからさ」

 爽やかな笑顔を向けられて、開いた口が塞がらない。自分から触れることはあって、それに返すように触れてもらうことはあっても、俺の気持ちを察して自分から触れてきたのはこの人が初めてだった。

 俺よりも大きくて、優しい手だった。

「もっと」

「ん?」

「もっと撫でて」

 引かれたり、驚かれるかなと思ったのに、兎林はなんでもないように「ははっ、いいぜ」と笑って、先ほどよりも髪の奥の方までしっかりと撫でてきた。

「よーしよしよし」

 頭のてっぺんを撫でていたと思ったら、俺の長めの髪の毛に手を差し込んで梳くように触れる。

 終いには、耳やうなじまで撫で回してきた。

 頰の筋肉が緩むのが自分でよくわかる。無意識に兎林の手に擦り寄ると、急に撫でる手が止まった。

 しまった。流石に気色悪がられたか。今度は自分の顔が青くなるのを感じる。

「なんかお前」

 離れていく宙を浮いたままの彼の手が、やたらとスローモーションに見えた。

 昔、友人に言われた言葉が、頭の中をリフレインする。

 嫌だ。こうなるから、人との接触は避けていたのに、どうして無闇に触ったりしたの。

 今の今までそこに居た彼の優しそうな目が、急に恐ろしいものに変貌してしまった気がした。

 その先を言わないで、そう口にするより前に、彼は言葉の続きを辿った。

「なんかお前、犬みたいだな」

「いぬ?」

 予想もしていなかった単語に、随分と間抜けな声が出た。

 そこへ、部活帰りのクラスメイトたちがぞろぞろと教室に入って来た。

「兎林悪りぃ、待たせた」

「いーよ」

 なるほど、兎林は彼らを待っていたのか。

「お? なにやってんの兎林」

「と、犬山?」

「おつかれ、ねえ見て、なんかこいつ犬っぽくない?」

 ぽす、とまた頭に手を乗せられる。

「なんだそれ」

「犬山だから?」

「撫でてみ、わんこにしか見えなくなってくるから」

 目を輝かせて言う兎林に便乗して、他の奴らも俺の頭を撫で始めた。

 なんだこれ。どういう状況だ。

「うわ、髪サラサラ」

「あはは、気持ち良さそう」

 わしゃわしゃと髪を乱されて、流石に鬱陶しくなって首を振ると、また犬っぽいと笑われた。

 けれど、それは決して嫌な笑われ方じゃなかった。

 その日を機に、俺は兎林と積極的に絡むようになり、なんだかんだ気があって同じ部活に入った。

 今ではすっかり親友で、二年に進級しても同じクラスのまま、俺は教室で兎林の膝に乗ったり、撫でられたり、時にはチョップで叱られたりもする。

 クラスではすっかりそういうキャラなんだと複雑な認識をされ、個性的な位置付けの俺が兎林の普通さに緩和されて絶妙な組み合わせとなって教室の片隅に馴染んでいる。

 女子も男子もよく俺の頭を撫でてくれる。それにしても、なんとも順応性の高いクラスだ。

 でもやっぱり、兎林の触れ方が一番気持ち良くてあったかい。

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