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心外不出 ②

 純喫茶ロンド、学校と駅の間に位置するこの店は、落ち着いた雰囲気と小洒落たバーのような装飾が人気の喫茶店だ。五年ほど前から仲睦まじい壮年の夫婦が営んでいる。メニューはサンドウィッチやサラダといった軽食のランチメニューから、ハンバーグやオムライスなどの洋食を極めていて、デザートはどれも絶品、どの品も特製の珈琲との相性が抜群に良いと評判である。

 牛月の行きつけの店でもあるらしく、ロンドで夕食を食べながら今後の予定を話し合うことになった。店の客層を考えると、一人か二人で足を運ぶ人が殆どのようで、店内にはカウンター席と二人席しかないようだった。この人数では席がばらけてしまうと思ったのだが、親切な店主が奥のテーブルを合わせ、椅子を数脚並べてくれた。

 意外にも良心的な価格のメニューを開き、俺は当店自慢と銘打たれていたビーフシチューと珈琲をセットで注文した。

 バーカウンターでは、並べられた多種多様の外国の酒をバックに、金縁眼鏡の店主がグラスを丁寧に拭いている。アコーディオンのメロディが耳に残るクラシックのジャズミュージックと、珈琲を焙煎する苦い香りが漂う。庶民派の俺にはどうも落ち着けない空間だった。

「あいつ絶対怪しいですよ。なんか胡散臭い雰囲気でしたし、愛想笑いが白々しいし」

「偏見が酷いな」

 すっかり調子の戻った烏丸の毒舌に、日常を取り戻したかのような安心感を覚えてしまう。

「まあまあ、姫ちゃん。僕にはそんなに悪い人には見えなかったけどなあ」

 辰巳は配られたおしぼりを、腫れて一重になってしまった瞼にあてる。蒸しタオルのように温められた少し熱すぎる位のそれは、良く冷えた店内とはいえ汗だくの俺には少し辛かった。

「光臣は人を見る目がないから、信用できない」

「なんで」

「察しろ」

「察したけど、そんなことないよ!」

「お前らの痴話喧嘩って、側から見ると何を言っているのかよく分からんな」

 言葉を意思疎通の手段として扱わない二人の会話を、俺たちは苦笑しながら眺める。気まずさからか二人の椅子同士の間に距離が開いているが、心なしか前よりも仲が良さそうに見えるのは俺の心持ちの問題だろうか。

「痴話喧嘩って、そんなんじゃないですし」

「そんなんってなんだよ。そうだろ」

 今迄ならここで彼女の圧に負けて黙らされていたが、今は違う。

「そ、そうですけど」

 口を尖らせて頰を染める烏丸が面白くて仕方ない。はっきりと交際を明言したわけではないが、事実上部公認のカップルが誕生したという事だ。こうも揶揄い甲斐があると、生意気な烏丸も可愛らしく思えてくる。

「大和、後輩をいじめちゃダメ」

 犬山に窘められて、烏丸の倍真っ赤になって縮こまっている辰巳に気がついた。十年以上も自分の気持ちに硬い封印を施して蓋をして来た辰巳の事だ、こういった煽りに耐性がないのだろう。

「悪い悪い。ちょっとからかいすぎたよ。ほら、先輩がケーキ奢ってやる」

「あ、ダイエット中なので遠慮しておきます」

「僕、甘いもの苦手なので」

「可愛くねえ!」

 今月は厳しい財布の紐を緩めてやろうと思ったのに、なんて世話しがいのない後輩だろう。俺の隣で、メニュー表のデザートのページに好物のチーズケーキがあるのを見つけて目を輝かせている犬山の方が、百倍可愛げがあるというものだ。

「できた」

 和気藹々とし始めた俺たちの傍らで、牛月部長は一人、ノートとボールペンを取り出して何やら作業に没頭していた。俺たちの注目が集まると、「これを見てくれ」とペンを置き、ノートのページを破りとって見せた。

「さっきから何を書いていたんですか?」

「今分かっている事を紙にまとめていた。推理は一旦中断して、ここには事実だけを書き留めた」

 箇条書きで書き出された単語や出来事、少し空白をとって書かれている数字は時刻と順番のようだ。授業のノートは汚い癖に、こういった情報をまとめる能力には長けている彼の作り出した簡潔な表に、誰からともなく感嘆の声を漏れた。

「終業式の日、部室の鍵は部員以外の誰かが取りに来ていた。先生曰く、これは黒髪長髪、長身の男子生徒だ」

「猫羽に違いありません」

「これまでの推測は一旦置いておけ。まずは事実の把握からだ。頭の整理をつけよう」

「なるほど」

 逸早く要領を理解した辰巳が、部長のノートを見ながらスマホにメモを取る。

「ミステリーマニアが本領を発揮し始めましたね」

 つまり、事実確認と情報の整理、この二つも、探偵の推理における重要な手段であると、先代部長の猿飛さんが残して行ったものだ。まさか実際に活用することになるとは思ってもみなかったのだが。

「猪木は春から一人暮らしを始めていた。そしてそこに、猫羽がよく訪れていた」

「それも、周囲が交際関係にあると誤解するほど頻繁にですよ。これを怪しまずして何を怪しめと言うんですか」

「確かに、猫羽先輩は浮気じゃないって言っていたけど、真偽は不明のままだよね」

「猪木先輩を疑いたくはないけど、浮気の可能性が高いと思います。もしくは猫羽に言い寄られていたとか、弱みを握られていたとか」

「仮定の話は置いておけって、まずは聞こうぜ」

 なるほど、趣旨が分かりやすい。考えるという行為に慣れ切った俺たちに、推理をするな、というのは意外と難しい事らしい。

「烏丸と辰巳は、あの日の放課後は一緒にいなかったが、烏丸は英語科準備室で虎牙先生と一緒いた。辰巳は烏丸を探して校内をウロウロしていた。辰巳は誰かと会ったとか、具体的にどこにいたか覚えていないか?」

「ええと、クラスメイト数名に会ったくらいで、そんなに長い時間じゃなかったと思います」

 部長はノートの「辰巳のアリバイ」に矢印を引っ張って、「クラスメイト数名」と書き足した。その後も順調に書き足し、削りを繰り返し、注文した食事が届けられた頃には、こんがらがっていた頭の中の糸がほどけてスッキリとした気分になった。強固な結び目はいくつか残っているが、この先は部長曰く推理の領域だ。

「他に気になる事実は、カードの存在と猫羽の言っていた奇妙な首の痕くらいだな」

 曖昧な点が多く、飛ばしていた二つの情報に、全員が自分の食事に手をつけながら唸る。

 俺が頼んだものと同じビーフシチューを食べつつ、辰巳は几帳面に整理されたスマホのメモを見直していた。これが俺の弟なら、食事中にスマホをいじるなと怒鳴りつけているところだが、今回は見逃してやる。

「猫羽先輩って、結局どういう人なんでしょう」

 頭の整理がついた今となっても、彼の正体は掴めないままだった。そもそも、今の猪木の状態を知っている人間は限られている。彼は一体どこからその事を聞きつけてあの場に居たのだろう。俺たちの事も、明らかに誰だか認識した上で会話に応じていた。

 猪木との関係は、否定こそしていたが、その場凌ぎの嘘だった可能性もなきにしもあらず。首についた痕の件を、わざわざ俺たちに伝える目的はなんだ。

 円やかな味わいのビーフシチューを口に運ぶと、たっぷりと入った柔らかい肉の食感とたっぷり入れられた野菜の甘みが俺の胃を満たした。俺には苦過ぎる珈琲にミルクと角砂糖を三つ混ぜながら、いつだったか猪木が珈琲に目がないと話していた事を思い出した。俺の前に座る彼が、苦味に眉を顰めて砂糖に手を伸ばした。

「現時点では限りなく怪しく感じるが、猪木と友達なのは本当だと思う」

「部長、あいつのこと何か知っているんですか?」

 メープルシロップとバターのたっぷりかかった、甘い匂いのふわふわパンケーキを一心不乱に口に運んでいた烏丸が久しぶりに口を開く。甘いものを食べて幸せそうな表情を浮かべる様子を見ていると、やっぱり烏丸も女の子だなあと感慨深くなった。

「多分、去年も猪木と同じクラスだっただろ? 文化祭で猪木のクラスは執事アンドメイド喫茶だったんだが、俺が遊びに行った時、丁度その猫羽も教室に居たんだ」

 牛月部長は、何故かバツが悪そうに頭を掻いて、ハンバーグを切っていたナイフとフォークを置いた。

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