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プロローグ 一期未会

 雲一つ無い青空が広がる。今朝の予報では降水量はゼロパーセントだった。紛う事なき快晴の日和は、麗らかな春の陽気と共に新入生を歓迎した。四月某日、時期の過ぎ去った桜の枝はすっかり露わになって、葉は競うように彩る。

 此方ヶ丘(こなたがおか)は全体的に丘陵地帯の為、郊外とはいえ東京にしては標高が高い。都心部ほどの賑わいが無い分、静かで緑の多い平和な町だ。娯楽の少ない分、遊び場を求めてガラの悪い学生は自然と増えるが、目立った事件も問題もなく、年代に偏りのないそこそこの人口を抱える小さな町である。

 この町の周辺には三つの中学校と二つの高校がある。町の最北端に位置する古い校舎が公立此方ヶ丘高校、中心部にある駅から西に進むと私立西此方ヶ丘学園高等学校という創立二十数年の進学校がご立派な門を構えている。

 紛らわしい名前だが、此方ヶ丘高校に通う生徒には地元民が多く、西此方ヶ丘学園には電車通学の生徒が多い。

 公立の方、此方ヶ丘高校第二校舎三階の一番奥、準備室と資料室に挟まれたこぢんまりとした部屋、各ホームルーム教室からは離れた辺鄙(へんぴ)な場所に位置付けられたその扉には、はめ殺しの磨りガラスと塗料のハゲた錆びだらけのドアノブとは対照的に、真新しいプレートが取り付けられている。

『ミステリー研究部』

 此方ヶ丘高校ミステリー研究部、通称ミス研の部員数は三年生を含めてたったの四人という、小規模どころか廃部寸前の弱小部である。

 そして本日、つい昨日入学式を迎えた新一年生が登校して来る。各部活にとって格好の勧誘日和だ。

 運動部、文化部、あらゆる部活が我先にと校門付近を陣取り、一年の教室前の廊下を徘徊し、初々しい一年生達に甘い声をかけ、(こぞ)ってビラをばら撒き歩く。

 風に乗って足元に落ちてきたチラシは、コピー紙自体の安っぽさはあれど、色鮮やかなイラストと丁寧な字体で綴られた、芸術作品とすら呼べる代物だった。 数秒、そのチラシをじっと見つめていた兎林大和とばやし やまとは、眉を顰めて力一杯それを握りしめた。ぐしゃりと音を立ててひしゃげた印刷用紙は、歩き出した兎林の手の中で無残に縮んでしまっている。

 鬼気迫る表情の兎林の辿り着いた先は、ミステリー研究部の部室だった。


「犯人は、被害者の息子で間違いない」


 扉を開けるなり最初に耳に飛び込んできた声は、部長の牛月忠うしつき すなおの野太い真剣な雰囲気のそれだった。

 深刻な面持ちでソファーに座る彼の正面の机には、乱雑に積まれた書籍や、何らかの資料と思わしき紙の束がばら撒かれている。


「いいえ、それは違います。彼には明確なアリバイがありました。証言者がいる以上、それは覆しようもない事実です」


 決して大きくはないが、凛とした耳馴染みの良いハスキーボイスは、長い脚を組みながら悠々と窓際のパイプ椅子に座る猪木明いのき あきらのものだ。

 まるで推理小説の探偵のような堂々たる態度で反論をした猪木に、牛月はニヤリと胡散臭い笑顔を浮かべる。


「そのアリバイを崩すトリックがあるとしたら?」


 彼の挑発的な笑顔にも、猪木が表情筋を動かすことはなく。その秀麗な柳眉をピクリともさせず無表情のまま頷いた。


「聞きましょう」


 入室してきた兎林には目もくれず話を続けようとする二人に、自分の存在を知らしめるように勢いよく扉を閉めた。

「何をしているんですか、あんた達は!」

 二人の視線が兎林に集中すると同時に、部屋の奥で丸まっていた毛布から、部員の犬山晃紀いぬやま こうきが顔を出した。

「ん〜?」

 元は物置だったとはいえ、決して手狭ではないこの部室は、入り口から向かって左半分の床にカーペットを敷き詰め、靴を脱いで寛げる仕様になっている。犬山は先日町内会の福引で当てた、〜人をダメダメにする〜というキャッチコピーでお馴染みの柔らかなクッションソファーの上に体を丸めて微睡んでいたようだ。

「部長、今度は何したの?」

 犬山は生来の長い癖っ毛に加えて寝癖だらけの頭を覗かせ、寝ぼけ眼を擦りながら牛月に不満そうな目を向ける。

「え、俺が何かした前提なの」

「少なくとも私には心当たりがありません」

 猪木も小首を傾げながら牛月を見つめる。座っていても目立つモデルのようなスタイルの長身に、男性的な精悍な顔立ち、眉目秀麗という言葉が誰よりも似合う猪木は、実は歴とした女子生徒である。

 派手ではないが華のある雰囲気、無表情で何事もそつなくこなす姿から、王子様のようと称されることもある。同学年の男子一同からすれば、女子が王子様認定されている事への不甲斐なさがあれど、彼女の性格、スペック、顔面偏差値どれを挙げても敵う男子は居らず、学年一女子に人気があるという事実には大人しく頷かざるを得ないのだ。

「アキラまで俺に罪をなすりつけようとする! 俺は冤罪だ!」

「部長、兎林の話を聞きましょう」

 謎にハイテンションのまま駄々をこね始める牛月を冷静に諌め、兎林に用件を言うように促す猪木はさながら、猛獣使いの副部長だ。

「部長は勿論ですけど、全員に言ってるんだよ。今日が何の日だか分かってるのか?」

「今日? なんかあったか?」

 呆れ果てている兎林の様子にきょとんとする牛月をフォローするように、猪木は相変わらず顔色を変えずに淡々と答える。

「さあ、強いて言うなら新一年生が登校してくる日ですね。普段はポスターのみですが、今日に限っては直接の部活動勧誘が認められています」

「分かってるのになんで何もしないの! この部活、廃部寸前なんですよ!」

 兎林は口調に迷いながらもそう叫ぶ。同級生で二年の猪木と犬山、三年の牛月の混在する空間で、敬語とタメ語を使い分けるのがどうにも面倒らしい。

「ミス研廃部するの?!」

 大袈裟なくらいに焦って取り乱す牛月に、ようやく現状を思い知ったかとため息をついた矢先、表情にこそ大した変化はないが、キョトンとした様子の猪木と目があった。一年近く同じ部活で過ごして来た兎林でさえやっとの、間違い探しのような変化だった。

「犬山、昨日兎林に伝えなかったの?」

「忘れてた。ごめん」

 犬山と猪木の短い会話の横で、挙動不審になって慌てている牛月が視界をチラつくのが鬱陶しい。

「廃部? 廃部なの? やべえ、どうしようどうしよう!」

「落ち着いてください。廃部にはなりません」

 諌める猪木の発言に、兎林が「え?」と目を丸くする。

「なんで? 廃部じゃねえの? え、どっち、というかなんで廃部?」

 混乱し出した頭の弱い牛月に、猪木が一から説明を始める。

「牛月部長の為に順を追って説明すると、この学校の校則に[卒業を控えた三年生を除いた部員数が四名以下の場合、又は優秀な活動成績等を証明する物がない場合、該当部活の処分は生徒会預かりとする]といった旨の文言があるんです。生徒会預かりになると、余程のことでない限り活動は認めて貰えません」

「つまり、部員が少ないと実質的には廃部になるの」

 牛月は犬山の補足でやっと状況を理解したようだ。

「三年生の俺以外ってことは、猪木、犬山、兎林……三人じゃん! 廃部?!」

「だから他の部活に取られる前に一年生を勧誘しに行かないといけないんですよ! ゆっくり昨日の推理ドラマの話とかしている場合じゃないんですってば」

 ちなみに、先ほどの犯人云々は最近ミス研内で流行っている連ドラの内容の話だ。牛月がどこからか見つけてくるミステリーに関する情報は、驚くほど各自の好みに合っていてとても面白かったりする。頭は悪い癖に、見る目があるというか、奇妙な直感に優れた人物だ。

 ミス研の主な活動はドラマや小説の犯人当てや謎解きゲーム、ネットの推理系フリーゲーム、世界の不思議を発見する番組で取り上げられた摩訶不思議な物や現象についての討論大会など、非生産的な内容のものばかりだ。他人に語れる魅力はあれど、形として残せるものも誇れる意義や目的も無い。

「二人とも落ち着いて、廃部にはならないよ」

「え」と、間抜けな声を上げたのは、牛月が先だったか兎林が早かったか。応対する猪木の声の調子は、感情の起伏の読めない一定の低さが保たれている。

「昨日、一年生から顧問に直接入部届が提出された。今日の朝、会って挨拶は済ませて来たから、部活には明日から参加するように伝えてある」

「ええええ!」

「部長と犬山には、昨日伝えた筈なんですが」

「そうだっけ?」と部長は惚けた顔で首を傾げる。

 予想外の展開に目を剥き、未だソファに寝そべったままの犬山の方を向くと、先ほどと同じ台詞を使い回された。

「忘れてた。ごめん」

「なんだよぉ。俺の焦り損じゃん」

 盛大なため息をついて、兎林は柔らかく形を変えるソファを背もたれにし、犬山の横に座り込んで脱力する。

「部室がちょっと狭くなるね」

 高校二年生男子にしては小柄な犬山が兎林の肩に擦り寄る姿は、まるで子犬が飼い主にじゃれついているようにも見える。これもミス研の日常風景だ。

 兎林は犬山の頭を撫でながら言う。

「猪木、会ったんだろ? どんな子たち? 女子? 男子?」

「男子と女子、両方だよ。クラスは違うけど、中学は同じみたい」

 入学初日から同時に入部届けを出してくるあたり、相当仲が良いのだろうというところまでは予想していたが、まさか男女だとは思っていなかった。

「え、それってリア充なんじゃ」

 分かりやすく眉をしかめる兎林に、猪木は一瞬口元に指を寄せて逡巡する。

「いや、なんていうか」

 平均的で普通の男子高校生、どこにでもある普通の学校の弱小部に所属していて、日々小さな心配事に悩まされている。それが兎林大和という人間の全てだった。

「女王様と下僕、って感じだった」

 相変わらず感情の読めない、完全な無表情で猪木の言い放った一言に、また、小さな心配事が増える予感がした。


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