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赫絲之夢 ④

 犬山と兎林は少しでも情報を得ようと、他の生徒がいることを期待して校内を巡回していた。本校舎二階の渡り廊下付近には自習スペースと自動販売機が一台設置されていて、休憩にはもってこいだった。室内とはいえ、体力のない文化部男子が小一時間ほど歩き回れば気力も尽きる。熱中症対策にとスポーツドリンクを購入して、兎林は備え付けのテーブルに腰かけた。犬山も缶のコーラを買って来て、近くの椅子を引いて力なく持たれた。

 大方予想通り、廊下を歩いても生徒とすれ違うことはなく、施錠された教室は勿論、窓の外に見える校庭も無人で、ここには俺たち二人しか存在していないような気分になる。

「お前、なんで烏丸にあんなこと言ったんだ?」

 烏丸の発言に矛盾があっただけなら、犬山があそこまで敵意を剥き出しにする必要はなかった。然るべき理由があったからこそ、犬山は烏丸に指摘をしたのだと思う。少なくとも俺の親友は、ただの言い間違えに突っかかるような奴ではない。

 白い首に薄らと浮かんだ喉仏を上下させて、コーラをこくんと飲み干した犬山はプルタブを弄りながらポツリポツリと話し出した。

「俺、二人を疑ったんじゃなくて」

「うん」

 犬山があまり感情的でない要因は、生来のおっとり気質が割合を占めているが、一見歯切れの悪い言葉選びも急かさずに待ってやれば彼の中で理論の道筋が出来上がる。思考の整理が人より慎重で、その分鋭い観察眼を持っている。

 犬山の特技はゲームだが、決してオールジャンルで強い天才的なゲーマーという訳ではない。初見のゲームをプレイする時、一度目、二度目は初心者丸出しでありがちなミスを連発するが、回数を増すごとに集中力は洗練され、飽きを知らずに何度も何度も同じゲームを繰り返す。最終的には周囲よりも短時間で熟練のゲーマーと拮抗する程の実力をつけるスロースターターなのだ。普段の思考回路もそれと同じで、少し時間を与えてやれば良い。

 犬山の中で流れる時間と、周りの人間を取り巻く時間の速さは異なっているのかもしれない。だから、犬山は置いて行かれないように人の温もりにしがみつく。

 しばらく待ってやると、犬山は眦を決した様子で俺に訴えた。

「二人の様子が、いつもと違うなって思ったから」

「いつもと違う?」

「いつもより、べったり一緒にいる。いつもは辰巳が烏丸の側に控えてるって感じなのに、今日は二人共近くにいるように動いてるっていうか。あと、なんとなく、会話が少なく感じた」

「俺にはいつもと同じように見えたけどなあ」

 何とは無しに俺の主観を口にすると、犬山は自信なさげにしょんぼりと俯いた。犬山に悪意はなかったとはいえ、自分の指摘が揉め事に発展してしまった事に罪悪感を隠せないようだ。

「ごめん。気のせいだったかも。空気悪くした」

「お前が俺よりも後輩のことをよく見てるってだけの話だろ。あんま気にすんなよ」と言って頭に手を乗せるがいつものように手にすり寄って来ない不自然な犬山の顔を覗き込む。思い詰めたような顔で俯く彼の頭頂部を戸惑いながらも撫で続けていると、犬山は俺のシャツを握り締めて軽く引いた。

「あのね。昨日の夜、家に帰ったら、変な手紙が届いてて」

「変な手紙?」

「怪文書みたいな。意味の分からない手紙だったんだけど、もしかしたら烏丸と辰巳に関係しているかも知れなくて、いや、俺の勘違いかもしれないけど、でもそうとしか思えない文章だったから」

 要領を得ない犬山の発言に只ならない気配を感じ、切羽詰まった瞳で何かを訴えようとしている彼の細い肩を支える。肉付きのまるでない、布の上から骨を掴んでいるような恐ろしい触感がした。偏食な生活を送る犬山の手足は、元々小柄で頼りない細さをしていたが、今は力を入れれば折れてしまいそうな程に痩せてしまっていた。犬山が尋常ではない何かを抱えている事は容易に想像できた。

「落ち着けよ。なんて書いてあったんだ?」

「写真ある」

「見せてくれ」と頼むと、犬山は慌ててスラックスのポケットから手帳型のケースに入れたスマホを取り出してパスコードロックを解除しようとするが、焦るあまり二度も認証に失敗していた。ようやく開いた写真フォルダの一番下、最新に保存されていたものは、わざわざ宛名だけが印刷されたシンプルな白い便箋だった。木製の机の上に広げ、急いで撮られたらしいその写真は少しだけブレていたが、便箋の中から取り出されたと思わしき一枚のカードの文字だけをはっきりと写していた。

『巳と酉は嘘吐きだ』

 一般的な細い明朝体で印字された、たった一文だけの手紙は異様としか言い表しようのない、奇妙な圧を放ってそこに存在していた。

「なんだこれ」

「干支で使う漢字の蛇と鳥、最初は訳が分からなかったんだけど、もしかしたらそのまんま、辰巳と烏丸を表しているのかもと思って」

「だとしても、嘘吐き? 何についての嘘だ? そもそもこれは誰から送られてきた手紙なんだ?」

「切手も差出人の名前もないから、直接投函された。でも、ただの悪戯かもしれない」

「このタイミングで、こんな手の込んだ悪戯が?」

「分かんない」

 他人と共有できた事で、少し緊張が和らいだのか、犬山は息を深く吐き出してスマホの画面を閉じた。手紙について詳細を聞こうとした直後、暗くした筈の画面が明るくなり、待ち受け画面に『部長:これを聞いてくれ』と彼からのメッセージが表示された。

「部長? なんだって?」

「なんか、録音ファイルが送られてきた。聞く?」

「再生してくれ」

 メッセージのトーク画面に、部長からたった今送信されたファイルがあった。首を傾げながら横三角の再生マークをタップする。

 屋外で録音されたのか雑音が酷く、犬山は音量を最大まで上げた。

『お前、何を考えてるの』

 先程まで行動を共にしていた後輩の声が、機械を通して流れ出した。

『うーん。姫ちゃんを守りつつ、猪木先輩を確実に殺す方法かな』

 突然でた猪木の名前と、軽々しく告げられた物騒な単語に驚いて、俺は思わず机から降りて立ち上がった。

「は?!」

「し、まだ続きがある」

『どうせ目を覚まさないのなら、死んでいるのと同じでしょう』

 烏丸の無関心な冷たい言葉を、信じられない思いで耳にした。疑問は山ほどあるが、これが真意であるならば、犯人は本当に辰巳と烏丸で間違いなくなる。

 録音はそこで終わっていた。

 何故、部長はこんなものを撮って俺たちに聞かせたのか。何が本当で、何が嘘なのか。

 混乱と不可解をうまく言葉にできずに固まった二人は、近くの階段から足音が向かってくる事に気付かない。

何も解決しないまま、ただ時間だけが過ぎて行く。

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