NATIVITATIS DIABOLUS SUSURRAT PRODITIONE 売国をささやくクリスマスの悪魔 I
礼拝堂のなかにいても、繁華街のクリスマスソングが聞こえる。
アレクシスはさわがしい方角をながめた。
二十一世紀最後のクリスマスと連呼する店のスピーカーの音声に、脳内で「やかましい」と返す。
こちらは、クリスマスだろうが何だろうが任務とあらば雪のなかを走り回らなければならない立場で、もと恋人はクリスマスこそ忙しい司祭だ。
しかも当のクリスマス直前に、関係はハニートラップだったと告げられた。
何が救世主の誕生か。ちっとも救われん。
アレクシスは、正面の祭壇にかかげられた十字架を睨みつけた。
祭壇のまえでは、ダニエルがしずかな声で滔々と聖書を読み上げている。
入口近くの壁に背をあずけて、アレクシスはじっとその様子を見ていた。
「……軍部の方」
司祭服の老人がゆっくりと近づく。
この教会の責任者だ。
叙階については、ここ数十年のあいだに制度が変わった宗派もあるらしい。
くわしくはないが、ようするにダニエルの上司ということだろうと認識している。
「どなたかの警護でも」
「いや」
アレクシスはみじかく答えた。
ここ三日、礼拝の時間にあらわれては席にもつかず、壁ぎわでじっと金髪の若い司祭を見すえている軍人がほかの信者の不審を買っているのは自覚している。
「うちの司祭に何かありましたか?」
老司祭が目線の先をながめて尋ねる。
「とくに何も」
アレクシスは答えた。
この老司祭はダニエルのスパイ活動には関与しているのだろうか。ふとそう考えた。
横目でちろりと見る。
スパイが単独で潜入しているとは限らない。
協力者もしくは監視者がいるか、あるいはべつの任務でそれぞれに入りこんでいるか。
まさかダニエルを監視している役割の者ではないだろうな。アレクシスは老司祭を睨みつけた。
一年のあいだほぼ毎夜いっしょにすごしていたが、そういえばダニエルの周囲の人間の話を聞いたことがない。
どんな友人がいるのか、同僚や上司はどんな人間なのか。両親は。
こちらも機密がからむ場合があるため、そういったことをあまり話したことはなかった。
おたがいさまか、と思う。
「……礼拝に出席しているだけだ。軍服でも問題はないはず」
いまだ横に立つ老司祭に、アレクシスはそう答えた。
礼拝が終わり、ダニエルが信者たちを見送る。
最後の信者が出入口のドアの向こうに消えると、おもむろに祭壇のユリの花瓶を両手で抱え持った。
「持とうか?」
そう声をかけたが、聞こえないふりをされる。
花瓶の水を替えに司祭館のほうへと行く。礼拝後のルーティンだ。いつもと変わらない。
アレクシスは壁に背をあずけ、ダニエルが消えたドアをながめていた。
ダニエルと出逢ってからのクリスマスは二度目かと考える。
前回は礼拝のあととうとつに家に行きたいと言われ、ベッドで甘く過ごした。
約束していた軍の受付の女の子に行けなくなったと連絡したら、激怒されてそのまま別れを言い渡されたが。
司祭とスパイのどちらが彼の本職なのか。
スパイが司祭に身を窶しているのか、それとも司祭が何らかの事情で諜報を強要されているのか。
前者なら他国の軍人の可能性もあるが。
「まだ何かご用で」
ユリの花瓶を持ってふたたび現れたダニエルが問う。
いつものようにこちらに背中を向け、花瓶をコトリと置いた。
「スパイの監視ですか? お疲れさまです」
そう続ける。
この他人行儀な話しかたも何なんだと思う。微妙にイライラする。
「ひとこと助言しておきますが」
背中を向けたままダニエルが言う。
「司祭であれば、今日は一日ここから動かない。今日が何の日だと思っているんです」
言うことはもっともだと思う。
司祭として非常に忙しいであろう日の仕事の様子をながめながら、スパイ容疑を否定する材料をさがすなどトンチンカンな話だ。
話をしたいのなら、わざわざ教会を張らずに自宅を訪ねてもいいのだ。
いまだ自分は、頭に血が昇っているのか。
どうにも効率というものがメチャクチャになっている気がする。
ただ彼の聖書を読む姿をながめに来たいだけなのか。
「ケガは」
経過が気になり尋ねる。
動きに不自然さはないが、そんなに軽いケガではなかったはずだ。
「医師に鎮痛剤と抗生剤と念のため金属解毒薬を処方してもらいました。消毒もしているので、とくに困るような後遺症はないかと」
「医師に診せたのか。よかった」
アレクシスはホッと息をついた。
「ふつうの医師に診せると思ってますか? 記録に残されますが」
アレクシスは、無言でもと恋人の背中を見つめた。
ではどんな医師に診せたのか。
せめて「雇い主」が、正当な資格を持った医師をあてがってくれたのならいいが。
軍の医療機関で診療させれば安心だが、それには彼を連行する必要があるのだ。