LECTUS SINE TE きみがいないベッド
寝室のカーテンから朝陽が透ける。
やはりろくに寝つけなかった。
アレクシスはベッドの上でため息をついた。
出勤の準備をしなくてはならないと思うと、さらに億劫だ。
失恋のショックで休暇をとれる制度なんか軍規にあっただろうか。馬鹿なことに記憶をめぐらせてみる。
もしくは恋人にハニートラップを仕掛けられたショックを癒やす休暇制度とか。
「いかん……」
眉をよせる。
休暇どころか上官に呼びだされて糾弾される。
へたすれば軍法会議ものだ。
まだ実感がない。
ダニエルはいったい、自分から何の情報をとるつもりでいたのか。それとももうとられていたのか。
「たいした情報も持ってなくてがっかり」と言っていたが。
国の歴史上、女性の統治者がたびたびいたことからアレクシスの所属する軍は通称「女王陛下の軍」と呼ばれる。
将校クラスのほとんどは、軍施設で生まれ軍に育てられた者で占められていた。
一般の者が入隊した場合は、出世の道はほぼない代わりに比較的若いうちの除隊で高額の退職金が支払われる。
半世紀ほどまえ、公安活動をする特別警察がほとんどアンドロイドの隊員のみになったさい、軍も同じようにしてはという案が国会で浮上し、当時の軍部が反発した。
「将校、武官、諜報員は、むしろその素質を持った生身の人間がつとめるべき」という主張のながれから、軍の将校クラスはそれぞれの役目に合った遺伝子が選びだされ、人工受精で誕生することとなった。
生まれたときから軍事、国益に関する役割を強いられる代わりに、一生を軍と国家が保証する。
貴族制度の復活とも例えられ問題視する声もあったが、交渉と諜報が「戦争」のほぼすべてといわれる時代においては、幼少期から戦術のエリート教育をされた人間は、むしろ都合がいいといえた。
軍の人間は便宜上、遺伝子提供者の苗字を名乗ることが多いが、提供者とのあいだに身内としての交流はない。
アレクシスの遺伝子提供者「パガーニ」氏は、イタリア、トスカーナ地方の貴族の血を引く人物らしいが、それ以上のことは知らない。
アレクシスはオフホワイトの天井を見上げた。
二十二歳で軍の士官過程を「准尉」階級で終了、実務に就くと同時に少尉に昇級すると、軍施設ではなく一般の住居に住むことを許可される。
いまは大尉。このマンションに住みはじめたのは四年前だ。
シングルサイズのベッドなのに、今朝はえらくひろく感じる。
ここ一年ほどは、ほぼ毎日ダニエルが泊まっていた。
男二人でシングルはさすがに狭いので買い換えようかとなんどか提案したが、「くっついて寝ればいい」と毎晩ダニエルが密着してきた。
起床時間に合わせて室内の温度を調整しはじめたエアコンが、かすかな機械音を立てる。
ゆうべのことを思い出しながら、アレクシスはゆっくりと起き上がった。
ケガをした身体で、ダニエルはあのあとどこへ消えたのか。
いまごろ何をしているのか。
関係を持ってから一年。
誘ってきたりほぼ毎晩泊まって行ったりと、積極的なのはダニエルのほうだった。
より関係に夢中なのは、ダニエルのほうだと認識していた。
昨夜のダニエルの冷たくつき放すような様子が、いまだショックだ。
ハニートラップだったと認めるセリフまで言われておきながら、未練タラタラだ。
より夢中だったのは、こちらだったのか。
もてあそばれた男、ハニトラにかけられた間抜けな軍人と、どんどん自分を卑下する言葉が浮かびそうになる。
頭に血がのぼってムリやり組み伏せるなど、いま思い出すと本気で恥ずかしい。
まぐわっている最中に応援に踏みこまれたら、ほんとうに何と言い訳するつもりだったのか。
起床時間を知らせる室内音楽がながれる。
窓のカーテンが、自動でゆっくりと開いた。
休日だろうが出勤日だろうが、AIが体内時計を調整するために一日一回は朝陽を浴びせる。
口うるさい奥さんみたいな機能だなと思う。
どちらかといえば、ダニエルのようなマイペースで少々奔放なほうが好みなんだが。
朝の室内音楽は、だいぶまえにダニエルが好きだという『ラ・カンパネラ』に変えていた。
司祭ならミサ曲じゃないのかとベッドの上で尋ねたが、教会でさんざん聞いているからいいと言っていた。
考えてみればエセ司祭かもしれないのだ。
ハードロックでもおかしくはなかったかと思う。
軽やかなピアノの音のながれるなか起き上がる、なめらかな背中を思い出す。
脱ぎ捨てた司祭服の中衣に袖を通しながら、たいてい「今日も来ていい?」と聞いてきた。
一歳年上だが、男性的なゴツさのない十代の子かと思うような細い肩と背中。
逆光になり肩甲骨が小さく浮き出る様子を、ほぼ毎朝ながめていた。
ほんの数日前までそうだったのだ。
落ちこむ気持ちと心配な気持ちと、あまりにひどい失恋のしかたとで朝から鬱になりそうだった。