VETITUM AMANS 禁断の恋人
午前中に出勤、書類作成を終える。
あとはジムのカリキュラムと銃の訓練を受けて帰るか。
アレクシスは軍服の襟をゆるめつつロッカー室に向かった。
明日は新年だ。
ダニエルは、年明けまえとあとの礼拝とローマ教皇の新年のあいさつを教会で中継する準備で忙しい。
荘厳な礼拝堂に立体プロジェクターを設置して司祭が起動する姿は、神秘性はいいのだろうかという気もするがいまさらか。
ローマ教皇のおわすバチカンですら人工衛星を所有しているのだ。
こまかいことは大きなお世話かと思う。
新年のあいさつは、カトリックの公用語であるラテン語なのか、使用人口の多い英語もしくはスペイン語か、それともローマ教皇の出身国の母国語であるのか事前に知らされないため、毎年、大きな教会やメディアでは各言語の通訳がすべて待機しているのだとか。
AIの自動翻訳をつかうメディアもあるが、独特すぎる言い回しや表現は混乱することもあるとか。
ダニエルがベッドのなかで言っていたことだが。
ほかの司祭は正式な試験を受けて採用された者たちだと言っていたが、ダニエルもその試験を受けたのか。
自国チェルカシアでは少佐だと言っていたが、尉官から佐官に昇進するには、参謀過程をあらためて卒業して昇進試験に合格する必要がある軍隊も多い。
会ったばかりの男を誘い、夜に二回も三回も求めているような生活でいつ勉強するのか。
「パガーニ大尉」
ジョシュア・ローズブレイドが、コーヒーを手に早足で追ってくる。
「何だ」
ロッカー室の自動ドアを開ける。
軍服のネクタイを外しながら、アレクシスは同僚を横目で見た。
「このまえのスパイのことなら、見たものはぜんぶ話した」
「それなんですけど」
ローズブレイドが切り出す。
「その件自体が上からストップかかっちゃいました」
ネクタイを首から抜きかけて、アレクシスは目を見開いた。
「あの件自体……?」
「サイバーカフェから逃げたスパイは、もう追わなくていいそうです」
「調査終了」と続けて、ローズブレイドは肩をすくめた。
かなりホッとしながらも、拍子抜けする。
「何者だと思います? このスパイ」
「何者って……」
チェルカシア国籍の陸軍少佐。本名ダニエル・クリス・ルース。
本人はそう言っていたが、まさかここでそう答えるわけにもいくまい。
「DNAも該当するデータなし。いまどきそんな人間が存在するんですかね」
「いちばん分からないのは、なぜこちらの国がわざわざストップをかける必要があるのかだが……」
「そう、それ」
ローズブレイドがコーヒーカップを上下する。
「こぼすな」
アレクシスは嗜めた。
ダニエルに聞いて答えるだろうか。
DNAのデータについては、エラーだと言っていた。
何だかんだ肝心な部分はうまく隠している気がする。
「上層部のだれかがハニトラでもされてるんじゃないでしょうね」
ローズブレイドが顔をしかめる。
アレクシスは、うっと喉をつまらせた。
心臓に針でも刺されたかのようなドキリとした感覚を覚える。
「敵国の金髪美女に全裸でせまられて陥落とか? あったら最低ですね」
すまん。金髪の美青年だった。アレクシスは眉根をよせた。
「あれは敵国ではなく同盟国のスパイだったとか……」
ローズブレイドが宙をながめる。
「政治的にややこしくなることを避けたか」
知っていることは惚けて、アレクシスはそうと返した。
「だとしたらやんわり強制送還かな。それともスパイはもう自国の大使館のなかか」
ローズブレイドが首をかしげる。
ダニエルがチェルカシア大使館が見える席の端末を使っていたことを思い出した。
あれはたまたまか。
煙の話に何か引っかかったような顔をしていたが。
「煙……」
アレクシスはつい口にした。
「何か?」
ローズブレイドが目線をこちらに向ける。
「大使館から煙が上がるって、何か意味があるかな」
外したネクタイをロッカーのドアのフックにかけて、アレクシスは上着を脱いだ。
「狼煙ですか?」
「……いつの時代だ」
ローズブレイドが宙をながめつつコーヒーを口にする。
ややしてから口を開いた。
「数十年前ならあったとか聞いたな。大使館が諜報の証拠になるヤバい書類を庭で燃やして証拠隠滅したとかいう」
「あやしすぎだろう。証拠隠滅になったのか?」
「何かを燃やしていたのは事実でも、書類の内容が分からなければ諜報の証拠にはなりませんから」
ローズブレイドがコーヒーを飲む。
「PCや補助記憶チップを初期化しても、痕跡を追って解析されますからね。たしかに燃やしたほうが早いかも」
ローズブレイドが唇の端を上げる。
そういったものを燃やしていたと仮定して、なぜダニエルがそれを監視する必要があるのか。
チェルカシアは自国では。
やはり、あの席はたまたまか。
脱いだ上着をハンガーにかけ、アレクシスはシャツのボタンを外しはじめた。
雑に脱いで、おなじようにハンガーにかける。
「けっこういい体してますよね、パガーニ大尉」
アレクシスは後ずさり、コーヒーを口にする同僚の顔を見た。
「ああ大丈夫。俺、セクシーメイトのお姉さんみたいなのが好みですから」
ローズブレイドがひらひらと手を振る。
「そ、そうか……」
「べつにここで強姦なんかしませんよ」
ダニエルみたいな細身童顔にされてたまるか。アレクシスは眉をよせた。