ODI ET AMO 憎みながら愛する
オンライン勤務が普及しているため、将校クラスのオフィスへの出勤は、顔見せと規律の確認がおもな目的ともいえる。
自宅マンションではできない射撃等の訓練もするが、おおむね書類の作成かチェックをして半日ほどで退勤する。
今朝は少し寒い。また雪が降るのか。
外套の襟をおさえ、アレクシスは軍の施設入口に設置された虹彩認証のパネルに視線を向けた。
腰の位置にある指紋、汗成分、遺伝子解析用のパネルにも軽く手をかざす。
解析が終了するまではほんの二秒ほど。
「パガーニ大尉」
施設まえの階段をあわただしく駆けのぼる靴音がする。
他人の遺伝子認証で開いたドアから、さきにシレッと入る人物。
ジョシュア・ローズブレイド。
カツカツカツッと軽い靴音をさせ玄関ホールに進むと、ローズブレイドはこちらをふり向いた。
「具合でも?」
「え……」
入口を入ったところで、アレクシスは立ち止まった。
「いつもなら、二秒がそんなに惜しいかってうしろから説教してましたから」
「あ……」
目を泳がせる。
ダニエルに指示された内容に気をとられていた。
IDなど、教えてくれと言って応じてくれるはずはない。盗めというのか。
「ローズブレイド……」
「はい」
何か、というふうにローズブレイドが首をかたむける。
「いや……」
「ああ、そうだ」
こちらの反応にかまわずローズブレイドが切り出す。
「例のスパイのDNAデータですが」
アレクシスは目を見開いた。心臓がはね上がる。
「何かストップかかっちゃたみたいです。ジンデル准将も、それならべつにいいって」
ホッとしたような、何か複雑だ。
「ストップというと……どこかからの圧力か」
「どうなんでしょうね」
ローズブレイドが首をかしげる。
「准将があっさりそれでいいって言ってるなら、そうかもしれないですけど」
「……チェルカシア側か」
ついアレクシスはそう口にした。
「チェルカシアがらみなんですか? これ」
ローズブレイドが問う。
「あ……」
アレクシスは口をおさえた。
「いや……ほかの任務と混同して。すまん」
「何となくの感触ですが、国内の機関とのからみかなって。もしかして保安局もあのスパイを別容疑で追ってるのか、それとも逆に」
「逆に?」
アレクシスは問うた。
「あえて泳がせる作戦なのか」
アレクシスは頬を強ばらせた。もしそうだとしたら、ダニエルは把握しているのか。
教えてやるべきか。
国家を裏切るなど、いきなりおおきな行動からというわけではないんだなと思った。
こうして少しずつ嵌められていくものなのか。
「あ、そうだ」
ならんでオフィスまで歩き出すと、不意にローズブレイドが声を上げた。
「ヨーク中尉が、スパイの特徴見てたそうですね。あとで思い出したって」
アレクシスは小さく息を呑んだ。
「防犯カメラも上手く避けられてましたからね。たすかった」
ローズブレイドがこちらに笑顔を向ける。
「追加で報告しましたよ。そのさいに出たのが、さっきのDNAのデータについての話だったんですけど」
「……どんな」
アレクシスは尋ねた。
「え」
「どんな特徴だ」
「金髪にカトリックと思われる司祭服だったって。顔は見なかったけど、身長は平均程度。細身の十八、九の青年のような体型」
いやな汗がながれる気がした。
アレクシスは下を向いて表情をおさえた。
廊下のオフホワイトの床が、異様に印象的に目に映る。
「十八、九か……」
ローズブレイドが宙を見上げる。
「そのくらいの年齢って、せいぜい士官学校で学んでる最中か、機関によっては養成所みたいなところにいるころじゃ」
アレクシスは無言で目を泳がせた。
返事をしたほうが怪しまれないであろうことは分かるが、掠れたおかしな声になりそうで声が出せない。
「まあ、成人してても十代みたいな外見の人っていますけどね」
ローズブレイドが、はははと笑う。
たしかにとアレクシスは思った。
こう言っているローズブレイド本人が、十代の子のようなゴツさのない外見をしている。
こういうタイプはジャパン系の遺伝子が混じっていたりすると聞いたことがあるが、どうなのか。
ネオテニーとか何とか。
「パガーニ大尉は見てなかったんですよね?」
ローズブレイドが問う。
アレクシスは言葉につまった。
「……追いつめた場所が暗くて」
「ヨーク中尉は、スパイがサイバーカフェの簡易非常口から逃げるのを遠目で見たって言ってましたけど」
アレクシスは無言で応じた。
自身もそのときに見た特徴でダニエルだと気づいたのだ。
いまのところ応援でかけつけただけということでローズブレイドとの遣りとりのみで済んでいるが、状況をこまかく聴取されればすぐに矛盾をつかれるだろう。
ダニエルとも打ち合わせをしておくべきなのか。
「逃げるさいの一瞬だったんですかね。パガーニ大尉が見てなかったものをよく見てましたね、彼女。すごいな」
ローズブレイドが感心したように言う。
口封じという言葉が浮かんだ。
ダニエルの姿を目撃した人間と、それを伝え聞いた人間と。
ダニエルの安全のために。
常識の基準がどんどんズレていくのを感じる。
「いかん」と自身に言い聞かせた。
「カトリックの司祭服か……」
ローズブレイドが顎に手をあてる。
「うちの国はカトリックは少ないから、教会一件一件あたればつきとめられるかな」
心音が鼓膜まで響く。
ダニエルに逃げろと連絡するべきだろうか。今日は新年の礼拝の準備で出勤すると言っていた。
「司祭服を着てるから司祭とは……コスプレかもしれないし」
アレクシスは苦しまぎれにそう言ってみた。
「あ、なるほど」
ローズブレイドがつぶやく。
「司祭コスプレのネットサークルとかも調査したほうがいいのかな」
そんなものがあるのか……。アレクシスは眉をよせた。