NOTITIA TUA きみの情報
常夜灯が、額にあてた手をぼんやりと照らす。
あおむけで枕に頭をあずけて、アレクシスは息をついた。
ダニエルが肩によりそうようにして横たわる。二人でかけた一枚の毛布に、ダニエルは肩まで埋まった。
欲情の処理をして冷静になると、軍を裏切った事実だけが心に重くのしかかる。
夢であったらいいのにと思う。
ダニエルがこちらの顔を覗きこむ。
教会の天使の彫像のようなきれいな顔が、愛おしくもあり憎々しくもあった。
「……ここ三日、ずっとここにいたのか」
もはやどうでもいいことだと思いつつも尋ねる。
「出かけてたよ」
ダニエルが答える。
「諜報でか」
そう問うと、ダニエルは押し黙った。
「もうおまえの側に寝返ると決まったんだ。すべて話す約束だろう」
「国籍はチェルカシア」
ダニエルが前置きもせずそう口にする。
アレクシスは大きな青い目を見つめた。かつて敵国の一部だったあの国かと知識とすり合わせる。
スパイを潜入させているのが敵国ともかぎらないのだが、この場合は以前の併合国とまだつながっていると解釈したほうがいいだろうか。
「パスポート見るかい?」
ダニエルが寝室の片隅に作りつけた小さな棚を指す。
「……いい」
見ればさらに心が重くなりそうだ。
ここで念のための確認などできるほど自身は図太くはないのだと自覚した。
寝返りを打ち、彼に背を向ける。
「チェルカシア国陸軍少佐。本名はダニエル・クリス・ルース」
アレクシスの背中に向けてダニエルがそう名乗る。
それが本名か。
一年のあいだ名乗られていた名前すら偽名だったのか。
情けなくなってくる。
衣ずれの音がする。ダニエルがこちらの顔を覗きこんだ。
「 “ダニエル” も “クリス” も、どちらも男女共通の名前だからよく混乱されるんだよね」
くす、とダニエルが笑う。
こんなときに笑えるか。アレクシスは毛布に顔を埋めた。
ダニエルはしばらく沈黙していた。
こちらの出方を伺っているのか。
「これまで通り、呼び方は “ダニエル” でいいよ」
ややしてからそう続ける。
「……そこは本名なんだな」
アレクシスは眉根をよせた。
いまそこを確認してどうするのか。相手は名前を使い分けるスパイだ。両方ともウソの名前ということすらありえるのに。
「そうだね」
ダニエルがそう答える。ふたたび衣ずれの音をさせてアレクシスにおおいかぶさると、頬にキスした。
「おとといチェルカシア大使館から煙が上がってたが、火災か?」
ダニエルを横目で見てアレクシスは問うた。
「煙……」
ダニエルが体を離してつぶやく。ややしてからゆっくりと体を起こして三角座りになった。
「さあ」と答える。
「大勢で煙草でもたしなんでたのかな……」
ダニエルがそう言う。横目で見ると、常夜灯をじっと見つめているようだ。
「それともバーベキューか」
そうと続け、クスクスと笑う。
店員との会話を聞いていたんじゃないだろうな、こいつ。アレクシスは眉をよせた。
「あっちでは火を使ったバーベキューなんてやるのか」
「まあ、寒い国だからね」
ダニエルが答える。
「いまどき火で暖をとるのか……?」
アレクシスは顔をしかめた。
「このつぎに煙を見かけたら、消防局に通報すればいい」
ダニエルが三角座りした膝の上で頬杖をつく。
なぜかクスッと笑った気がしたが、笑いごとなのだろうか。
「大使館側は、こちらの消防士が入るのは同意するのか?」
「しなかったらしなかったで消防局に記録が残る」
アレクシスは横目でダニエルを見た。それが自国にとって何の得になるのか。
「まあ……何かあれば、人工衛星で煙の成分まで解析されるんだ。おかしな火ではないと思うが」
「その人工衛星での解析は、大使館の場合はよほどの理由でもないかぎり国際条約で禁止されてる」
ダニエルが言う。
「よほどの理由……」
そう復唱してから、アレクシスはかたわらの恋人の表情を見た。
牽制なのだろうか。煙を気にしてもムダという。
「仕事の話をしてもいいかい、アレクシス」
ふいにダニエルが言う。表情も体勢も変えなかったが、口調はほんの少し堅くなっている気がした。
「仕事……」
「陸軍二名のIDを教えてほしい」
アレクシスは目を見開いた。ダニエルのほうに体を反転させる。
「IDって、おまえ……」
「 “報酬” は先に受けとったろう?」
ダニエルが膝に片頬をつけ微笑する。
報酬……と頭の中でくりかえし、アレクシスはあらためて誘惑に乗ってしまったことを後悔した。
「何かさぐりたいなら、私のIDでいいだろう。いまから教える」
「その二名のがほしいんだ」
ダニエルはそう答えて、細い指を二本立てた。
「あなたの上官にあたるモーガン・ジンデル准将」
それと、と続ける。
「ジョシュア・ローズブレイド大尉」
「ローズブレイド……」
アレクシスはゆっくりと上体を起こした。
「何であれなんだ」
「僕の端末をつきとめて追うのは、そもそも彼の任務だったのでは?」
アレクシスは答えず、眉をよせた。
「そして命じたのはジンデル准将」
ダニエルがにじりよる。鼻先に顔を近づけて目を合わせてきた。
「こちらの任務の邪魔だろう?」
アレクシスは顔をしかめた。しばらくダニエルの蠱惑的な微笑を見つめる。
「……命までどうこうする気じゃないだろうな」
「どうかな」
ダニエルが答える。
「おまえ……!」
ダニエルが顔をかたむけて口づけた。アレクシスの唇を食み、すぐにまた大きな目で見つめる。
「アレクシスしだいだ」
そうささやく。
「だから言うことを聞いて」
アレクシスは眉間にしわをよせた。ダニエルの顔を見つめる。
「アレクシスのしかめ面ってセクシーだな」
ダニエルがくすっと笑う。
「……そんな冗談はいい」
「二人のIDがほしいのは、機密の何を検索したかが知りたいからだ」
ダニエルが指を二本立てる。
「……機密の内容は、おまえの任務には重要じゃないのか」
「内容はもう知ってるからね」
アレクシスは目を見開いた。
やはり自分のIDを使われていたのだろうか。
簡易的には確認したが、そんなものでは分からないようにされていたのか。
「大丈夫。あなたが疑われるような方法じゃない」
ダニエルが言う。
ふとアレクシスはべつの疑問を思い出した。
「おまえのDNAデータが、“該当するデータなし” になっていたのは? どういう理由だ」
ダニエルは真顔になり、アレクシスの目をじっと見た。
「エラーじゃないか?」
微笑して、そう答える。
アレクシスは睨みつけるように見返した。
また冗談ではぐらかされたなら「すべて話す約束だ」と言うつもりでいた。
だがこの答えでは反論できない。
数日のあいだにうまい言い訳を考えたのか。
内心で舌打ちする。
何でこんなのが好きなのか。
初恋の子に似ているとずっと思っていたが、あの子はもう少し素直で純情でやさしかった気がする。
いまごろどこの部署にいるのか。
ダニエルが口づけてきた。唇をアレクシスの肩に移動させると、ゆっくりと這わせてくる。
「ほんとうにセクシーだな。もう一回したい」
アレクシスは無言で眉間にしわをよせた。