CRIMEN PRODITIONIS COITUS 売国の罪の情交 II
だめだと内心は思っていた。
彼は自国の軍部の情報を盗もうとしている人間だ。
こうして誘惑して味方に引きこみ、自国を裏切るようしむける。
手口を知っていて、ましてハニートラップだとはっきりと言われておいて引っかかるなどあるか。
そう頭のなかでなんども繰り返しつつ、アレクシスの手は彼のなめらかな背中をまさぐり続けた。
肩のつけ根に口づけ、強く吸う。
ダニエルが震える息を吐いた。
ダニエルの顔は見たくなかった。
きっと勝ち誇った顔をしているのだろう。
一年かけてたぶらかした間抜けな将校は、もう自身の虜なのだと。
たった三日会えなかっただけでこうして餓えて食いつき、言いなりで国家を裏切る気でいると。
抱きしめて、食むように彼の肩に口づける。
バカかと自身を詰りつつも止まらなかった。グラリと上体をぐらつかせ、ダニエルを床に押し倒そうとする。
「アレクシス」
ダニエルがとどめるように肩に手をかけた。
「ちゃんとベッドでしてくれ」
こちらを見上げて苦笑する。
「ベッドか、せめてカウチで」
アレクシスは大きく息を吐いた。
冷静になろうと努める。
彼は恋人だ。
硬い床に押し倒して、自身の欲望の処理だけに使うなどあるか。
ケガをしているのだ。
やさしくあつかって、ケガの状態に気を使って。
壊れものをあつかうように、そっと。
「好きだよ、アレクシス」
ダニエルが口づける。アレクシスの外套の襟に手をかけ、するりと脱がせた。
外套をかたわらの椅子にかけようと、ダニエルが手を伸ばす。アレクシスはその手をとり彼の唇を食んだ。
舌を入れようとしたが、ダニエルがすっと唇を離しアレクシスの軍服のネクタイを外しはじめる。
おあずけをされた犬のように、アレクシスの唇から熱い息が漏れた。
「脱いで、アレクシス。このまえみたいなのはごめんだ」
ダニエルが軍服の襟に手をかける。
つめたい倉庫の床で、強姦も同然に体を開かせてしまったことに罪悪感を覚えた。
もうあんな扱いはしない。
彼に冷たく拒絶されるような態度をとられて、はげしく動揺したのだ。
こちらを向いてくれるなら、やさしくする。
アレクシスは、自身のボタンを雑に外した。
せっかちな様子にあきれたのか、ダニエルが苦笑しながらシャツを脱がせる。
あらわになった胸元に、ダニエルが口づけた。
「好きだよ、アレクシス。悪いようにはしない」
寝室内に二ヵ所ほどついたオレンジ色の常夜灯が、ぼんやりと室内の様子を浮かび上がらせる。
生活感のない室内。
関係を続けていたあいだも、ダニエルはほぼ毎晩アレクシスの自宅に泊まっていた。
あいかわらずここで過ごすことはあまりないということか。
この様子だと、ほかのだれかを自宅に連れこんでいるということだけはないのでは。
欲情した頭の片隅で、そんなことを考える。
ベッドにたどりつくのももどかしく、アレクシスは寝室の入口でダニエルの唇にかぶりついた。
いつもの薔薇とシトラスの混じる香りは、今日はうすい気がする。
自分と会うときだけ、わざわざ香りをつけていたのだろうか。
そう想像すると愛おしい。
それがハニートラップの手口なのだと理性が警告するが、欲情に頭が痺れてどうでもよくなった。
「アレクシス」
ダニエルが唇を離す。
誘ったくせになぜ口づけを拒否するのか。
脳内で詰りながら、アレクシスはもういちどダニエルの唇を食んだ。
唇を強くくわえて執拗に舌をからめる。
「まるで犬だな」
強引に唇を離し、ダニエルが苦笑する。
餓えた犬だ。
アレクシスは自身をそう評した。
目の前に餌をぶら下げられ、釣られて崖から落ちようとしている犬。
ふたたびダニエルの唇をむさぼる。
こんな餌に釣られて。
どうなってしまうのか。
不安を打ち消すために夢中で彼の口腔内を侵す。
ダニエルの舌が応じてきた。
小さな甘い呻きが暗い寝室内に響く。
こぼれた唾液が、ダニエルの丸みを帯びた顎を伝った。
「アレクシス」
ダニエルがふたたび唇を離し、苦笑する。
アレクシスは息を震わせた。
欲情に眇めた目に、常夜灯のオレンジ色の明かりがゆがんで映る。
この寝室のどこかに、脅迫につかう隠しカメラでもあるのだろうか。
いまさらながらそんなことを考えて心臓が跳ね上がったが、誘惑にのみこまれて熱い息を吐いた。
ダニエルが何かを言いかけたが、言葉を発するまえにアレクシスは彼の二の腕をつかみベッドへと連れこんだ。
つかんだ腕をグッと引っぱるようにしてベッドに座らせる。
ダニエルはベッドの上で一、二回全身を上下させ、クスクスと笑った。
「ひどいな。今日はやさしくしてくれると思ってたのに」
心の中が、グラグラとゆれていた。
やさしくしてやりたいが、一年間も騙されてさらにたぶらかされている真っ最中なのだと思うと、憎しみに似た感情も同時に湧いてくる。
もと恋人に国家を裏切るという大罪を促しておきながら、なぜそう微笑んでいられるのか。
ダニエルを押し倒し、上におおいかぶさる。
どれだけきれいな街で文明人のふりをしていても、男の中身は発情期の獣だ。
それがよく分かった。
ダニエルがこちらを見て微笑する。
確実に寝返ったと認識したのか。
国家よりも快楽を選んだと。
アレクシスはきつく目をつむった。
落とされる。
こんなことで。
バカなやつだ。こんな罠にはめられて。
ダニエルが口づける。舌をからませた。
巧みな舌の動きで忠誠の意思を削いでいく。
彼は、任務が終われば自分を棄てるだろう。
国家を裏切り、育った軍を裏切り、自分にはおそらく何も残らないだろうに。
「アレクシス」
ダニエルが肩にしがみついた。