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機械仕掛けの薔薇 〘R15版〙  作者: 路明(ロア)
6.そこにいなかったことに
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QUOD NON ERAM IBI そこにいなかったことに

 昼すぎ。

 報告書作成と訓練を終える。


 アレクシスは外套を手に軍施設のロッカー室を出た。

 ここ三日、ダニエルといっしょに食事をした店やいっしょに出かけた場所をあちこち回ってみたが、彼の姿を見つけることはできなかった。

 身内や友人のことを聞いていればそちらを訪ねてみるところだが、いまのところ国籍すら分からない。

 一年間恋人としてすごしていて、こんなことがあるのかとモヤモヤする。

 スパイの手口なのだろうか。

 顔を合わせれば多くの言葉をやりとりしていたので、何もかも話してくれていると錯覚していた。

 身内や周辺の人間や生い立ちに関する情報は、会話のなかのどこにもなかったと気づく。


 ダニエルの自宅は、ここ三日のあいだなんどか訪ねた。


 呼び鈴のパネルにいくら手をかざしても、インターフォンに返答はなかった。

 たいていのマンションやアパートには、非常事態を感知して外部に知らせる機能を持つ小型アンドロイドが設置されている。

 いまだ危機を知らせる表示はパネルにはなく、アンドロイドが通報した形跡もないが。

 そこまで考えて、アレクシスは眉をひそめた。

 軍人の横っ面と腹に蹴りを入れて逃げおおせるような人間が、そこらの強盗にむざむざと好きなようにされるだろうか。

 アレクシスはきつく眉をよせた。

 そういえば蹴りを入れられていたのだった。

 毎夜のように体を重ねて甘い時間をすごしていた相手に、二発も蹴りを入れられた。

 あらためてひどい失恋だ。


 そして、とっさのあの動きはほぼ間違いなく軍人では。


 なぜ気づかなかった。

「パガーニ大尉か」

 重みのある声でそう呼ばれる。ゆっくりと背後をふり返った。

 白衣の人物が仁王立ちで立っている。

 白髪をきちんと整えた細面の端正な顔。眉間にしわをよせた厳しい雰囲気。

 陸軍軍医長ハロルド・ジョン・ホール。

 いまどきの軍人とはちがい、紛争中の国での軍医経験をもつ重鎮(じゅうちん)だ。

 アレクシスは敬礼しようと右手を上げかけた。

「敬礼はいい。ケガの手当てにきなさい」

 有無を言わさぬ様子で医務室のほうへ促す。

「ケガ……ですか」

「職務中に負ったケガをほったらかしているそうだと同僚の嬢ちゃんが」 

 同僚の嬢ちゃん。ヨークのことか。

 女丈夫もかたなしだなと思う。

「いや……軍医長のお手をわずらわせるほどのケガでは」

「医者でもないのに何を勝手に決めつけとるか。来なさい」

 軍医長はきびすを返し、アレクシスを医務室に促した。




 医務室内は、設備や器具がほとんど壁に収納されているため非常にシンプルな見た目だ。

 等間隔(とうかんかく)にならんだ診察用の椅子。椅子ごとについたMRI用の立体画像プロジェクターとPC、小さなテーブル。

 椅子と椅子とのあいだに一鉢ずつ置かれた二酸化炭素を多く吸収する観葉植物。

 白いカーテンでしきられている向こう側には、簡易のものも含めて数十台のベッド。

 最奥には手術室のエリアと、感染症のさいの隔離(かくり)エリアがある。


 命じられるまま医務室に来たものの、アレクシスはどうごまかそうか入口で目を泳がせた。

「座りなさい」

 軍医長がどっかと椅子に座り、診察用の椅子に促す。

「は……あの」

 アレクシスは医務室内を見回した。

「衛生兵か衛生士官は」

「ほかの任務にあたっとる。わしも忙しいのだから早くしなさい」

 軍医長が眉間にしわをよせる。

 いそがしいのなら、このまま時間かせぎをすればタイムアウトだろうか。

 アレクシスは出入口を横目で見た。

「軍医長、まずトイレに行きたいのですが」

「奥のを使いなさい」

 軍医長がカーテンの向こう側を指さす。

 敵前逃亡はムリか。アレクシスは眉をよせた。

「何をしとる。さっさと患部を見せなさい」

 軍医長が声を上げる。

 さすがそこらの医者とはちがう。腹から響く威圧的な声が何ともいえない。

「職務中のケガなら心配いらん。職務に関することを知っても口外せんのが規則だ」

「それは知っていますが」

 アレクシスの脳内に、何かうっすらと引っかかったものがあった。

「軍医長、口外しない内容とは具体的にどんな」

「おもしろい質問をするな。口外できないものとは、項目すら上げられないものでは」

「は……失礼いたしました」

 軍医長は無言で腕まくりをした。おもむろに口を開く。


「つまりは、ケガ人などいなかったことにしなければならない事例などだ」


「いなかったことに……」

 アレクシスは復唱した。ややしてから、諜報担当のケガのことだろうかと思いあたる。

「ほら、早くしなさい」

 軍医長がせかす。

「は……軍医長!」

 こうなれば思いきって。アレクシスは姿勢を正して声を上げた。

「何だね」

「プライベートの問題も口外せずにいてくださいますか!」

 軍医長が無言で顔をしかめる。


「ヨーク中尉が目撃したさいに外套に付着していた血痕(けっこん)は、現場の倉庫に放置されていたインクがついたものであります。現場におもむくまえに知人に蹴りを入れられていたため、そのための出血と勘違いしガラスによるケガと弁明いたしました」


 軍医長としばらく無言で目を合わせる。

 とっさのウソは苦手だが通じたか。

「……蹴りを入れるとは、勇ましい知人だな」

「は……」

「ようするに痴話喧嘩(ちわげんか)か」

 軍医長が眉間にしわをよせる。

「……その通りであります」

 ふつうの痴話喧嘩ならどんなにいいかと思うが。

「それならそれでもかまわん。口外せんから患部を見せなさい。アザは」

 アレクシスは、観念して診察用の椅子に座った。

 体重や血圧、脳波等を自動的に計測する機能のついた診察用椅子。アレクシスはうしろに反れた背もたれに頭をあずけた。

「蹴られたのはどこだ」

 軍医長が顔を覗きこむ。

「顔の横と……腹部です」

「右か? 左か?」

「左ですが」

 ふむ、とうなずいて、軍医長はアレクシスの左頬をつかんだ。強引に横を向かせる。

「なかなか男前な顔しとる」

「は……」

 アレクシスは困惑して眉をよせた。

「男も女もたらしたのが、先祖に一人くらいいそうな」

 人相占いか何かだろうか。アレクシスはさらに困惑した。

「アザにはなっとらんな」

 頬をあちこちつねるようにして顔を覗きこみ、軍医長がつぶやく。

「顔は、蹴られたというよりは(すね)でつき飛ばされたという感じだったので」

 アレクシスはそう説明した。

「顔は内出血なし」

 軍医長が椅子の横のパネルを操作する。診療記録を作成しているのだろう。

「……ケガの状況は何と書かれるのですか」

「職務中の負傷と書いてやる。心配せんでいい」

 つい複雑な心境になりアレクシスは眉をよせた。

 あの折りのダニエルとのやりとりを知られて糾弾(きゅうだん)されるよりはいいが。

 ダニエルのケガを治療したのがどこの医師なのかは知るよしもないが、止血中に強姦されたなどというのは記録されなかったのか、そもそもダニエルが申告しなかったのか。

 医師相手ならバレていた可能性もあると思うが。

「つぎ、腹」

 軍医長が患部を出すよう指示する。

 アレクシスは素直にスラックスのベルトを外し、腹部をさらした。

「ちゃんと腹筋われとる」

 腹部を見下ろし、軍医長がそう言う。

「訓練はきちんと受けているようでけっこう」

 診察内容そこか、とアレクシスは内心でツッコんだ。

「患部はどの辺だ」

「左の脇腹です」

 アレクシスはその辺りを手で示した。

「こちらもアザはなし」

「直後にはうっすらとありましたが、もう一週間経ってますし」

 アレクシスは苦笑した。


「横っ面に脇腹……」


 軍医長は何かに思いあたったように宙を見上げた。

「痴話喧嘩の相手は、おなじ陸軍の人間か?」

 アレクシスは軍医長の顔を見上げた。

「いえ……」

 民間人だと言おうとしたが、あまり話すと襤褸(ぼろ)が出るかと思い言葉をにごす。

 何を根拠にそう思ったのか聞きたいが。

「まあいい」

 軍医長は診療記録をまとめると、アレクシスに帰っていいと指示した。

「医療用パッドもいらんな。万が一異常を感じたら、すぐに来なさい」





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