EVANESCET CUM LILIUM マドンナリリーとともに消える II
アレクシスは礼拝堂のステンドグラスを見上げた。
しばらくしてから、水を替えるだけなのにずいぶんかかるなと気づく。
いつもなら五分程度で戻ってくるのだが、とうに過ぎている。
ブレインマシンを起動させ、時間を確認する。
もうすぐ十五分になるだろうか。
べつの作業でもしているのか。
ケガが悪化して倒れている事態も考えたが、それならほかの教職が見つけるはず。
司祭館に通じるドアを見つめる。
確認に行ったら、不審がられるだろうか。
彼との関係はと聞かれれば、もと恋人と答えるしかない。
連日礼拝に現れ、礼拝のあいだずっと特定の司祭を睨みつけるように見ているというだけでじゅうぶん不審がられているのだ。
この上、業務外の空間にまで踏みこめばストーカーあつかいされかねない。
ふいにドアが開いた。
若い教職が顔を出す。
礼拝はとうに終わったがなにか、と問うような表情でこちらを見る。
「ダ……ハミルトン司祭は」
アレクシスはそう尋ねた。
教職が廊下の奥のほうを見る。
「帰ったと思いますが」
「帰……」
アレクシスは目を見開いた。
「忙しいのが、いちおう一段落しましたので」
教職がそう続ける。
言葉の裏に「デートの約束でもあったのでは」というような意味が見えかくれしているのを感じ、アレクシスは嫉妬を覚えた。
去年、礼拝を覗きに来ただけのアレクシスに唐突にキスし、「家に行きたい」と誘ってきた彼だ。こちらとの関係が破綻して早々にべつの人間におなじことをしてもふしぎはない。
相手はどいつだ。
アレクシスは、チャーチベンチに座っていた信者の顔を思い出せるかぎり思い浮かべた。
年配の信者が大半だった気がするが。
そういえば彼のつきあう年齢の許容範囲はどのあたりで、女性のこともおなじように誘うことがあるのか。
それすら知らなかったことに気づいた。
表情を読みとられないよう、教職に背を向ける。
嫉妬にとらわれている場合かと自身の感情をおさえた。
こんな消え方をするということは、何か行動を起こすつもりなのか。
ダニエルのことを上に報告するのは、まだ躊躇していた。
いつまでも隠し通すことはできないだろうが、冤罪である証拠をつかむか彼の罪が軽くてすむよう手を回すか。
どちらかをしないかぎりは報告の踏んぎりがつかない。
「伝言とかは……ちょっとあずかっていないんですが」
気を使ったのか、教職がそう言う。
「ああ……大丈夫」
アレクシスはそうと返して出入口に向かった。
ダニエルとの関係は、おおっぴらにしていたわけではないが隠していたわけでもない。
近くでいっしょに食事をしていたこともあるのだ。
気づいた人間は気づいただろう。
背後から、ふぅ……と息を吐いたような音がする。
ほんとうに未練タラタラな側のストーカー行為だと思われていたのだろうか。
アレクシスは眉をよせた。
礼拝堂の出入口の古いドアを開けると、キッとかすかな音がする。
つくづく懐古映画のようなドアだなと思う。
冬の昼間の陽射しが礼拝堂に射しこむ。
サングラスをとりだそうとしたところで、空中の右側に着信をしめす表示が出た。
軍の回線だ。
「ジョシュア・ローズブレイド」と表示される。
何かあったかとこめかみに手をあてる。
脳波に反応してブレインマシンが起動し、顔のまえに回転する歯車のような表示が現れる。
通話中は宙に向かって話すことになるため、あえて他人からも見えるこの表示が出るようになっている。
表示されない設定も可能だが、街のまんなかで空中に向かって独り言をしゃべっているように見られたい人間はいない。
「どうした」
「恋人とデート中に申し訳ないんですが」
ローズブレイドがそう切りだす。
アレクシスは無言で顔をしかめた。
どこからか見ているのかと周囲に目配せする。
「……一人だ」
「ああ、そうなんですか」
ローズブレイドが返す。あてずっぽうで言っただけかと顔をゆがめた。
「たったいま、うちのオフィスと経理でほぼ同時にクラッキングが検知されたんで。近くにいるなら、もどってPC確認したほうが」
アレクシスは眉をよせた。
周囲の街の様子をぐるりと見回す。
ダニエルが姿を消した直後にか。
ぐうぜんか。