EVANESCET CUM LILIUM マドンナリリーとともに消える I
クリスマスが終わると、礼拝に出席している信者の数はずいぶんと減った。
今日はチャーチベンチには数人ほどしかいない。
中世や近世ではないので、信者による教会への寄付はあまり多くはないと思われた。
教職の給料や教会の運営費のほとんどは、歴史的建物地区の一部としての政府からの補助金だ。
壁に背中をあずけながら、アレクシスは繁華街の方向を見た。
やっとしずかになるかと思いきや、こんどは二十二世紀の新年を祝う商戦で騒がしい。
祭りが続くなと思う。
こちらはそれどころではないのに。
礼拝が終わり、まばらに座っていた信者たちが礼拝堂をあとにする。
いつものように背中を向け後片づけをするダニエルに近づいた。
「聞きたいことが」
ダニエルは返事をせず、聖書をパタンと閉じる。
「お前のDNAデータが “該当するデータなし” と出た」
しばらく返事を待ったが、ダニエルは無言だった。
向こうを向いたまま祭壇の後片づけをしている。
「よほどの未開の地域でもないかぎり、百年まえの人間のDNAデータまで検索できるはず。どういうことだ」
「未開の地域の出身者ということでは?」
ダニエルがクスッと笑う。
「……ふざけるな」
アレクシスは眉をよせた。
「国籍はどこだ、おまえ」
「それ、いちばんはじめに聞いていなければならない質問では?」
ダニエルが答える。
「どこだ」
ダニエルがクルリとこちらを向く。
「答えたらこちらに寝返るか、アレクシス」
祭壇に腰をあずけて腕を組む。
ガラの悪い司祭だなとアレクシスは顔をしかめた。
「寝返ったらぜんぶ話してやる。国籍から諜報の目的、所属」
所属ということは軍人かとアレクシスは目を眇めた。
「どんな情報を盗ったのか、手口は。ほかのスパイは入国しているのか」
ダニエルはそう言い、うす桃色の唇から意味ありげな吐息を漏らした。
「好きな体位は。感じるところはどこか」
「……そんなのは知ってる」
アレクシスは声音を落とした。
恋人だった時期の話題をまじえて、公私混同でも誘っているのか。
抱きしめて彼の体温を感じたい欲はあったが、おさえた。
ダニエルが無言で肩をすくめる。
ふたたび背中を向け、ユリの花の生けられた花瓶を両腕でかかえるようにして持つ。
「持とうか」
アレクシスは言った。
少し間を置いてから、ダニエルが背中を丸めてククッと笑う。
「親切な軍人だ」
「ケガ人だろう」
アレクシスは、彼の背後から花瓶に手をそえた。
ダニエルが首を反らし、上目づかいでこちらを見る。
「このまま抱きしめてくれるか、アレクシス」
アレクシスは目を見開き、天使のような顔を見下ろした。
胸元に彼の体温を感じる。そこから欲情をジリジリと煽られた。
薄青のきれいな瞳と、無言で目を合わせる。
「寝返ると約束するなら、この場で好きにしていい」
ほんとうか、と脳内が食いつきそうになる。
つぎの瞬間に違うだろうと否定した。
こんな体一つで、軍と国家を裏切れるものか。
「こちらのために働いてくれるなら、僕の体は報酬としてあつかっていい」
アレクシスは無言で猫のような青い瞳を凝視した。
「楽しませてあげるよ、アレクシス」
ダニエルが、色気の混じる息を吐く。
「好きな体位で」
シングルサイズのベッドの上。
毎夜のようにアレクシスを受け入れていた彼の官能的な姿を思い出す。
薔薇とシトラスの香りが汗で濃厚になり、背中にからめた両脚が切なくもがいていた。
アレクシスは、眉をきつくよせてこらえた。
この手の誘惑は、いちばん警戒すべきと教育されている。
将校クラスになるべく育てられた以上、もっとも身近な危険として教えられたものの一つだ。
アレクシスは後ずさり、もと恋人から離れた。
ダニエルがクスッと笑う。
「残念」
そうつぶやく。
「考える時間はあげるよ」
ダニエルがあらためて花瓶を両手でかかえる。
「乗るわけがないだろう」
「スパイの顔と名前は、まだ報告してないようだけど」
ダニエルがそう返す。
「……隠蔽してるつもりはない。DNAのデータ照合が “該当するデータなし” では報告書の作成も進まん」
「そう」
ダニエルがユリの花瓶を持ち上げる。
ケガは。
経過は順調なのだろうかと心配になり、アレクシスは彼の動きを目で追った。
ダニエルがドアの向こうの司祭館に消える。
花瓶の水をかえて、しばらくしたらもどる。礼拝後のルーティンだ。
アレクシスは何気に礼拝堂のなかを見回した。