生きる証、または紙資源
同人誌の仲間のお宅に伺い、本を頂いた体験を素に書いた
フィクションです。よろしくお願いします。
日曜日、お昼のニュースが終わり、純三にとって恐ろしいテレビ番組が始まろうとしている。彼は、昼食で汚れた食器をシンクに置くと、逃げるようにテレビのある居間から出た。
婆さんと一恵は、NHKのど自慢とあるタイトルを食い入るように見ながら、今日はどこだっけとか言っている。
純三は、子供の頃からこの番組が苦手だ。というのも、わざとウケを狙い派手なパフォーマンスをしているのを見ていると、何故か見ている自分が恥ずかしくなり、見るに堪えないのだ。だからこの番組が始まる時間前に違う番組にチャンネルを回したり、テレビのある部屋から逃げ出すのだ。
出演者たちは、よくも大勢の人の前で、しかもテレビ放送なのに、思い切り歌えると思う。自分なら到底できないだろうし、文字通り剛毛の生えた心臓の持ち主だろうと想像する。
純三は、人前で歌うことはめったにない。
だが彼は、若い頃から地元の同人誌に入り、下手な散文を披露するという、大勢の人前で歌う匹敵する恥ずかしい行為を、長年続けている。
一九八三年発行の同人誌に彼の名前があるから、四十年所属していることになる。
昔は今のようにインターネットはなく、二十歳そこそこの純三は、純粋に書く仲間を求めて、同人誌に加入させて頂いた。その当時は、現在よりいくらか同人の平均年齢は若いようだったが、それでも純三より一番近い方で十歳は上だったかもしれない。もっとも年齢差以上に、文章を書く力や味わう感性など、話にならないほど差はあったと考える。
いま純三は、そういう若者がうちの同人誌に顔を出したとしても一回きりで、二度と出席はしないだろうと思う。
その頃を思い出すと、ピュアだったんだなと感じるし、その場にそぐわないのを分からない鈍感な青年だったと振り返る。純三は、ウサギの糞の様な短い小説ともエッセイとも判断できない文章を、同人誌に掲載させて頂いた。他の同人たちは、風変わりな青年だなと思っていただろうが、退会しろとは言わなかった。純三は自分の書いた物を思い出すと、よくも恥ずかしくもなく公開できたもんだと、頭が線香花火の火種になり、火花が飛び散るのが実感できるくらいだ。
まぁ同人誌側としても、純三は例会には積極的に参加し、意見も述べ会費を順調に払っていたので、あえて退会勧告はしなかったのだろう。
やがてインターネットが盛んになると、純三は自前の小説サイトを持つようになった。その頃、ネットを通じ隣県在住の成田さんを知り、交流を持つようになった。成田さんは、純三より数年年上で、一人でサイトを持ち何冊か本まで出版していた。そして互いに本ができると送りあい、感想を述べ合ったりしていた。長年二人の交流は続いたが、会うことはなかった。
同人誌に入会して二十数年が過ぎ、純三は自分には書く才能がないと納得してくると、書くことが馬鹿らしくなり、純三は同人誌を退会した。しかし他に打ち込めることもなく、成田さんとの交流は続いていたので、数年後、再び同人誌の仲間に加えて頂いた。
改めて入ってみると、ただ書いているだけでは物足りなさを感じた。そして県内の同人誌の協会が隔年で発行している作品集への、うちとしての推薦作に自作がならないかなと思うようになった。
だが互選で選ぶ推薦作には、当たり前だが優秀な作品がなり、純三の出番はなかった。しかし三十数年書き続けていると、一度で良いから推薦作にならないかと思うようになった。
もし自分より若い人が入会して、先にその方が推薦作になろうものなら、自分の居場所はどうなるんだろうと思った。塩をかけられる直前のナメクジって、こんな心境だろうと想像する純三だった。
長年書いていて一作も評価されないのは、のど自慢で我流の下手な歌声を披露し、顰蹙を買っている人と同じように感じられた。
一度で良い、推薦作になりたくて喉から手が出「た」。しかし現実は厳しかった。
ところが予期せぬ事が起こった。
その推薦作選考おいて、互選で最多票を得た方が推薦作になることを辞退したので、次に多数票を頂いた純三の作品が繰り上げで推薦作となった。
純三は、想定外の出来事に戸惑いはしたが、これでやっと、塩を恐れるナメクジにならずに済んだと安堵し、帰りのクルマでは両手をハンドルから離して、何度も、ヤッター! とガッツポーズをとった。
純三は、推薦作を掲載した作品集ができると、地元の公民館の図書コーナーに一冊進呈した。うまくいけばそこに本を借りに来た人が、作品集を読んでくれ、純三に感想などを言ってくれるかもしれない、そんな下心があったのだ。しかし数ヶ月を過ぎても、一つも読んだと声をかけてはもらえなかった。
もしかすると、公民館は作品集を受け取ったものの、書棚には並べずに、そのまましまい込んでしまったんじゃないだろうかと、純三は推理した。貸し出す気がないなら受け取らなきゃ良いのに、と思ったり、貸し出しできる様にしてあるのだが、誰も作品集を読もうとはしないかとも想像した。
狭い地区ではあるが、自分史や短歌・俳句など自費出版をする方もたまにて、そういう類いの本をいちいち書棚に並べていては、スペースが無くなってしまうのかもしれないと、考えるようにした。
また書棚で貸し出される状態でも、他人には読む気がわかない本もあるだろう、と納得した。
しかしいまだに苦々しく思う出来事もある。
仮にキャンキャンおばちゃんと呼ぼう。彼女は、昔からの純三の親戚で、たまに純三の母親に電話をくれる。婆さんの話し相手になってくれたり、純三の悩みを聞いてくれる、ありがたい存在ではある。だが、大した用でもないのに、つまらない話で電話を切らず、うるさく感じることもあり、いつまでも鳴き止まない犬の様だ。そこでキャンキャンおばちゃん、と命名した。
そのキャンキャンおばちゃん、家に来た時に作品集を読んでみたいと言ったので、純三は一冊キャンキャンおばちゃんに進呈した。純三の本を欲しいと言ってくれる人は希だし、必ず読んでくれる人は成田さんくらいだから、彼は、キャンキャンおばちゃんに本をあげられたのが嬉しかった。
そして、その次にキャンキャンおばちゃんに会った時、読んでどうだったと純三が聞いたら、
「読んだよ。読んだ」
としか言わなかった。
読んでみたいと言ったから本をあげたのに、キャンキャンおばちゃんの素っ気ない言葉の意味が、純三にはすぐに理解できなかった。
純三は、三つの解釈ができると思った。
一つ目。
実はまだ未読で、それを素直に言えず、読んだと嘘をついた。
二つ目。
読んではみたものの、つまらなくて感想を言う気にもなれない。それを言うのも悪いから、とりあえず読んだと言った。
三つ目。
読み終え、赤ん坊の頃から知っている純三がこういう文章を書けるまでになり、なんとも言いようにない感慨に浸り、うまく言葉にできずに.、とりあえず読んだ事だけ告げた。。
この三パターンのうち、キャンキャンおばちゃんの心理はどれに近いのだろうと純三は考えたが、彼女には再び問わない。何故なら二つ目の感想なら、かなり辛い気がするからだ。
とりあえず純三にとり確かなのは、二度とキャンキャンおばちゃんには、本をあげないということだ。
この作品集を予告せず成田さんにも送った。突然、作品集を送られた成田さんの、反応が楽しみだったのだ。しかし数ヶ月経っても、成田さんからの反応はなかった。純三は、彼の心理をいろいろ想像してみたが、これといった結論は得られなかった。
成田さんを薄情な人だ、という気持ちがだいぶうすらいだある日、成田絵美という差出人から葉書が届いた。
そこには自分が純三と交流があった、成田さんの妻であること、成田さんが心臓の発作で急死し数ヶ月が経ち、いろいろ落ち着かず、今頃になり知らせて申し訳ないというような内容が書かれてあった。
純三は、急な成田さんの死に驚いたものの、悔やみの言葉と、今までの交流に感謝の意思を示した葉書を書き送った。
純三は、唯一といえる文芸の友を失い、言い知れぬ寂しさを感じ、会おうと思えば会える距離に住んでいたのに、手紙や本のやりとりだけに終わってしまったのを、改めて悔いた。
それから一年近く経ったある日、成田夫人から葉書が来た。そこには、現在住んでいる住宅を処分し、子供の家に引っ越すとあった。ついては成田さんの蔵書を処分することになり、純三の同人誌の他、多量の本がある。故人の供養にもなり、読んでみたい物があれば進呈したいので、おいで頂けたら嬉しいと書いてあった。
純三は、伺いたい旨と電話番号を書いた葉書を送った。しばらくして成田さんから電話があり、一週間後、純三は成田さん宅を訪れた。
純三は、成田さんの家に着くと、居間に通されお茶を頂いた。彼は、御仏前と書かれているのし袋を差し出し、仏壇で合掌した。
書斎に入ると、年代別の芥川賞作品の単行本群、その他、いろいろな同人誌や文学作品集、単行本、文庫本、文芸雑誌、著名な作家の個人全集などが多量に整然と天井まで部屋いっぱい所蔵されており、その物量の凄さに圧倒された。
純三があっけにとられ、ただ見てると奥さんが、
「うちの人、本を買うのが楽しみで、いつの間にかこんなに増えちゃって。どれでもお好きなのを持って行って下さい」
「はい、ありがとうございます」
純三は、そう言いながら本の壁を見続け、品定めをしている。
「古本屋さんに声をかけたんですけど、そんなに高価な本はなさそうだし、お知り合いにもらって頂けたら、うちの人も喜ぶだろうなって思って。私は本の趣味はないから読まないし。これ、純三さんから頂いた本ですよね。良かったらお持ち下さい」
奥さんの声につられ、純三が視線を移すとテーブルの上には純三の同人誌が置いてあった。そしてその側には成田さんが発行した、数冊の本が並べられていた。
「それにうちの人が出した本も記念にお持ち下さい」
「成田さんの本は、発行した時に頂いていますから、良いですよ」
「そんなこと言わないで、これ見て下さい」
奥さんが部屋の隅の布をめくると、平積みになった一辺が一メートルを超す長さの本の塊が現れた。全て成田さんの著書だ。
「おっ――」
純三が次の言葉を探していると、奥さんが、
「うちの人、本を作るのも好きで、それぞれはそんなに部数も多くないんですが、ほとんど手元に残るんです」
「そうですか」
「それに買った本は、それでも本としての値打ちが付くんですが、素人の作った本は誰も欲しがらないから、古紙の収集に出すしかないみたいで。――それもなんかねえ」
奥さんは、寂しそうな笑顔を見せる。
「そうですか。ではテーブルの上の成田さんの本も頂いていきます」
純三は、そう言うと自身の同人誌と成田さんの本を持ってきた段ボール箱に入れる。そして遠慮なしに本棚から興味のある本だけを抜き出し、段ボール箱に詰めて、三つ持ってきた箱を満たすと、成田宅を辞した。
帰宅して持ってきた段ボール箱の中から、芥川賞の単行本をとりだしページを開くと、所々に鉛筆で書き込みがしてある。他の本も似たような感じだ。
純三は、成田さんは研究熱心だなと感じ、僕には出来ないなと思った。と同時に、ここまで努力するのは偉いけど、これって必要かしらとも言いたくなった。
というのも、芥川賞受賞者の多くは二十代から三十代で、成田さんや純三など、とうが立った文芸愛好者は相手にされないだろうし、もとより受賞作のような完成度の高い作品は書けないのに、真面目に読むだけ無駄のような気もするのだ。それに純三には、商業文芸誌に掲載されている、名も知らぬ作家の物を読んでも、書く必然性みたいなのが分からないのだ。
まあ純三の感性が鈍いのだろうが、田舎のおっさんが趣味でやってることなので、あえて今どきの文学を理解しようとは思わない。だから芥川賞もほとんど未読だし受賞者名を知りたくもない。
でも希に読んだのが、芥川賞になることもある。西村賢太の「苦役列車」だ。純三は、この作品が図書館の雑誌コーナーにある「新潮」に掲載されているのを見つけて、ちょっと読み始め、またいつものパターンだなと思ったものの、長編だったので、図書館から駅前の書店に電話を入れ在庫確認をして、その足で書店に向かった。芥川賞になった時も、毎度の西村節を長くしただけなのに、なんで受賞したのかピンとこなかった。でもよく読む作家がメジャーな賞になり、僕が好きな作家もたまには、公に評価されることもあるんだなと嬉しくなった。
西村賢太は、あまりにも早く亡くなったように思う。彼は作家として認められ、雑誌の編集者や文化人、芸能人からもてはやされていた。しかし彼の健康まで親身に心配する友人や親族には恵まれなかったから、五十代半ばで、故人となってしまったんじゃないかと思う。とにかくもう少し長生きして、作品を書いて欲しかった。西村は、作家としては成功したが、人間としては幸せだったのかな、などと思いを巡らせる。
純三が好きな作家にもう一人、車谷長吉がいる。彼は「赤目四十八滝心中未遂」で直木賞受賞。彼の「変」という作品で、主人公が芥川賞落選の腹いせに、選者たちの実名を書いた人形を作り、深夜の神社に行き巨木に五寸釘を使い人形を打ち込んだ、とある。よほど憎らしかったのか、迫力がありリアリティ十分だ。だが、これ実際、彼が行ったのかなと最近になり思うようになった。本当の話なら、神社としては迷惑だし、話題にもなるだろう。実際なのかもしれないが、純三は、現場の写真を見たことはない。――要は、小説は面白ければ評価されるので、事実か創作かは問題ではなく、人迷惑にならなきゃ良いんじゃないかと思う。(車谷の場合、裁判沙汰になり、私小説を書かなくなってしまったが)
純三の同人誌を、段ボール箱から取り出し広げてみた。そこには書き損じらしい手紙が挟まれていて、純三作品への感想などが、書かれているような感じだ。
どんな内容かというとーー。
純三君、同人誌をありがとう。だいぶ書き慣れてきた感じだね。ただこの私小説という路線、自分の体験を元にした小説ばかり書いていると、小説の世界が狭いままになってしまう気がする。他の作風にも挑戦して、新しい純三文学を読ませてもらいたい。期待してます。
純三は、成田さんの言うことは、至極真っ当だなと思った。ありがたくも感じた。ただ僕は僕が書きたいように書くだけだと思った。それに純三は私小説のみを書いているつもりはない。事実、同人誌にも全くのフィクションを書いたこともある。
またインターネット上の私小説の解説には、体験したことを、そのまま書いた小説なんてのがあり、純三はアホな勘違いをしている人もいるんだなと、笑ってしまう。
日々の暮らしの感想をネタに、小説仕立ての散文を書いている経験者として言えるのは、事件や事故の調書じゃあるまいに、事実だけを書いて小説にするなんてナンセンスだと思う。体験を元に書くにしたって、隠したい事実があったり、事実をそのまま書くんじゃメリハリがなくて、読んで面白いものにはならないだろうと想像する。
ワインじゃないけど、体験を記憶の中で熟成させて美味しくなった素材にフィクションを加えて、読み応えのある小説に仕上げるのが、小説家の腕の見せ所だと純三は思う。
また、私小説だから駄目というのも、変な話だと感じている。料理に例えると、寿司だからうまいとか蕎麦だから不味いと言っているような気がする。寿司だろうが蕎麦だろうが、うまいもんはうまいし、まずいもんは不味い。
小説も同じで、うまい私小説は面白いし、作者と作品の距離がとれてない体験を書いた文章は、読むに堪えない。
そして、私小説を毛嫌いする風潮が文芸界には漂っているように感じる。まるで私小説がゴキブリのようだ。みんなに嫌われていて何度も駆除され、しかし絶滅せずにどこからかわいてくる。私小説はゴキブリ小説と言っては言い過ぎだろうか。私事を元に小説を書く場合、私小説はもっともシンプルで、とっつきやすいのかもしれない。だから私小説はゴキブリのように目の敵にされても、絶滅には至らないのだ。
改めて成田さんの本を見ると、彼とは一度も会ったことがなく、電話で話したとこもない、メールや手紙等でしか交流してないなと思った。それを思うと、成田さんは亡くなってしまったが、本としていつまでも生きているように感じられた。
そうすると、純三は、僕も長く書いているんだし、一冊くらい本を出してみたい、という欲求が起こってきた。しかし純三が今まで書いてきた作品をまとめるだけでは物足りない気もしたし、「推薦作になりたい」というタガが外れてからは、もっと自由な発想で面白い作品が書けるような気がしているのだ。若い頃は、うまく書きたいという気持ちが勝り焦るばかりで、余裕はなかった。現在では、下手なんだし適当に好きに書いていれば良いんだと思い、自由な発想がわいてくる感じだ。
だが自由な発想といっても、自己満足だけに留まることなく、公表することを忘れてはならないと思った。自分の楽しみと客観的な評価を、出来るだけ高い位置で結びつけるのが、面白いのだと思う。
ある日、純三は、連れ合いの一恵に向かい、こう言った。
「俺も一冊くらい、自分の本を出してみたいんだけど、どうかな」
「ええっ、また私のこと、あることないこと書くのかな。知らない人が読むと、本当の私がそうなんだと思われちゃう気がするんだよね。まあそこら辺を勘違いされなきゃ、私は何も言わない。私、純ちゃんの小説では、左利きの女の子が主人公の『右手ひだりて』がいちばん好きだな。本出すならあれ入れなよ」
「つまんねェこと言うなよ! 」
「えっーー」
一恵は、予想しない言葉に純三をまじまじ見る。
「いいか、純三文学ってのは、筆者のひねくれて屈折している性格をデフォルメして、面白おかしく書いているのに、読者が惹かれているんだ。本を出したいと言われたら、素直に良いんじゃないの、なんて答えるのは、ほのぼのとした感じがして、そういうのは心温かい善男善女のに、書いてもらえば良いのだ。純三の世界はな、エスプリかな。エスプリ風味を味付けしたいんだ。まあ芸術的感性が乏しい人に理解は難しいかもな」
純三は、相手が一恵なので好き勝手に言う。
「乏しくて悪かったわねえ。でもエスプリって何よ。エスプレッソみたいなコーヒーの種類なのかな」
「――そうだ。エスプリはエスプレッソの隣に住んでんだ。仲良くしなきゃいけない」
純三自身、何を言っているのか分からなくなってきた。
「本を作るのは良いけどさ、たくさんはいらないわよ。どうせ作ってみてもと言うと悪いけどーー、ねっ」
「それはそうだ」
「でね、ちょっと聞きたいんだけど、純ちゃんの小説の読者って誰なの。本を作ったら、同人誌の仲間が義理でもらってくれるだろうけど、あとは誰かもらってくれる方はいるのかな。成田さんって人は亡くなったんでしょう。――まじめに教えて欲しい」
そう言う一恵は、純三をまっすぐ見る。
純三は、軽く唇をかみながら、やがて自身の顔面を指さした。
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