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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

生気を奪う死神だと婚約破棄された薄幸系令嬢のハッピーエンド

「リディア・マドレッティ・リュシフォダーチ! この場をもって貴様との婚約を破棄し、新たにフレデマインを私の婚約者とする!!」


 ハワーウィッドバーグ王国の第二王子ミハイルの生誕祭真っ只中、彼は自身の婚約者であるリディアを突き飛ばし、そう言い渡した。

 リディアは一瞬自分の身に何が起きたのか、何を言われたのか分からなかった。立ち上がることができず困惑した様子で、壇上のミハイルと彼の隣に立つ義妹フレデマインを交互に見上げる。


「王妃教育を放棄し、夜な夜な街へ男を漁りに行くなど口にするのも恥ずかしい不埒な振るまい、栄えある我が王国の王妃に相応しくない!! 気品がないのはその顔だけかと思っていたが、まさか心も穢れているとはな」

「だ、男性の方を漁るだなんて、そのようなこと私は――」

「黙れ!! 貴様が毎日のように夜の街を歩いては朝に帰ると確かな目撃情報もある。なぁ? フレデマイン」

「はい、ミハイル殿下。わたくし、お姉様が毎晩屋敷を抜け出しては朝にお酒の匂いを漂わせて帰ってくるのを見ていましたわ。屋敷の使用人たちも知っております」

「そっそれは……!」

「なんてふしだらな! だが、まぁ腐りきっても貴様も女。王子の私に相手にされず、傷ついた心を癒すため男を欲する気持ちは理解してやらなくもない。が、まるで生気を奪う"死神"みたいな顔の貴様()を誰も抱きたいとは思わないぞ」


 ミハイルの言葉に会場内から失笑の声が耳に届く。

「抱きたくない」と公然の場で蔑視されたリディアは、羞恥のあまり俯くことしかできず、ドレスの裾をギュッと握る細く白い手は震えていた。


 生気を奪う"死神"リディア。それが社交界で呼ばれる私のあだ名だった。

 色素の薄い銀髪にバーガンディ色の三白眼、乾いた唇、線が細く痩せ細った体のリディアは「見ているだけで生気が奪われる」と家族や使用人たちから蔑まれ、見た目全体の薄さは亡霊のごとく、鋭い三白眼は目があった者からすれば恐怖に怯え、付けられた"死神"のあだ名で揶揄され続けられていた。


「殿下であるミハイルだけじゃ飽きたらず他の男まで漁るようなこと、お姉様の妹……いいえ、名門リュシフォダーチ伯爵家一同恥ずかしい限りですわ。本当ならミハイルの誕生日を盛大に祝うこのような席で、姉の愚行を公にしなければいけないなんて……っ!」


 フレデマインはミハイルの胸に顔を埋めた。波打つ金髪は綺麗に手入れされていて、深紅の大きな瞳は潤んでいるものの涙は流れていなかった。


(……フレデマイン、どうして?)


 戸惑いを隠せないリディアだったが、フレデマインと目が合った瞬間、彼女の口元が深く弧を描いた。

 勝ち誇ったように、それはもう悪女のごとく。

 まるで「残念なお姉様。王妃の座はわたくしのもの。お前みたいなのが、可愛いわたくしに勝てるはずがないじゃない」とドス黒い感情むき出しの、歪みきった笑みを浮かべている。


「あぁ私を思って泣いてくれるのか、フレデマイン。ほら、せっかく綺麗に着飾っているというのに、可愛い顔が台無しだぞ?」

「……ミハイル殿下ぁ」

「よいかリディア。私の婚約者は、つまりは王妃だ。王妃は国の母なる存在。国民(みな)を不幸にする死神が国母になれば王国の将来はどうなる? 希望と光ではなく不幸と不安をもたらす貴様よりも、聖女のように慎ましく愛らしいフレデマインが王妃となれば、この国は未来永劫繁栄するに違いない!」


 よって婚約破棄は妥当だと言うミハイルの言葉に納得がいった貴族たちが拍手を送り始めた。

 次第に大きくなる拍手にミハイルは鼻高々に満足げだ。

 ミハイルの婚約を讃えるコールが響く中、呆然としていたリディアにも限界があった。

 リディアは震える手に力を込め、小さく息を吸い込んだ。そして――。


「……そっ、その婚約破棄、承りましたっ!!」

「っ!?」

「お、お姉様?」


 聞いたことのないリディアの大声にミハイルとフレデマイン、そして周囲が驚いた。

 今まで出したことのない声量だったせいかリディアの細い肩が呼吸にあわせて上下に動いている。


「きゅ、急に声を荒らげるな! ビックリするだろう!?」

「驚いたわ、もう。お姉様ったらそんなはしたなく大声を出さないでちょうだい。みっともな――」

「よく言ったね、リディア。上出来だ」


 ポンッと優しく肩に手を置かれ、リディアは張りつめた体から緊張が抜けていくのを感じた。

 肩越しに顔を上げれば、見知った漆黒の鎧。


「……黒騎士様。ど、どうして」

「なっ……、お前は王国騎士団の筆頭、黒騎士ギルバート! なぜお前がその女を庇う!? は、そうか。お前も誑かされた男の一人なのだな! 騎士道に反する不敬きわまり――」

「馬鹿馬鹿しい」

「ば、ばばば馬鹿だと!? たかが騎士の分際で誰に言っている! 王族への侮辱罪だぞ!!」


 黒騎士ことギルバートの言葉にミハイルは頭に血が上り、顔を真っ赤にして声を荒らげた。

 そんな彼を目の前にしてもギルバートは動じなかった。


「馬鹿に馬鹿と言って何が悪い。それで? 僕がリディアに誑かされたと、第二王子殿下自らそれを見たのか? 妄想するのは勝手だが、殿下ともあろう上に立つ者の頭の中がお花畑なのは国民に示しがつかないどころか、周囲各国からも笑われる」

「なっ、なな……っなんだと!」

「妄言をさも当たり前のようにぬかしてしまう殿下に、それこそ王国の将来が不安しかないのだが?」

「きっさまぁ……っ! おい! そこの近衛騎士、今すぐその男を捕まえろ! 牢にぶち込めぇぇえ!!」


 ミハイルは近くに控える近衛騎士たちに指示するが、彼らは王子からの命令にたじろぐも誰も動こうとしなかった。


「何をしている! 第二王子である私の言うことが聞けないのか?! 捕まえろと言っているっっ!!」

「だそうだ。お前たち、王子の命令に背けば首が飛ぶぞ?」


 ギルバートの「首が飛ぶ」という言葉に反応する騎士たちだが、それでも動けないのには理由があった。


「束になってかかってきても構わない――、僕に勝てる者がいればね」


 ギルバートが笑った気がした。

 瞬間、辺りの空気がゾワッと震えるのをその場全員が感じとる。

 近衛騎士たちが誰一人動けないのは、黒騎士ギルバートがこの国で歴代史上最強だとその身で知っているからだ。

 どんぐりのような丸々とした寸胴の二頭身を纏う漆黒の鎧、身の丈に似合わない大剣を振るう姿は鬼神のごとく。

 勝てないのだ誰も――黒騎士のオーラが、気迫が、挑む前から戦意を喪失させてしまい戦慄してしまうのだ。ゆえに騎士団からは英雄と讃えられる一方で、畏怖され誰も近づけない。


「さ、リディア。手を。立ち上がれるかい?」

「はい、もう震えてはいません。ありがとうございます、黒騎士様」


 リディアはギルバートの手を取り、しっかりと地に足をつけることができた。


「でも、なぜこちらに?」

「もちろん君を助けるためさ。あとは、あわよくばそのまま婚約を申し込めるかなと」

「こ、こっここ婚約!?」

「ははっ。顔が真っ赤だ」


 仲睦まじそうな二人が面白くないのか、今度はフレデマインが口を開く。


「黒騎士様っ! あなたも殿下のお言葉を聞いていらしたなら分かるはずだわ。お姉様は街の男たちを漁っては――」

「リディアにそんな勇気はないよ。婚約の言葉ですら真っ赤になる初な淑女だからね。むしろ男を漁り金品をねだっているのは君では? フレデマイン嬢」

「な、はぁ……!? わたくしにはミハイル殿下というご立派な殿方がいますのになぜその様なことを?」

「それは、ろくに王妃教育を受けさせてくれないリディアから婚約者の第二王子を(たら)し込み奪った後からだろうに。その前までも色んな男の影、いや今もか」

「ぁ、あんまりですわ! 黒騎士様、確かにわたくしは美しいから世の男が黙ってないのだろうけれど、今はミハイル殿下一筋。そうやってわたくしを苛めて気を惹こうとしても――」

「君にまったく興味はないし、気もない」


 スパッと断られたことにフレデマインは口元をひくひくさせている。まさか自分が断られるなんて思ってもなかったのだろう。


「おい、先程から失言が多いぞ黒騎士。私の妻になる未来の王妃に向かってなんてことを! 謝罪しろ今すぐだ!」


 ミハイルがギルバートに向かって指をさす。人に指をさす行為がいかに失礼にあたるか、この王子に分かるはずもない。


「……黒騎士様」

「ん?」

「手を、このまま握っていていただけますか? その……勇気が欲しいのです」


 リディアがギルバートをまっすぐ見据え、繋いだままの手をキュッと力を込めた。

 まだ少し震えている私の手を、ギルバート様の手が優しくそして力づけるように握り返してくれた。鎧で冷たいはずなのに、温かくて落ち着く。

 そして、リディアは本当は怖いはずのミハイルとフレデマインに正面から向き合った。


「ミハイル殿下、フレデマイン。私が夜、街に出向くのは決して男性の方を漁るためじゃありません」

「はっ! 今さら言い訳か、見苦しい――」

「見苦しいのは貴様のほうだ、ミハイル」

「ち、ちっ父上!!?」


 突然現れた国王陛下に会場の皆が頭を下げた。ミハイルとフレデマインは頭すら下げようとしていない。

 国王はギルバートに視線を向け、まるでなにか指示するように小さく頷いた。

 一方のミハイルは、「なぜ、今は遠方へ視察に行っているはずで……」とブツブツ呟いている。


「リディア、続けて」

「ぇ、あっ、はい。私は幼い頃からずっとこの見た目で周りの人たちから蔑まれていました。それはお母様が亡くなった後、お父様が後妻とその娘を迎えてからもっと酷いものへと変わりました。いつの日からか、義理の妹フレデマインから"死神"と揶揄されはじめ、次第に一日一食の黴が生えた小さなパン、湯浴みも許されない、屋根裏部屋で毛布一枚。そんな虐げられる毎日は……まるで地獄のようで、とても辛く耐えがたいものでした。死にたいとさえ思うほどに」


 今までの自分の境遇を、震える口で話すリディアを皆静かに聞いている。


(そう、死にたいと思った。毎日毎日、屋根裏部屋で呪いのように死にたいと何度呟いては願ったでしょう)


「でも、死ねば私を見下す家族に負けた気がして、それが堪らず悔しく、それならいっそ家を出て一人で暮らしていこうと決心しました。お父様がしがみつく爵位に興味もなければ、お義母様やフレデマインのように高価な宝石やドレスを毎日買わなければ気がすまない強欲な物欲もありません。なので、当分を暮らせるお金を稼ぐため、夜、城下町の酒場で皿洗いのお仕事をさせていただいておりました」


 そしてあの日――リディアは酒場で黒騎士のギルバートと出会った。




「君みたいな淑女(レディ)がこんな酒場で働いているなんて、なにか深い事情がありそうだ」


 積み上げられたお皿や木製コップを洗っては拭いて、また洗っては拭いてをこなしていた時、黒騎士様が声をかけてくださったのです。


「ぇ……えっと」

「僕も手伝おう」

「え!? そ、そんな騎士様にそのようなこと!」

「いいからいいから。それに自分で食べたものは自分で洗ったほうが、気持ちよく帰れるだろう?」


 そのままリディアの隣で皿を洗い出した黒騎士に、鎧は錆びないのかしらと、ぽかーんとしていたリディアだったが、手が止まっていることを思いだし皿洗いを続行する。


「何人かの騎士様もそう言って自ら洗って帰られます」

「騎士だからね――さてお嬢さん。僕の名前はギルバート。ギルバート・クロヴィス・フォン・ダレンズウィージャー。君の名前を聞いても?」


 パッパッと鎧についた水を軽く払いながら黒騎士こと、ギルバートが尋ねた。

 リディアは一瞬答えるのを躊躇う様子を見せたが、スカートを軽く持ち上げ頭を下げた。


「……リディア・マドレッティ・リュシフォダーチと申します」

「リュシフォダーチ伯爵のご令嬢だね。リディアということは第二王子ミハイル殿下の婚約者」

「っ!?」

「失礼、踏み込まれたくないことだったかな」

「い、いえ……」

「どうだろう? 僕でよかったら話を聞こう」


 まるで私が悩んでいるのを知っていたかのように、ギルバート様が救いの手を差しのべてくださった。

 私は自身のこと、酒場で働かせていただいている理由を話しました。

 深く追求せず、けれど親身に聞いてくださるギルバート様はとてもお優しい騎士様で、不思議と打ち解けられた。


 そうして酒場が王国騎士団御用達の店だったことや、ギルバート様のご厚意でまかないが豪華になったり、彼が実はとんでもないご子息だと知った時は気を失いかけましたが、大きなお屋敷で朝ごはんをご馳走になったり、メイドさんが今の流行を教えてくれたり……。私にとってそれは宝石のような、充実した日々でした。

 ……そう。例え、夜に出掛け朝に帰る私を不審に思ったフレデマインに稼いだお金すべてを奪われても。


「あらお姉様、どこで貰ってきたのこんなお金(もの)。わたくしに寄越しなさい!」

「あ……っ! フ、フレデマイン。返してっ」

「うるさいわね死神の分際で、わたくしに指図しないで!」


 リディアは貰った給金袋をフレデマインに盗られ、力強く突き飛ばされてしまった。


「なぁに、たったこれっぽっち? 欲しかったアクセサリーの足しにもならないけど、まあいいわ」

「…………か、えして」

「なんて喋ってるのか、わたくし聞こえませんわぁ。そうねぇ、男と遊んだお金って言いふらされたくなかったら……この倍は稼いでくることね」


 高笑いしながら屋敷に戻るフレデマインの後ろ姿を私は黙って見てるだけの臆病者です。

 それでも、絶対に屈したくはありませんでした。




 フレデマインにとって私の行動はとても好都合なものだったのでしょう。自分の男たらしを私に置き換えて噂を流せば、いずれミハイル殿下の耳にも入り、私から第二王子の婚約者という座を奪うことができる。


「頂いたお給金すべてを奪われ、男と遊んだお金だと言いふらされたくなければと、私がそれをどこで稼いだなんて知らないフレデマインが勝手に決めつけ、あげくには脅してきたのです」

「ぜ、全部お姉様のでたらめよ! わたくしそんなことしておりませんわっ! お姉様、国王陛下がいらっしゃる前で被害妄想を語るなんて、ほんっとうに恥ずかしいおんな――ひっ!」


 声を荒らげたフレデマインの喉元に剣先が突きつけられた。それはギルバートのもので、フレデマインはみっともなく腰を抜かしてしまう。


「リディアが勇気を出して事の真相を話そうとしているのに、そのけばけばしい紅を引いた口を閉じろ」

「フレデマイン! 黒騎士ぃっ、刃を納めろ!!」

「よい、余が許す。そのままにしておけ」

「そ、そんな父上!! なぜです?! こいつは今王妃になるフレデマインに剣を向けているのですよ!?」

「リディアよ、話を折ってすまない。続けてくれ」


 国王陛下と目が合い、思わず萎縮してしまいそうになったが、身の潔白ができるのは今しかないと再びリディアは口を開いた。


「ですので、私を夜な夜な街で見かけた、男を漁っているという証言は義妹(いもうと)フレデマインがでっち上げた真っ赤な嘘です」

「黙れ! 黙ってなさいよ! 嘘じゃありません陛下! わたくしの言葉が真実です!!」

「この件については僕を含めた王国騎士団総員に聞いてくれていい。リディアが皿洗いだけでなく給仕や閉店後の掃除までしてくれていたから、必ず誰かが彼女を見ている。そうだな、今ここに呼んで証言させみようか。あぁ、それか――」


 チャキッとギルバートが刃の向きを変えた。


「君が夜の相手をしていた男たち全員にもう一度会ってみるかい? 数名の男が君に贈った金品を返してほしいと言ってきているから好都合だ」

「なんですって? 向こうが勝手にわたくしに贈ってきたモノを今さら返せだなんて、いちいち見返りを求めるような未練がましい男は捨てられて当然ですわ」

「金品を受け取ったことは認めると」

「ぁ……!」

「さて、"男たらしのリディア"はどちらか? 被害を訴える彼らに聞けばどちらを指差すだろうか」

「っ!?」


 ボロが出た。

 そして本当に男たちを呼ばれては困るのか、フレデマインが押し黙る。顔を青ざめ、逃げ切るためにだんまりを決め込むつもりだろう。

 スッとギルバートが扉を見る。


「証人をここへ」


 近衛騎士がギルバートの指示で扉を開けた。

 ザワッと視線がそちらに集中する。


「わざわざ来てくれて感謝する――スコルワート男爵」


 現れたのは栗色の髪を束ね、細い瞳の整った顔立ちをした綺麗な青年だった。

 見覚えがあるのかフレデマインは顔を隠すように俯いた。


「単刀直入に聞きたい。君が金品を渡したというご令嬢、リディアは誰?」

「彼女だ。忘れもしないその美しい金色の髪!」


 スコルワートが指差したのはリディアではなく、フレデマインだった。


「この女で間違いないね?」

「はい! 君は俺にリュシフォダーチ伯爵家に婿養子に入れば、美しくて可愛い妻ができて自慢できるおまけに伯爵を名乗れると言った。婚約の証としてピンクサファイアの大きな指輪をねだってきたから、俺は未来の投資だと借金までして贈ったのに!! それなのに君は両親顔合わせには来ず、他の男と夜の街を歩いていたじゃないか!! リディア――いや、フレデマイン。君の本当の名前を聞いたよ。なぁ、最初から俺を騙したのなら詐欺師じゃないか!!」

「……っ!」


 フレデマインの肩がカタカタと震えだした。

 この場をやり過ごす言い訳が出てこず、血が滲む下唇を何度も噛むことで黙るしかない。

 ギルバートの剣がフレデマインの顎に添えられ、クイッと上に向けられてしまえば、嫌でもスコルワートと目が合ってしまう。


「今までの威勢みたく、ほら、彼にちゃんと答えてあげないと」

「ぃ……やよ。騙されたお前が悪いのでしょう! それに、わたくしと婚約したという証拠はある?! あるわけないわよねぇ!!」


 この期に及んで、悪いのは騙された方だと言う彼女にスコルワート男爵の顔に怒りが滲んだ。

 それはリディアも同じで、義妹の往生際の悪さは堪えられるものではなかった。


「婚約誓書は確かに書いた。君に渡したままになっているが、きっと捨てたんだろう。けど、君に贈るための指輪を二人で選んだ時、購入理由を書き記したのを覚えていないか。購入理由は婚約指輪と俺は書いた」

「…………な、なんですって?」

「それは俺と君が婚約していた証になると、黒騎士様が仰ってくれたよ」

「そっそんなの無効よ!!」

「……フレデマイン。夜会や夜の街で男性を漁っていたのは貴女です。貴族のご子息やお金持ちたちから宝石やドレスをねだっては捨てての繰り返し。話が違うじゃないかと、彼、スコルワート男爵のような方々がいったい何人屋敷に押し掛けたと思っているの? 朝帰りする度に違う匂いがする貴女に吐き気がすると嫌気を差した使用人たちが次々と辞めていく始末。自分で犯したことを私のせいにして嘘を言いふらす……恥を知りなさい」


 次々と公になるフレデマインの本性に、今までリディアを蔑んでいた皆の視線がミハイルとフレデマインに向けられる。

 誰も二人を擁護する声などない。


「ありがとう、スコルワート男爵。君のおかげで本物のリディアが男たらしではないことが証明された。借金の件に関してはすぐに返すよう公爵家()が力を尽くそう」

「ありがとう、ございます……っ!」


スコルワート男爵はギルバートと国王陛下そしてリディアそれぞれに頭を下げて会場を出ていった。


「どっ、どういうことだ……フレデマイン。私の他に男がいたのか!? 真実の愛を深め確かめ合ったこの私をずっと騙していたのか!?」

「ち、違うわっ! 信じてミハイル! わたくしはあなたを愛してる、本当よ。あんな低俗の男爵や死神の言葉に惑わされないでっ!」

「ならばさっきの男はなんだというのだ!」

「きっとあの死神が汚い手を使って用意したのよ、わたくしを苛めるために!」


 もうここまでくると滑稽だった。

 あまりにも惨めで目も当てられないのか、剣を納めたギルバートがリディアの傍に歩み寄る。


「それにしても、あんなにスラスラ言えるなんて。すっきりしたようだね」

「黒騎士様……はい。あんなにも言葉が止まらなくなったのは初めてで、ずっと溜め込んでいたものを吐き出せました。それもすべて黒騎士様のおかげです。ありがとうございます」


 リディアはギルバートに深く頭を下げた。

 ギルバートがいなければ決して成し得なかったことだ。裏のルートを使ってフレデマインが遊んでいた子息全員を見つけることだって、彼じゃなきゃ無理だったし、騎士団の方々が味方についてくれるのだってそう。

 そして、ギルバート様と出会わなければ私は今も鳥籠の中にいて、フレデマインのいいように飼われていたでしょう。


「頭を上げて、リディア。僕はほんの少し助けただけ。勇気を出したのは君自信さ」

「ほんの少しだなんて! 黒騎士様がいなければ私はきっと何もできず、言われるがままでした……。あぁなんてお礼をすれば、むしろこのご恩をどう返していけばよろしいのでしょうか」


 憑き物が取れたかのように、少しだが表情が豊かになったリディアをギルバートは愛おしげに見つめた。

 じゃあその恩は僕の奥さんになるってことでどう? なんて言ったら一体君はどんな反応をするだろうか。


「第二王子ミハイル、ならびにフレデマイン・アン・リュシフォダーチ」


 国王に名を呼ばれ、言い争っていたミハイルとフレデマインの体がビクッと跳ね上がった。


「すでに、黒騎士(優秀な者)によってすべて裏がとれておる。よってフレデマインの嘘は明白。沙汰が下るまで城の地下で謹慎の身とし、ミハイル、王家廃嫡を覚悟しておけ」

「そっ、そんな! お待ちください父上、私はこの愚かな女フレデマインに騙されたのですっ、私は悪くない!!」

「黙れ愚か者。余に黙って独断で婚約破棄し、公衆の面前で罪なきリディアに対する侮辱、許すつもりはない」

「あんまりです父上! 私が廃嫡になれば誰がこの国を導くというのです!? 第一王子は使えぬ病弱、第三王子はまだ幼い。どうかもう一度考え直してください、私は貴方の息子ですよ?! 温情というものが……っ!」


 息子()()()男の無様な姿を国王はなにも言わず、見放すように呆れと蔑みの目を向けるだけだった。


「ちち、うえ? なぜ何も言わないのですか……」

「……んぶ。全部、全部お姉様(お前)が悪いんじゃない!! 誰からも愛されない可哀想な死神のくせにぃっ!!」

「!?」


 気が狂ったように、鬼の形相でリディアに掴みかかろうとしたフレデマインだったが、糸も容易くギルバートによって阻まれその場で押さえつけられる。


「離しなさいよ! 離せっ! わたくしの思うがまま上手くいっていたのになんで……っなんでよなんでよぉ!!」

「……フレデマイン」


 じたばたと暴れるフレデマインの姿をリディアは見つめることしかできない。リディアが何をしたって義妹(彼女)の逆鱗に触れてしまうのだから。


「身から出た錆だよ、何も悪くないリディアのせいにするな。そうだ、陛下」

「なんだ?」

「この女、今ここで殺していいでしょうか?」

「く、黒騎士様!?」


 ギルバートの発言にギョッとしたが、同時に彼の本職を思いだす。


(そ、そうでした! 丸々とした黒騎士様の姿に見慣れていたので忘れていましたが、ギルバート様は貴族の裏社会のトップ、ダレンズウィージャー公爵様なのよね)


「こっ……! い、嫌よ、嫌っ、殺さないで!! お姉様わたくしを助けなさい! 家族でしょう!? このわたくしを見殺しにするの?!」


 この期に及んで()()だと助けを求めてくるフレデマインに、リディアは視線を落とし顔を背けることで答えを出した。


 仮にも家族だった義妹を見捨てるなんて、私は本当に死神なのかもしれません。


「可愛い(わたくし)を見捨てるっていうの? この人でなし! しにが……かはっ!!」


 数々の暴言をリディアに放つフレデマインに怒りが爆発したギルバートが彼女を押さえ込む足に力を込めた。

 胸を圧迫されたフレデマインが咳き込み、ヒューヒューと息が浅くなっていく。


「止めておけギルバート。いずれその時が来たらお前に頼む」

「御意。ではそれまで僕は大人しくしておきましょう」

「すでに大人しく、ではないだろうに。珍しいな、お前が()()姿()に戻るのは」


 国王の言葉の意味が分からず、皆ギルバートに目をやった。

 フレデマインを押さえていたギルバートは確かに鎧姿だったはずだが、今はなぜか見目麗しい美青年に変わっていた。

 深い瑠璃のような紺色の髪はさらさらで、澄んだトルコグリーンの宝石を嵌め込んだ少し切れ長い瞳、長い手足と恵まれたスタイルはまるで王子様のよう。

 そう、これが黒騎士の()()()姿()だった。

 普段の丸っこい二頭身の黒騎士の姿は、膨大すぎる魔力を最小限に抑えるため魔術師に相談し訓練を積んだところ、なぜかその姿に収まってしまったらしい。

 

 ギルバート・クロヴィス・フォン・ダレンズウィージャー。普段は王国騎士団筆頭の黒騎士として活動しているが、本当の姿は貴族界の裏社会を牛耳るトップ、ダレンズウィージャー公爵家の当主である。

 殺しはその時によってまたは国王に命ぜられた時のみとし、主な仕事は汚い貴族相手の借金取り立て(物理)だが、騎士団の仕事がほぼメインだ。


「まぁっ、あの方が先ほどの丸々とされた黒騎士様なの? なんて美しい殿方なのかしらぁ」

「ええ。とっても端麗な青年ですわ! 鎧の姿の時とは随分と違いますのね」

「黒騎士様はまだ婚約者がいらっしゃらなかったのでは? ぜひ娘を嫁にしていただきたいものだ」


 途端、会場にいた貴族令嬢たちが色めきだし、令嬢()を持つ父親たちは娘を嫁にしようと騒ぎだした。

 その様子にリディアは胸がちくちくと小さな痛みを感じた。


(……そうですよね。本当のお姿の黒騎士様はとても美しい方だもの。私なんかが……)


 胸に手を当てても痛みは続き、それが"嫉妬"という感情だとは、恋を知らないリディアは気づかない。

 だが、そんな嫉妬(痛み)もリディア自身に向けられたギルバートの優しい眼差しで簡単に消える。


「リディア、見惚れてくれていた? なら僕はとても嬉しいのだけれど」

「! ……み、見惚れではなく、見慣れていないだけ、です」

「残念。いつもは魔力を抑えるためにあの丸っこい黒騎士に扮しているからね。そうだな。ねぇ……リディア、黒騎士の僕と今の本当の僕どっちが好き?」

「っ!?」


 踏んづけていたフレデマインを近衛騎士に任せ、ギルバートはリディアの銀髪を一房掬いとり口づけた。

 すると、色白なリディアの頬がリンゴのように真っ赤に染まり、耳たぶまで赤くして、口をパクパクさせている。


(な、ななななんですか、そのズルい質問は! そんなの、そんなの!)


「丸っこい黒騎士様も、今の黒騎士様も、どちらもギルバート様ですもの。もちろん両方に決まっています!!」

「あははっ! そうか、どっちの僕も好きか。僕も同じ、伯爵令嬢のリディアも酒場で働くリディアも、どんな君も――愛している」

「……ギ、ルバート様」


 二人の様子を窺っていた国王が咳払いを一つ、そして高らかに宣言する。


「リディア・マドレッティ・リュシフォダーチ伯爵令嬢とミハイル・ダイアン・リ・ハワーウィッドバーグ第二王子との婚約を破棄し、ここに新たに、リディア嬢を黒騎士ギルバート・クロヴィス・フォン・ダレンズウィージャー公爵の婚約者ならび妻とする!!」

「!?」

「僕が先にプロポーズするはずだったのにな」

「!!?」


 会場から響くような拍手が鳴り始め、次第に大きくなる。

 国王に文句を言うギルバートの横でいまだ状況が飲み込めないリディアは挙動不審な動きをしていた。

 そんな彼女の小さな左手をとり、ギルバートがさながら騎士のように片膝をつく。

 その優雅さと、まっすぐ自分を見つめるギルバートの澄んだトルコグリーンの瞳に思わずリディアの心がときめく。


「愛おしいリディア、僕と結婚してほしい」


 飾ることのないシンプルなギルバートのプロポーズ。

 嬉しくてリディアの瞳に水の膜が張る。

 生気を奪う死神と蔑視されるこんな私でいいのでしょうか、という考えが浮かばなかったわけではありません。けれど今は私の気持ちに素直に。だって答えはもう決まっているのですから。


「はいっ! 私をあなたのお嫁さんにしてください!!」

「あぁリディア、ありがとう! どうしようすごく嬉しい!」

「きゃっ」


 リディアの腰を持ち上げ、まるで子供を抱き上げるようにギルバートがくるくるとその場で回る。

 幸せそうに笑いあう二人に、さっきまでの会場内の殺伐とした空気は消え、暖かい日差しがまるで婚約を祝福するかのように差し込んだ。




 こうしてリディアとギルバートは婚約し、半年後に国をあげて結婚式を挙げた。


「ギルバート様」

「ん?」

「私にたくさんの愛と幸せを与えてくれてありがとうございます。私、本当に幸せです。だから、私も貴方に愛を贈りたくて。……心から愛しています、ギルバート」


 愛おしい日々をくれるギルバートに感謝を伝えたいリディアは、彼の頬にチュッと軽くキスを落とした。

 驚きのあまり目を見張る彼に微笑んでしまう。

 綺麗なトルコグリーンの瞳がこぼれ落ちるのではと思うくらい、その目に私を映してキョトンとしている。やがて頬から耳たぶにそって朱に染まる。


「っ!? まったく君という人は……」

「ふふっ。いつもとは逆でしょう? た、たまには私からも、その……上手くはできないけれ幸せを伝えたくて」

「ありがとう、ちゃんとリディアからの可愛らしい愛は伝わった。僕も幸せ者だな」

「はい、私もギルバート様も幸せ者です!」


 死神と呼ばれた薄幸令嬢リディアと、最強の黒騎士ギルバート。後に二人は子宝にも恵まれ、死が二人を分かつまでそれはもう幸せに暮らしました。



 ちなみにその後、第二王子ミハイルは王位継承ならびに廃嫡となり、人手が足らない鉱山に送られ働き始めるも王宮で贅沢三昧していた彼にとって過酷な環境だったのだろう。わずか数ヵ月で病に倒れ、寝たきりが続いているためかなり衰弱しているそうだ。


 リディアの実家リュシフォダーチ伯爵家も爵位剥奪、伯爵とその後妻はリディアへの虐待や金品詐取等で終身牢獄の刑、そしてフレデマインは――ギルバートの手によって内密に処刑された。

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