考え込む少女と既視感
男が部屋に入ると、どこからともなく現れていた少女に目を奪われた。
レースがついた淡い色のワンピースを着ている。恐らく12歳くらいだろうか。
ツヤツヤでよく手入れされた黒髪。純粋そうな目。
田舎から出てきたような、実は都会から来ましたとも言い切れないような容姿だった。
床に倒れていた少女は起き上がり、辺りをきょろきょろと確認してから驚きの声を漏らす。
「えっ...あ...え...」
私の存在に気付いたのか、小動物のようにビクッと跳ね、咄嗟に口を塞ぐ。
どうやら、かなり警戒されているようだ。
しばらくの間、蛇に睨まれた蛙のように緊迫した空気が続いていたが、少女が恐る恐る口を開く。
「こ、ここはどこですか...?わたしはいったい...?」
「ここは私の研究室...おっと自己紹介がまだだった、私はハスト。君は?」
少女は少し考える仕草を取り、か細い声で答える。
「わたしは...ミリィといいます。おとうさんの部屋で本を読んでたら、気付いたらここにいて...」
「ありがとう。ミリィ、まずここは危ない所ではないので安心して欲しい。君の事をもう少し聞きたいのだが、いいかな?」
今度、石像のように固まってしまった少女は、しばらく考えた後にはい、と返事した。
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私の研究室から居住スペースへ移動し、彼女をテーブルの席に座るように促す。
「とりあえず飲み物でも出そうか。コーヒーとお茶、どちらがいいかな?」
「あ、アイスコーヒーで、お願いします」
ミリィは台所でコーヒーを淹れる私をじっと見つめている。何か不思議な事があるのだろうか?
コーヒーに氷を入れ、ミリィに差し出す。
「どうぞ。しばらくは熱いから、少しだけ待ってくれるかな?」
「はい、ありがとうございます」
私も席に着き、会社からの連絡を一通り返した後、端末をテーブルに置いて彼女が話し始めるのを待つ事にした。
コーヒーを一口飲んだ少女は、ゆっくりと話し始める。
「その機械、ずいぶんと古いものを使っているんですね、使っている人は初めて見ました」
「古い?これは最新の端末なんだが...」
溢れ出る違和感。何故だか話が噛み合わない。少女は首を捻って俯いてしまった。
少しの間、髪をいじっていた少女は、突然ハッとして喋り出す。
「もしかしてここ、私の生まれる前の時代...だったりしませんか?前に本で見たことがあるんです」
「...過去に遡る研究、私の研究テーマだったものだな」
「だった?」
私もコーヒーに息を吹きかけつつ一口飲み、思い出すように話し始めた。
「私の妻が5年前に亡くなってね、どうにかしてもう1度妻に会いたいと思っていたんだ。そこで、過去に遡る研究をね」
「ごめんなさい...」
小さくなってしまった少女をなだめつつ、話を続ける。
「いや、いいんだ。もう少しで使えそうなレベルに到達出来そうだったが、研究は取引会社の一声で打ち切り。今はしがない会社員さ」
「あ、あの、何が足りなかったの...でしょうか?」
「そうだな、少し難しい話しになるのだが。過去に遡る...過去の時間軸に自分を送る場合、自らの構成情報を過去の座標、時間軸に送り、その情報を元に自らの再構成を行う、この2つのプロセスが必要になるんだが」
少女は口に指を当てながら考えこんでいる。私は封を切ったように話し続ける。
「過去の時間軸へ情報を送り込めたとして、再構成をする機械が無ければ、『私』のコピーを作る情報は霧散してしまう。だからこそ、私の研究は行き詰まってしまったんだ」
考えこんでいた少女が、今までで一番元気な声で喋り始める。
「じゃ、じゃあ、その機械を作る情報を『その人に知られないように』送れば...?」
私もハッとして、2人の声が合わさる。
「「過去へ遡れる!」」
少女は少し恥ずかしそうに、えへ、と前置きしてからもじもじしつつ口にする。
「本で読んだ内容を、そのまま話しただけなんですけどね」
私は少し食い気味に問いかける。
「その本の内容、覚えている範囲で話してみてくれないか」
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そこから研究が一転して一気に進み、過去へ遡るマシンが試運転の日となった。
会った時よりも少しだけ大人びて魅力的になった少女が口を開く。
「じゃあ、気をつけてください。ハストさん」
「ああ、行ってくる」
私は、恐る恐るマシンの転移ボタンを押した。
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「あいてて...」
「いたた...」
お互いの声を聞いた二人は目を見合わせる。
ミリィが驚きつつも、唇に手を当てて独り言を言い始めた。
「座標のズレ...?それとも空間指定の問題...?」
と、同時にどこからかため息が聞こえてきた。
奇抜な髪の男はやれやれと言った雰囲気で喋りだす。
「はぁ、計器の異常を感知したから来てみれば。高祖父だけじゃなく、母までこちらに来てしまうとは。未来の収束はそう簡単には変えられないという事なのかもしれませんね」
ハストは奇抜な髪の男に問いかける。
「高祖父...ひいひい爺さん?私が?母?未来の収束?あなたは何者だ?」
「この問答も2度目ですね、私はエフ。あなたにとっては玄孫にあたります。そちらの女の子は既に亡くなった私の母です」
ミリィは話に気を止めず、独り言に集中しているようだ。
エフはたんたんと続ける。
「あなたは以前タイムマシンで未来に来て、その際の記憶を消した上で過去に戻したのですが、また未来であるここに来てしまったんですよ。これは予測の域を出ないのですが、恐らく何らかの理由でタイムマシンの開発に再度成功したものの、時間軸の座標指定が甘くこちらに来てしまった...というのが私の見立てです」
ハッとしたミリィ。
「つまり、私があなたの母...で、ハストさんは私のひい爺さま、ということですね。道理で名前に既視感があったわけです」
「はい、そういうことです。どうしてここに戻って来れたかはわかりかねますが、可能性があるとするなら祖父が完成させた過去へ遡るマシンが原因でしょうか」
ミリィがえーと、と前置きしておそるおそる話し始める。
「あなたにとっての祖父...わたしのお父さんか。私があの日、書斎で隠れて本を読んでいたら過去に来てしまったのが始まり...ということ?」
エフは目を瞑って少し考えた後、深くうなずいた。
「そうですね、おかあ...あなたが過去に戻った事によって、未来の時間軸へのタイムマシンを『開発できないはずであった』高祖父にヒントを与えてしまったのでしょうね。その結果がこれです。過去の時間軸へのタイムマシンは調整が非常に厄介でして、僅かな誤差が数十、数百年のズレを生むのです」
会話から外されてしまっていたハストはうんうん唸っていたが、ようやく閃いたようで開口する。
「私は一度、タイムマシンで未来に来たが、あんたにそれらの記憶を消されて過去に戻された。
しかし、未来のひ孫であるミリィが過去へやってきたのが切っ掛けで、私はまたタイムマシンの開発に成功してしまったという事か」
「はい、また未来にやってきてしまったあなたには、何か理由があると考えるのが妥当なのかもしれません」
ハストは立ち上がり、胸に手を当てて答える。
「私は、過去に遡って妻に会いたかった。ただそれだけ、ここに来た理由なぞ些細なことだ」
「あなたを過去に送る事は容易いでしょう。しかし、行ってどうしますか?どう帰る?どう過去に干渉せずに元居た時間軸へ戻る?
まずは、あなたはこの世界の事を知るべきと考えています。手始めに私の仕事を手伝うのはどうでしょうか?」
ミリィも立ち上がり、手を組みながら言葉をひねり出す。
「エフ、私はあなたの考えに賛成です。私がここに来た理由、因果が知りたい。あなたの仕事を手伝うわ」
「わかりました。高祖父さま、あなたはどうしますか?このまま元の時間軸へ戻す事も可能ですが」
―さて、私には2つの道がある。
―エフ、彼の仕事を手伝い、妻に会うか
―このまま元の時間軸に帰り、平凡な日常を送るか
「私は―」
物語が始まるかどうかは、「 」のみぞ知るものである。