お忍び散策
「コモラも一緒なんて聞いてないわよ」
本館の裏口にヴァレーリアの不満そうな声が響く。裏口の前には平民の格好をした私とクィルガー、サモル、そして笑顔のコモラが立っていた。
「食料の買い付けの仕事を頼まれたので、私も行くことになったのです。奥様」
ニコニコと笑いながらコモラが丁寧な口調でヴァレーリアに答える。
「コモラはいざとなったらディアナを抱えて走れるし、護衛の代わりにもなるからな」
「ずるい……」
ヴァレーリアは恨めしそうな顔でクィルガーに文句を言っている。前に旅をしていたメンバーが揃って買い物に行くので仲間外れ感がすごいらしい。
ヴァレーリアの肩の上でパンムーも「パムゥ」と不満げな顔で文句を言っている。万が一街の中ではぐれたら見つけるのが困難なため、パンムーも留守番になったのだ。
「ディアナ様、本当に私もついていかなくていいのでしょうか?」
「大丈夫だよイシュラル。みんな旅慣れてるし、人数が多すぎるのも良くないから」
心配するイシュラルにそう言って、私たちは館の裏口から使用人が使う道を辿ってクィルガー邸の敷地から出た。そこから大通りまで歩いていって乗合馬車に乗るのだ。
「そういう格好のクィルガーさんを見るのは久しぶりですね」
「そうだな。俺も街に出るのは久しぶりだ」
クィルガーの格好のコンセプトは平民の兵士の休日だ。簡素な薄手の上着にズボンにブーツという、どっからどう見ても平民の格好なのだが、鍛えられた体が迫力があるので只者には見えない。
クィルガーに以前のような口調でサモルが話しかけているのを見ると、旅をしていたころを思い出してなんだか嬉しくなる。
「ディアナちゃんも似合ってるよ」
「えへへ。そうですか?」
私はここに来る前に着ていたような長い上着に短いチョッキをぺろっと羽織り、ダボっとしたズボンを履いている。耳は流石に隠さなければいけないのでスカーフで覆っている。
「商業区域は人が多いからな、俺から離れるなよ」
「わかってますよ、お父様」
「ブフッ」
私がクィルガーのことをお父様と呼ぶのを初めて聞いた二人が吹き出した。
「ま、待って……いつの間にそんなことに? グフッ」
「生まれてくる赤ちゃんにちゃんとした言葉遣いを覚えてもらわないといけないので、こう呼ぶことにしたんです」
「それはいいことだねぇ……ンフフフ」
「おまえら笑いすぎだろ」
それから平民用の乗合馬車に乗って商業区域に向かう。私たちは馬車の中で今日行く場所の確認をする。
「まずは布通りへ行って縫製機の工房を訪ねるよ」
「布通りってなんですか?」
「主に布やそれに関連するものを作っている工房が集まっている通りだよ。布職人ギルドに所属している職人たちがいるところだね」
「サモルのお店はそこにはないんですか?」
「商人たちの店は表通り周辺に出すからそこにはないよ」
ちなみにクィルガーの養子になってからすぐに、サモルとコモラを呼び捨てにするように言われたのでここでもそのままだ。さん付けに戻すとまた癖になりそうだからだ。
「あの、私ちょっと布が見たいんですけど」
「どんな布だい?」
「演劇クラブの衣装に使えそうなものと、お母様へのお祝いに赤ちゃん用の布を見たいんです」
実はこっそりヴァレーリアへのプレゼントを買えないか考えていたのだ。今お金を持ってないのでクィルガーから借りることになるけれど、日頃の感謝も込めて贈り物をしたいと思っていた。
「妊娠のお祝いに布を贈るのかい?」
「そういう贈り物は普通しないですか?」
「聞いたことないなぁ。出産祝いには花や食べ物を贈るけど」
こっちの出産祝いはいわゆる消えもののプレゼントが多いんだね。
「赤ちゃんが少し大きくなったら親族にお披露目する会があるって聞いたので、その日に赤ちゃんをくるむ布を贈りたいなと思ったんです」
「お披露目会用の布ってことだね。うん、いいねそれ。ちょっといい生地のものを贈って、その子が大きくなったらその布で服を作るなんてこともできそうだ」
私の提案を聞いてサモルが商人の顔でニヤッと笑う。
「じゃあ縫製機の工房や武器屋を見終わったら俺の店に行こうか。ある程度の布は揃ってるし」
「サモルの店は布を扱ってるんですか?」
「布だけじゃないよ。俺はとりあえず売れそうなものはなんでも取り扱う店にしようと思ってるから」
ほうほう、コンビニみたいな店ってことかな。
しばらくすると馬車は貴族区域から商業区域に入った。
「今日買い物するのは北西街なんですよね?」
「そうだよ。そっちの方が馴染みの店が多いからね」
王都は東西南北に大通りが突き抜けている。その大通りに分けられた四つの街はそれぞれ「北東街」「北西街」「南東街」「南西街」と呼ばれ、行政もそれぞれの地区に分かれて統治されている。
「うちの家は北西街に属してるから、買い物は基本的に北西街にあるお店でする、ってことでいいんですよね?」
私の問いにクィルガーが頷く。
「ああそうだ。大体のものはその街で揃うからな。たまに北西街で買えないものがあると、違う街に行くこともあるが」
毎日の暮らしはその街だけで成り立つようになっているらしい。最近の勉強で知ったことだが、そこそこの街が四つある王都って本当に大きいのだ。十年前までは半分ほど砂で覆われて人口も少なかったようだが、アルスラン様のおかげで街としての機能が復活し、人も増えて大都市になったんだそうだ。
それから乗り換えの場所に着いて馬車を降りる。今度は大通り沿いの道から職人たちのいる街の方に向かう馬車に乗った。
「そういえばこの前習ったんです、市民権のこと。十年前は人口を増やすために市民権は格安だったそうですけど、今は結構高くなってるんですよね? サモルとコモラはよく買えましたね」
「姐さんと旅してる間に貯めたお金もあったし、アリム家での仕事で結構もらえたからね」
「サモルはお店を出す資金が必要だったけど、僕は市民権だけでよかったから貯金で買えたよぉ」
と、サモルとコモラがそれぞれ教えてくれる。
「ディアナ、市民権を買うのに必要な条件は他になにがあるか覚えてるか?」
クィルガーが出した問題に私は腕を組んで答える。
「ええと、確か王都に十ヶ月以上滞在していることと、どこかのギルドに登録することでしたよね。サモルとコモラはどのギルドに入ったんですか?」
「サモルは商業ギルド、コモラは料理人ギルドだ。成人の市民は必ずどこかのギルドに所属しなければならないからな。じゃあここの街の者ではない商人たちはどうやってこの街で商売ができる?」
「うーんと、外から来た商人や一時滞在者には身分証にもなる滞在ビザが発行されて、十ヶ月の間だけこの街で商売することができます」
「正解だ。ちゃんと勉強してるみたいだな」
「ふっふっふん。私、お姉様ですから」
アルタカシークの砂漠の冬は厳しいため、王都への道は冬の間閉ざされる。交易路が開かれるのが大砂嵐の去った三の月の初めで、冬が始まる十の月の終わりに閉鎖されるらしい。商人たちはその間にアルタカシークへ来て商売をして自国に帰っていくんだそうだ。
乗り換えた馬車が布通りへ到着したので降車し、私は三人に囲まれながら通りを歩く。左右には生地屋さんやボタン屋さん、ふとん屋さんやお直しの店など布に関するお店が並んでいた。
「布通りにある店と大通り周辺の商人の店では何が違うんですか?」
「ここにある店では職人が働いていて、その技術を売り物にしてる。商人の店はすでに出来上がった商品を買い付けて店で売ってる。その違いかな」
「技術を売っているか、物を売ってるかの違いってことですか?」
「そういうこと。あ、ほらあそこが縫製機を作ってる店だよ」
サモルの指差す方を見ると、白くてこじんまりした建物の扉にハサミと針をモチーフにした看板がぶら下がっていた。
「ここは元々布関係の金物の修理なんかを扱っていた店だったんだけど、縫製機が発明されてからそっちの開発に力を注ぐようになったらしいよ」
「縫製機はここの職人が発明したんですか?」
「いや、発明したのは南東街の職人だったそうだけど、その人が面白い人でね。普通はなにかを新しく発明した人は『発明料』というものをもらって設計図を売るんだけど、その人は『発明料はいらないから、現物を見て作れるやつは作ってみろ』と自分の縫製機を公開したらしい」
「え……設計図を見せずに、ですか?」
「そう。だから腕のいい職人たちはみんなその現物を見に行って、四苦八苦して自分たちで作ってるんだそうだよ。ここの店の職人もそうやって縫製機を作ったんだって」
「発明した人はなんのためにそんなことしたんでしょうね?」
「さあ、なんでだろうね? 縫製機はこの先確実に売り上げが伸びていく物だから、発明料をもらうだけで暮らしていけるようになるのに」
世の中、変わった人がいるものだ。
サモルが店の扉を開けて中へ入っていくので、私たちもあとを追ってゾロゾロと店の中に入る。
「こんにちは、サモルです」
「ああ、サモルさんこんにちは。前言ってた件だね。奥へどうぞ」
受付の男性がそう言って私たちを建物の奥へと案内する。店の中よりも奥の部屋の方が大きくて広い。そこかしこに木材や工具が置かれていて、各職人が木を切ったり金具を叩いたりしている。
「完成した縫製機はこちらです。親方、サモルさんをお連れしました」
案内してくれた男性が工場の横の扉を開けて中へ声をかけると、部屋の中から人当たりのよさそうな三十すぎくらいの細身のおじさんが現れた。
もっと厳ついムキムキのおじさんが出てくると思ったので驚いていると、おじさんは私たちを見たあと、部屋の中にいる職人たちを外へ出した。
「すみません、他の職人にお連れ様のことは話していないので」
「大丈夫ですよ。クィルガー様は他の貴族とは違って柔軟な方なので」
サモルが口調を改めてそう説明する。クィルガーが前へ出ると、親方と呼ばれたおじさんはスッと恭順の礼をとった。
「こちらこそ無理を言ってすまないな。俺はクィルガーだ。こっちは娘のディアナ」
「この工房の代表のティキです。まさか本当にこんなところまで来ていただけるとは……」
このティキにだけ、私たちが貴族のお客であると伝えてあるらしい。ティキは明るいオレンジ色の髪を後ろで一つに結び、優しげな緑の目をしている。彼は短い顎ひげを親指で撫でたあと「早速見られますか?」と私たちを部屋の一角に案内した。
「わぁこれが縫製機ですか?」
そこには二台の足踏みミシンのようなものが置かれていた。恵麻時代にあったミシンとは少しだけ形が違うけれど、基本的なところは同じに見える。
まぁ私は裁縫が苦手だったし、家にあったミシンも数回しか触ったことがないからよくわかんないけどね。
「こっちが一号機でこっちが二号機です。二号機は昨日完成したところなんです」
「本当に出来たばかりなんですね」
「初めにこれを発明したガラティが設計図を売ってくれれば、こんなに時間はかからなかったんですけどね」
縫製機を発明したのはガラティという人らしい。
「そのガラティって人はなぜそんなことをしたんでしょう?」
「ガラティは縫製機以外にもたくさん画期的な物を作ってる発明家なんですが、性格も変わっているんです。『俺が苦労して作ったものをなんでそんなに簡単に教えなきゃならねぇんだ。作り方を知りたかったらお前らも悩め』って言って、現物だけ見せて職人の腕を試すんですよ」
へぇ……お金よりそっちの方が大事ってことかな。
「おかげで王都中の職人の腕が上がるので、文句は言えないんですけど。この縫製機も完成するまで時間がかかりましたが、中には驚くべき技術が詰まっていました。こんなものを発明するなんて恐ろしい人ですよ」
私は縫製機一号の方に近付いて、金属でできたミシンの本体部分を眺める。
「実際に使っているところを見せてもらってもいいですか?」
「もちろんかまいませんが……お嬢様が買われるので?」
「これの能力を確認してからになりますが、買いたいと思っています」
私はそう言ってにこりと笑う。まさか私が商談相手と思っていなかったのだろう、ティキは目を丸くしながら縫製機の前に座った。横にあったカゴから布を取り出して、ミシンが設置してある机に広げて針の下にセットする。
「糸や針はもう設置済みです。では縫っていきます」
ティキはそう言うとミシンの右側についている丸いハンドルのようなものを回し、同時に足元の金属の板をゆっくりと足で上下に動かし始めた。ミシンと足元の金属はベルトのようなもので繋がっていて、足元の板が漕がれる度に勢いよく回っていく。
その動力が伝わり針が動き出して、ティキは布を奥に滑らせていく。カタカタカタカタという音がして布が縫われていった。
うん、問題なく縫えるみたいだね。
「すごいな……こんなに速く縫えるのか」
「私も初めて見た時は驚きましたよ」
クィルガーとサモルはミシンの動きに感心している。
「もっと厚い生地でもいけますか?」
「はい」
ティキは違うカゴから厚めの生地を出してきて、それも縫ってくれる。演劇用の衣装は普通の服と違って様々な材質のものを縫い合わせていくこともあるので、ヤワなものだと持たないのだ。
私は糸のセットの仕方や、布端の処理の仕方などを聞いていく。ティキは驚きながらもそれに一つ一つ答えてくれた。
私も驚いたよ。本当にミシンなんだもん。これ発明したガラティって人すごすぎる。
一通り使い方を聞いたあと、クィルガーが私に聞いた。
「どうなんだ? ディアナ」
「いいものですよ、これ。予算があれば欲しいです」
「ティキ、まだ即決はできないが値段だけ聞いていいか?」
「はい。一号機は見本として置いておきたいので売れるのはこの二号機だけですが……。その……十万ラシルです……」
わお、やっぱり高いね。でも量産する前だしそんなものかな。
「十万か……金を出すのは俺じゃないからな。少し考えさせてくれ」
「か、かしこまりました」
ティキが信じられないという顔をしながら頷く。
学院のクラブ予算で十万ラシルのものって買えるのかな……。
私はちょっと不安になりながら縫製機を取り置きしてもらって、工房をあとにした。
「……お父様、クラブ予算って普通どれくらいもらえるんですか?」
「詳しくは知らん。俺は学院の運営についてはあまり詳しくないからな。今度アルスラン様に聞いておこう」
私たちの会話を聞いてサモルとコモラが苦笑している。
「こんなの平民の街では絶対に聞けない会話だね」
「この二人の正体を知ったらみんなびっくりしちゃうねぇ」
王の側近にエルフだもんね……。
縫製機の確認は終わったので、次は武器屋だ。
ディアナ初めての王都散策です。
砂漠の街の賑わいを感じていただければと思います。
次は 武器屋とサモルの店、です。




