結婚式の準備
「ディアナ様、おはようございます」
「んんー……おはようイシュラル」
天蓋から垂れている薄い布を開いて、イシュラルが寝ている私の顔を覗く。
「よく眠られたようですね」
ふふ、と笑ってイシュラルが薄い布を天蓋の四隅の柱にまとめていく。朝の光がベッドにサアッと入ってきて私は目を細めながら起き上がった。本当によく眠れたようだ。頭がすっきりしていて気分がいい。
「やっぱり家の自分の部屋が一番みたい」
「昨夜は興奮されていたようですから、ちゃんとお休みになられるのか心配したのですけれど、よかったです」
イシュラルに笑顔でそう言われて私は顔が赤くなるのを感じた。昨日学院から戻ってきてヴァレーリアの顔を見た途端、嬉しさが爆発してしまって、そこからベッタリと彼女にくっついて喋りまくっていたのだ。まるで幼稚園から帰ってきた子どもが母親に今日のことを矢継ぎ早に話そうとするかのように。
あまりの落ち着きのなさに、夕食時にクィルガーから「ディアナ、わかったからちょっと黙って食え」と言われたほどだ。
……今思い出しすとめちゃくちゃ恥ずかしいね。
私は赤くなった頬を押さえながらベッドを降りる。ちなみにアルタカシークのベッドは前世やザガルディにあった脚付きのベッドではなく、床に厚めのマットレスを直に置いてシーツを被せてあるものなので、ベッドから降りるというよりベッドから立ち上がるという感じになる。
その代わりベッドが置いてある床は部屋の床よりも高い位置にあって、ベッドから三方に低い階段が何段か広がっていた。
寮のベッドは部屋の床と同じ高さにぼんと置いてあっただけだから、こういう仕様なのは貴族の館だけなのかな。
うーん、とひと伸びした私は、イシュラルが持って来てくれた水桶で顔を洗って、着替えさせてもらう。
「ディアナ様、今日からスカーフも私がお付けしても?」
「あ、ああ、そうだった。お願いイシュラル」
そう言うと、イシュラルは嬉しそうにいそいそとスカーフを広げて私の頭に当てる。耳の後ろを通って首元でキュッとスカーフが結ばれた。
「痛くはございませんか?」
「うん、大丈夫」
「ふふ、この可愛らしいお耳にあったスカーフの形も考えなければいけませんね」
スカーフの形を整えながらイシュラルが楽しげに言った言葉に、私はコテっと首を傾げる。
「イシュラルはその……私がエルフということに関してなにか思うことはないの?」
私は昨日から疑問に思ったことを口にした。館に帰ってきてから出会った使用人のみんなは私の姿を見てもいつも通りだった。驚く人や動揺する人は誰一人いなかったのだ。
イシュラルは少し考えるように頬に手を当てて口を開く。
「ディアナ様が帰って来られる前にクィルガー様からお話がありましたけど、我々平民にとってエルフというのは物語の世界でしか聞いたことのない存在でしたし、そうだったのですか、とお答えする以外他になにも思うことはございません」
「本当に?」
「はい。それに耳を出されたことでより一層ディアナ様の可愛らしさが増したと私は思っていますので、どちらかというと心が弾んでいます」
「えっそ、そうなの?」
「はい。今まで以上にディアナ様を輝かせられるように、トカルとして励もうと思っております」
と、イシュラルはこれまで見たことがないくらい気合の入った目でそう宣言した。貴族の学生たちとの態度の違いに私はパチパチと目を瞬かせる。
平民と貴族って本当に違うよね……。
とりあえず館の使用人たちには不快に思われていないようでホッとした。
自室で朝食を食べたあと、私はイシュラルと護衛を引き連れて同じ女性館のヴァレーリアの部屋に向かう。
今からヴァレーリアの花嫁衣装を見せてもらうんだ。あー楽しみ。
ヴァレーリアの部屋の扉は開け放たれていて、そこから彼女のトカルたちが荷物を運び出していた。結婚式が終わったら彼女は本館のクィルガーの私室の隣室で生活を始めるので、今は部屋の引っ越しの真っ最中なのだ。
ちなみに結婚式は三日後である。本当にもうすぐだ。
「ああディアナ、おはよう」
「おはようございますヴァレーリア」
トカルたちに指示を出していたヴァレーリアが私に気付いてふわりと微笑む。
ううん、ヴァレーリアは今日も美しいね。
「忙しい時にすみません」
「いいのよ。花嫁衣装を落ち着いて見せられるのも今しかないし。こっちにいらっしゃい」
ヴァレーリアに促されて続きの部屋に入ると、その部屋の真ん中にキラキラと輝く衣装が飾られていた。
「わぁぁ……っすごい、綺麗!」
私は目を輝かせて衣装の前に立ち、いろんな方向から食い入るように見る。
衣装掛けにはスカーフと服、靴、そして装飾品が全部揃えられて飾られていた。服の基本的な生地の色は赤色だが、その生地は少し見える程度で、ほとんどが金色の刺繍にびっちりと覆われている。
スカーフには十五センチくらい幅で金色の刺繍が入っており、後ろは少し透けた赤色の生地で頭から足元まで伸びている。顔にかかる縁の部分には薄いコインのような装飾品や、宝石のついた飾りがたくさん付けられていた。
赤地に金の刺繍の上着に帯はなく、そのままドレスのように下に向かって広がっている。上着の下は白の立襟のワンピースだ。
靴も上着と同じ感じで赤い生地に金色の刺繍がしてある。
「この衣装の刺繍を全部ヴァレーリアがやったんですよね? わぁぁ……とても綺麗です。それにこのネックレスの数……すごいですね」
「お義母様がね、花嫁はこれくらい派手じゃないとダメよって言って贈ってくださったのよ」
「え! 全部贈り物ですか?」
衣装の胸元にはこれでもかというほどたくさんのネックレスがつけられている。中には大きな宝石がついたものもあって、部屋に差し込む明かりを受けてキラキラと輝いていた。
「これだけジャラジャラつけて一日中過ごすのも大変そうですね……」
「これだけじゃないわよディアナ。腕にもさらにたくさんのブレスレットをつけるんだから」
そう言ってヴァレーリアは衣装の横のワゴンに置いてある箱を指差す。そこには手の甲を覆うように編まれた金の装飾品や、たくさんの金銀の腕輪が置かれていた。腕輪の横には大きな指輪もある。
「……当日はヴァレーリアが眩しすぎて見れないかもしれませんね……」
「あら、当日光ってるのは私だけじゃないわよ?」
「え?」
「お義母様からディアナの分の装飾品もいただいているから、当日はディアナもキラキラよきっと」
「えええ!」
まさか自分にも用意されているとは思わず目を見開くと、ヴァレーリアのトカルであるティンカが「イシュラルに渡しておりますので、どうぞ衣装合わせの時にご確認くださいませ」と言った。振り返ってイシュラルを見ると「午後から衣装合わせの時間をとっております。楽しみですね」とそれは嬉しそうに答える。
「私は控えめにしたいんですけど……主役はヴァレーリアとクィルガーですし」
というか結婚式の主役はどう見ても花嫁だ。エルフというだけで目立ってしまうのに、衣装まで派手だったら花嫁と同じくらい注目されてしまう。
「私は招待客のみなさんに、ヴァレーリアの、この素晴らしい美しさを、しっかり見て欲しいんです!」
と私が力説すると、ヴァレーリアがクスクスと笑って私の頭を撫でる。
「大丈夫よディアナ。当日は私とクィルガーが並んで挨拶を受けるけど、ディアナはお義父様とお義母様のいる場所で待機することになるから。お二人がディアナを守ってくださるし、必要以上に目立つことはないはずよ」
「え、そうなんですか?」
「結婚式には見知らぬ貴族もたくさん来るから、ディアナを私たちと一緒に表に出すのは危険だとお義父様が仰ったの。私もディアナがお義父様とお義母様と一緒にいてくれたら安心だわ」
「……確かにおじい様の後ろに控えていられるなら安心ですけど」
しかし今までの話を聞いているとカラバッリも有名人のようなので、一緒にいたらとても目立つのではないだろうか。むーんと目を半開きにして考えていると、ヴァレーリアがすまなそうな顔をして言った。
「結婚式の準備に精一杯でディアナのネックレス作りが遅れてしまって悪いわね」
「え? ああ、そんなの全然いいですよ! 結婚式の方が大事なんですから」
私はそう言いながら腰袋を触る。その中には学院でもらった一級用の魔石が入っていた。自分用の魔石はもらったらすぐに装飾品に加工して身につけるのが貴族の常識らしい。しかも結構こだわって作るようで専門の職人を呼んでじっくり打ち合わせを重ねて用意するのだとか。
今回は結婚式の準備が忙しくそんな時間が取れないので、私のネックレス作りは結婚式が終わってからすることになっている。
私はそんなにこだわりがないから、こうやって袋に入れて持ち歩ければいいんだけどね。ただ高価な魔石を腰にぶら下げているのは落ち着かないけど。
「じゃあ結婚式当日は、おじい様とおばあ様の後ろで控えていたらいいんですね」
「そうね。お二人の言うことを守っていれば大丈夫よ」
「ごちそうに集中できそうで嬉しいです」
「あまり食べすぎちゃダメよ?」
「大丈夫ですよ。子どもじゃないんですから」
そう口を尖らせて言うと、ヴァレーリアだけじゃなく周りのトカルたちも口元に手をやってクスクスと笑い出した。
「その台詞をそんな顔して言うディアナは、どこからどう見ても子どもね」
「う……」
よく考えてみたらその通り過ぎて、私は自分の頬を手で覆った。
それから午後になって自室で結婚式用の衣装に着替えさせてもらう。私の服はターコイズブルーの生地に銀白色の刺繍が入っていて、ヴァレーリアの衣装に似た作りになっているが、彼女の衣装より少し控えめなので、必要以上に目立つということはなさそうだ。
首元におばあ様が贈ってくれたネックレスがシャラリと光る。
「ヴァレーリア様のネックレスは存在感のある派手な作りでしたけど、ディアナ様のネックレスは繊細で可愛らしいものにしたのだとターナ様が仰っていました」
「ディアナ様の雰囲気にとても合っていて素敵です」
イシュラルとともに着付けを手伝ってくれていた他のトカルにもそう褒められ、私は少し照れながらネックレスを触る。
細身の金細工が複雑に絡み合いながら草木の蔓のような形になっていて、その蔓の間に小さな宝石が散りばめられている。
「確かに私の体型にはこういう形が合ってる気がする……」
ヴァレーリアみたいな豊満な体の持ち主には派手で存在感のある装飾品がピッタリだけど、私みたいな細身で薄っぺらい体にはこういう方がいいね。
「魔石のネックレスもこういうのにしてもらおうかな……」
「それはいいですね。サモルにも伝えておきましょう」
イシュラルが鏡に映った私の姿を見てうんうんと頷いている。ネックレスを作る職人はサモルが信用した人から選ばれたらしい。
サモルはこの一年で商人をジャッジする商人として、このクィルガー邸やカラバッリ邸の信頼を見事に勝ち取っていた。使用人たちからの評判もいい。さすがサモルだ。
そのあと夕食の時間になって、私はクィルガーに結婚式当日の段取りを聞いた。
「結婚式はおじい様の館で行うんですよね? 私は何時ごろに行けばいいんですか?」
「昼前から招待客のもてなしが始まるが、それは父上と母上がやってくれる。おまえは未成年だし俺たちが入場する前にこっそり会場に入ればいいから、十の刻くらいに向かえばいいんじゃないか?」
クィルガーは別邸をもらって独立してはいるが、アリム家の当主は今でもカラバッリだ。そのため、クィルガーの結婚式はカラバッリの館で行われる。
カラバッリ邸の玄関で待つクィルガーに花嫁衣装を着たヴァレーリアが嫁いでくるという形を取るのだ。
サモルはヴァレーリアの従者として当日は付き従うらしい。厨房で忙しく働くコモラはヴァレーリアの姿を見にくる暇もないようで、それがちょっと寂しい。
「わかりました。当日はおじい様がいるので、変に絡んでくる人とかいないですよね」
さすがに元王宮騎士団長のカラバッリに孫の私のことを悪く言う人なんていないだろう。
そう思っているとクィルガーが遠い目をして言った。
「本当に怖いのは父上じゃないぞ……」
「え?」
「今回は何人の貴族が母上の犠牲になるのか、考えただけでも胃が痛い……」
「え? え? おばあ様?」
「ふふ、ディアナ、アリム家で一番力をお持ちなのはお義母様なのよ」
「父上は実戦では最強の剣士だが俺と同じ二級だ。一方母上は力のある家出身の一級だ」
「えええ! おばあ様って一級なんですか⁉」
「しかも社交が得意だからな。嫌味の一つでも言おうもんなら数倍返しで相手を再起不能にする能力を持っている」
なんと……あんなに優しそうなおばあ様がそんなに強かったなんて。
「じゃあ私、おばあ様の後ろに控えていた方がいいんですか?」
「父上と母上の間に座っておけ。それだけで安心して俺たちは式に集中できる」
「わかりました」
貴族の社交が全然わからない私は二人に向かってコクコクと頷いた。
「夏休みの間におまえにアルタカシークの貴族について教えこむ予定だから、できるだけ招待客の名前と顔を覚えておけよ」
「ええー」
「ええーじゃない」
興味のない人の名前と顔を覚えるのが大の苦手な私にできるだろうか……。
「心の中であだ名をつけて覚えたらどう? 偉そうなおじさんの○○様とか、女好きそうな○○様とか」
ヴァレーリアの提案にポンと手を打つ。
「それいいですね! 息の臭そうな○○様とか、若い愛人がいそうな○○様とか」
「おい全部悪口じゃねえか。もっと身のあるあだ名を付けろ。小麦畑を持っているとか、城のどこどこで働いてるとか」
「……できるように善処はします」
それから結婚式当日の打ち合わせや、前もって覚えていた方がいい貴族の名前を復唱しているうちに、あっという間に三日が過ぎた。
「ううーん……いい天気」
ベッドの上で伸びをして寝室の窓を見上げる。今日は雲ひとつない青空だ。
よかった、絶好の結婚式日和だね。
夏休みIの章 王都散策、が始まりました。
一年生が終わって帰ってきてからのあれこれでした。
この夏休みの章はのんびりほのぼのしています。
ディアナの王都での暮らしを楽しんでください。
次は 結婚式と染石の儀式、です。




